14
やはり、嫌な夢を見る。身体中這う舌に悶えながらも快楽を求め狂いそうな自分を、どこかから眺める。そんな夢。
いつか殺してやる、いつか殺してやる。
その思いで「おと、さん」と相手に縺れ腕を伸ばし、この項に短剣を突き立てればこの男は絶頂の間抜け面で死ぬのだろうと、愉快に想像しながら抱かれ、自分も絶頂を迎えるのだ。
にやっと獣に笑いかければ「そうか、はは、足りぬかこの淫乱」と、罵られる瞬間の殺意と、何より今すぐ死ねたらいいのにが、重なり。
目が覚める。
視界も涙で滲んでいるし、汗もかいている。
呼吸も荒いし、だけどすぐ側で心臓の音がした。
翡翠が上目遣いで見た男の頬には傷があり、自分を見ている黒い瞳が何を考えているかはわからない、深さがあるのに額を藤嶋の胸に押し付け俯く。激しく泣きたくなるからだ。
「…おはよ、ございます」
と藤嶋に言えば「あぁおはよう」と、平坦な声が返ってくる。
自分の額を拭ってくれるその藤嶋の掌には、薬指に傷が一本、先から手首まで入っている。
そこは少しざらざらする、他の指とは違う感触。
「…寝ましたか、藤嶋さん」
「そこそこ」
額を撫で、目元まで流れるように触れる藤嶋は何も言わない。その指が頬までをするりと撫でるように触れてくる。
今はそうか、違うのだと、自分に触れるその手を借りて「すまへんね」と安心した。
「何がぁ?」
「…わては寝相が悪いので、その、間違ってぶん殴っちまったりしたかなぁ、と」
「あぁ、それはなかったけど」
ふふっ、と藤嶋は笑ってくれたようで、「最上級に苦しそうで淫乱だった」だなんてからかうのだ。
「…もぉ、」
「お前は静かに喘ぐのな」
「あぁ、言われましたよそれ。哭かせてみせたいもんだと、」
「ははっ、わかるわ」
…本当に藤嶋が何を考えているか、翡翠にはわからないのだけど、自分をぎゅっと抱き締めてくれる。
「喉切れねぇか?渇くだろ」と腹に落ち着く声を発してくる。
「んー、」
「じゃぁ淹れるか」
「え?」
「少し待ってろ、淹れてる途中だった」
「…え?」
自分を離し、布団から出ようとする藤嶋に「待って、」と、ついつい翡翠はしがみついてしまうが、「ははっ、」と藤嶋は笑い、やんわりと頭を撫でて優しい目をした。
「懐きが良い鳥はなかなか出ていかないから困る」
困ると言われてしまえば、しがみつき引き止めた身体をあっさり手離してしまったのだが、藤嶋は湯飲み一つに茶を淹れ、ちゃんと布団に戻ってきてくれた。
「あ、おおきに、」
藤嶋が枕元に置いた湯飲みに翡翠は手を伸ばしたのだが、趣旨が違うのか、「手癖が悪いな」と言い、自分で一口飲んでしまった。
どういうつもり?と翡翠が少し不貞腐れそうになったとき、湯飲みに伸ばしていたその行き場のない手を藤嶋が絡め取り、あっという間に口を塞いでしまうのだった。
翡翠が驚いている間もなしに生温く、味も曖昧なほうじ茶が移される。鼻にも抜けない。
こんなことは初めてで、普段の藤嶋ならきっと「不味くなる」と怒りそうなのに、今は翡翠がゆっくりと飲み込むのに量を見ながら長く、長く口移しをしてくれるから溢れることはない。
飲み終わると同時に目が合う藤嶋のその目はなんだか、深く深く、もう少しで溝にはまりそうだと感じた。
藤嶋のニヤリと笑った表情に、あぁ、これが艶と言うものかと初めて翡翠は知る。
この強い目は、獲物を狙う鳥のような目だ。優しさも虚無もない、色の着いた目。
それには怖さも映るが、何より、生きる強さや、もうわからない、煌々としたものを激しく感じて「てんしゅ、」と翡翠は舌を縺れさせた。
けれど店主は至って普通に何事もないように優しい手つきで翡翠の頭を撫で、「あと少し寝てるか?」と言うのだった。
「俺も寝ないと働けねぇけども、」
藤嶋はあっさりまた寝転んで翡翠を手の中に治める。
感情がわからなくなった。
しかし、この人は欲してはならない、それは自分を跡形もなくすることだと翡翠は感じる。死んでやる、とはまた違う。少しのちくりとした破壊衝動。これはどういうものなんだろう。
息を殺していようかと翡翠は呼吸を浅くしてみた。
藤島は翡翠をじっと見ている。
何もなく、最早藤嶋が無邪気なような気がして恥ずかしくなった。
だが見ているのはこの男だけなのだと、「藤嶋さん」と翡翠は呟いた。
「…知っていますか藤嶋さん」
藤嶋は何も答えない。ただ、胸の音はする。
妙に安心するのは、藤嶋が自分を離さないからなのだろうか。
いつの日か離れてしまった姉や父や母の手まで思い出された。凄く前だ。
それまでずっと誰の手も取っていない。
「…わては幽霊や言われとるんですって、店主」
「…幽霊?」
「でも、それは凄く心地が良い。風みたいで、誰の中にも残らない」
「いつでも自由に飛んで行けるもんだな、それ」
「せやろ?何も残らない。そうやって、世の中を捨てるのは」
「俺が以前に言ったことなら、そうだな、お前は幽霊だ。家族のことも自分の過去も殺して墓立てちまえと、言ったな」
「そう、」
「それがなんだって言うんだ」
上目遣いで見た藤嶋の笑みはひきつっていた。
「…あいつに親も殺され、それがお前の凶器なのだとしたら一体いま、何を傷付けたいんだろうな」
それから藤嶋はくるっと、翡翠を仰向けにして跨がった。
歪んで笑った男は「簡単だよ、」と吐き捨てる。それに、えらく胸がじんと痺れた。
身体が火照っていくのが、わかる。
「俺だ。俺でいいよ翡翠」
何を言われたか、翡翠にはわからなかった。
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