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 庭の小さな畑からふと顔をあげると太陽が眩しかった。池に光が反射する。

 この本屋に初めて訪れたとき、少年は儚げに、何もいない池を眺めていた。色白で線が細く、少女のようで。
 空太は初めて見たとき正直、性別を間違えた。というか半年くらいは間違えて認識していた。

 これは将来絶対美人だと、幼心に思い、淡い恋心まであった、半年は。

 照れてしまった空太は、少年になんと声を掛けて良いかわからなかった。思い付いた一言が、「迷っちゃったんだけど…」だった。

 父親同士がどうやら知り合いで、連れてこられた町の本屋。暇を持て余して親目を忍んで探検したら迷い込んだ、これは事実で、だからこその衝撃で、少年だった空太の感性は、最早その空間だけは異世界、まるでスナップショット、写真のようだと思ったのだ。

 空太が一声掛ければ池の前にしゃがんでいた彼、幼き日の蛍は、ゆっくりと空太の方を見て首を傾げた。

 蛍としては侵入者、しかも子供で、驚きを隠せなかった。

「…誰?」
「…空太。君は?」

 その時蛍は答えなかった。容易に答えたらいけないような気がしたからだ。
 数秒考え、「そらた…」それが凄く、心地よく聞き取れて。

「いい名前。綺麗」
「…あ、ありがとう。
 き、君は、ここの、本屋の子?」
「…そうだけど」
「ここ、広いね。お父さんが話に夢中でさ…。飽きたから探検してたら、迷っちゃったよ」
「あぁ、そう…」

 その瞬間激しく咳込み始めた少年に、思わず空太は駆け寄った。なんせ反動で池に落ちてしまいそうだし、咳は激しいし。

「大丈夫!?」

 しかし手で制されてしまう。恐らくは近付くなと言うことだけど。
 それは構っていられない。一瞬迷って蛍の側まで寄り、背中を擦るが切れ切れに、「伝染《うつ》る、から」と言われた。

「昨日、熱あったから」

 まぁ、確かに触れば少し熱いような気がする。風邪か。

「寝てなきゃいけないよ。部屋は?」

 蛍が苦し紛れにすぐ後ろを指差した。
 空太が肩を貸して布団まで運ぶ。

 結局そのあと、父親たちが空太を探しに来るまで、蛍の側にいることしか出来なかった。呼びに行こうにも迷ってしまっているし、泣きそうになった情けなさに父親が来たのだ。

 そして見事に次の日空太は熱を出した。

 よくよく考えれば然り気無く、その時に蛍は空太の名前を聞いたが、どのタイミングだったかは覚えていない。
 しかし、空太もまた、「綺麗だね」と答えたのだけははっきり覚えているのが不思議だ。

 あれから月日は流れたが。

 今思えば少年の頃のほうが自分は思いきりがあったなぁ、とぼんやり空太は思う。
 なんせ、びびっときて名前を勢いで聞けちゃうんだから。今となってはなんだこの様は。
 さつきだって蓮に讓っちまうし情けないだろう。はぁ、と一人溜め息を吐いて野菜片手に居間へ向かった。テンションは少し降下気味である。

 居間へ行くと蛍が、原稿用紙に向かっていた。

 蛍は今時珍しく手書き原稿だ。
 しかし、ぶっちゃけ蛍の字はとくに上手くはない。筆が乗ると流し字だし正直なところ野山さんと二人、解読に四苦八苦する。しかし上柴先生曰く、「パソコンは返って時間が食う」とのこと。

 確かに、前に空太が一度蛍にパソコンをやらせたら時間ばかり食った。そしてその効率の悪さにアイディアが逃げたらしい。
 一度そうやって空太は蛍の週刊誌連載の時に、スランプ直前まで追いやってしまったことがある。それ以来、パソコンの強制は止めた。

 少し前屈みだが姿勢の良い、しかしながらどこか儚い印象があるのは線が細いせいだろうか。

 ふと、BOXからセブンスターを取り出して何度か吸い口をちゃぶ台で叩いてから咥え、ぼんやりと煙を眺めている蛍を見て、空太はそろそろ気付くかと身構えた。
 一口吸って気付いたらしい、一度煙草を確認し、溜め息を吐いてあたりを見回した中に空太を見つける。目が合って思わず空太は吹き出してしまった。

「ボックスでも引っ掛かっちゃうあたり、蛍だよなぁ」
「これはよくないな…」

 顔をしかめる蛍を救済すべく向かい側に座り、今蛍が火をつけた煙草を受け取った。

「肺に…なんか刺さる」

 次に取り出した一本はフィルターの色ですぐに判断したらしい。安心して吸っていた。

「何本入れたの」
「5かな」
「うわぁ…」

 それは蛍の一日分の煙草である。しかしニコチンとタールを考えたらどうだろう。却ってコスパがいいのか。だってこれに当たってしまったら絶対にしばらくは吸わない、何なら半日ほど吸わないんじゃないか。
 箱を見てみればタールがそもそも10は違う。そんなことってなかなか、流石にないだろう。

 臭いはどことなくやはり独特。煙が綺麗で、やはりこれを登場人物に使ってよかったと作家が思う。これだけで、わりと代名詞感が出る。

 というか。

「なんでこんないたずらしたの」
「ん?ちょっと前に会社の飲み会でさ、ソフトパック組の間で流行ったんだよ、ロシアンタバコ」
「あぁ、なるほど…。ソフトパックならわからないのか」
「そうそう」

 さっそく蛍はロシアンタバコをメモするが、「いやいや、ネタには使えないでしょ」とつっこまれる。

「いや一応」
「でもなぁ、ハイライトはバレるんだよ…。臭いがな。
 だからメンソールのやつにやるのがいいんだがやり返されたとき、俺がメンソール嫌いだからちょっとな」
「何それ」
「てかメンソール愛煙家はなぜ普通の吸える奴ばっかなのにわざわざメンソールなんだろう。だったらみんなまだハイライトとかキャスター吸った方が合理的だと思うんだが」
「なるほど…」

 充分ネタになりそうじゃないかと蛍には思えた。

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