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朱鷺貴が部屋を去ったのがわかった。それと同じに目が覚めるのもいつものことだが、そもそもそれほど時間も経っていない、と翡翠も起き上がる。
…なんとなく、朱鷺貴はすぐには帰ってこないのだろうと感じる。
ではと、「碌でもない」と言われてしまったが、翡翠は「藤嶋は来ただろうか」と考え、南の堂へ行こうと思い立った。
間取りを覚えているわけでもないが着くに決まっている。
すれ違う坊主たちも「あ、どうも…」とよそよそしいのも大して気にしないこの空気は、かつて、遥かに昔の藤宮一家での己の待遇を嫌でも思い出す。
ふらふら歩いていれば
「我が土佐には容堂公が必要なのだ、」
血気盛んな男の声が聞こえる、これはどうやら大堂だ。
あの人鋭いからな、と思いつつ、翡翠は大堂の扉に寄り掛かり話を盗み聞きすることにした。
「んで?」
案の定、藤嶋宮治の興味もなさそうな声が聞こえてくる。
「四国の田舎の藩政など、もっての他俺には関係がないが何がしたい」
「…今や我が藩は公武合体に傾いている。だが幕府は、和宮様を人質に取ったではないかと、」
「公武合体、流行りに乗ってるじゃねぇか。
そもそも聞いていればその?15代藩主は勤王だ佐幕だ、俺には手が読めないね。天皇かよ」
「容堂公は勤皇と、我々を高く買ってくれているのだ、」
藤嶋は青二才に溜め息を吐いた。露骨に「面倒だ」という具合に。
「…じゃぁ勤皇ってなんだ。天皇様々なんだろう?だが、姫を病弱将軍に嫁がせたのは紛れもなく孝明天皇だぞ。お宅ら被害者意識強くないか?
第一天皇に気に入られてなんだという。お気に入りじゃねぇか幕府なんざ」
「それでは開国論が進まない」
「はぁ?
…頭使えよ田舎モン。なぁ、開国なんてとっくにしてんの。出島、下田…は閉めたか、浦賀と函館。
お前ら何に取り入ろうとしてるか知らんが、わかるか四国なんて相手にもされていないだろ、開港するには絶好なポジションなのにね」
「ぽ…」
「場所、条件。開国したいなら英語勉強しろよ」
嘲笑う。
対峙する武市は顔も上げられず「それは、」と勢い余る。
「暑ぃ暑ぃ」と失礼も構わずに藤嶋は目の前で扇子を扇ぐ所作。
「だからこそ土佐が勢力を」
「自分でやればいーじゃん。まぁ、藩が公武合体推しなら確かにお宅らが佐幕を潰すのには邪魔になるわなぁ。その新藩主、潰しちゃえば?」
「…それにはだから、」
「うーんまあ言いたいことはわかった。後に開国したいってんなら“勤皇思想”は閉まっておいた方がいいだろうよ、これは無難な策だけど。だが、孝明天皇は親の代から異国が大嫌いだぞ。
…そのわりにまんまと公武合体で押されてるならそれはいずれ破棄されると言うのは見え見えの話だ。つまり幕府と天皇は殺り合う、これにどっちで着くか。未来に論点を置いた方がいいぞ若造」
「……それくらいはわかる」
「なら話は早い、初心に返って尊皇攘夷で動かすのが得策だろ。お前んとこ開港してないんだからな。開港したいと飛躍するのが悪い。足場は固い方が踏ん張れるぞ」
「……と、言うと…?」
「さぁ、例えるなら長州か。
ああ見えてぐだぐだでどうしょもねぇだろ。それは藩が割れ意見がふらふらだからだよ。開国?勤皇?尊皇攘夷?まぁ、長州は幕府には着かないがなあ、お前ら本気で天皇が公にして倒幕を謳うだなんて思ってんのか馬鹿らしい。
あの男に度胸があったらこんなことにはなってねぇんだよ。けれど、一国の王だ。
と、これは幕府にも言えるけどな。遠慮すんなよ、まぁお前くらい貪欲なら出来なくもないが、皆お前らと同じくらい自分のことしか考えてないぞ、それは公家もな」
「なっ、」
「そうだろ?だから他力本願なんだよ。
さぁて泥棒猫、入ってこいよとっくにバレてるぞ俺にはな」
場が殺伐としたのは翡翠にもわかる。やはりか、この男本気で変態なんじゃなかろうかと渋々「へい…」と従ってしまうのも、癖かもしれない。
入れば、「あー!」と、なんだか小汚い、しかしどこか鋭い目をした血生臭い男が無邪気に叫んだ。
…どこかで?
「お前ヤクザの知り合いじゃん!」
場がより殺伐とした。
翡翠には全然思い出せないが藤嶋の前に座る男なら覚えている、あの才谷に捨て去られた男だ、下駄を履いてる。
てことはあの時の連れかもしれない。
しかし藤嶋は「さて続けようか」と、構わず進める。
「その元藩主山内容堂は?病弱坊っちゃんが頭張ってんのに頭来て隠居したんだよな?じゃぁ次に行かねぇと戻ってこねぇんじゃねぇの?
のわりに佐幕って言ってみたり、お前その時点でこいつを頼ろうとか真面目に言ってんの?」
「だからこそ公武合体は反対で」
「俺の読みを言おうか。
単純だよ。坊っちゃんと天皇には「黙っててもらおう」、正直使えねぇと思われてんだよ今の頭なんて、天皇ですら。そしたら何が見える?遣える下々が動かしてんだよ。
だから俺なんだろお坊ちゃん、いや、本当にそこまで考えられた?論破には材料が必要だぞ青二才」
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