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「うひゃひゃひゃひゃ!なにそ…ひっどぉい、ひっ…おもしろっ!」

 店に響き渡る声。雨のせいで心なしか声の吸収が店内の、本のみだ。

 店の机で|久保田《くぼた》の|千寿《せをじゅ》を豪快に、おっさんよろしく湯呑みにがばがばと注ぎながら飲む、オレンジエプロンでジーパンの幼馴染みは愉快そうに腹を抱えて笑っている。

 時刻は14時半近く。空気が外に出ていかないのはまた振り出した雨のせいか、無性に酒臭い。

 あれから二人は真っ直ぐ家に帰った。今日は朝からさつきに店番を頼んでいたのだ。3人でラーメンを食べに行こうかと考えていた。

 店の前まで来て、さつきがシャッターも開けずに傘を片手にしゃがんでかぐやの喉元を撫でているのが見え、声を掛けたのだった。

「さつき?」
「あぁ、おかえり」
「てか…」
「かぐや…!」

 それから蛍が掛け寄ったのを見て。
 空太とさつきは目が合えば、さつきがニヤリと笑い、「再会祝いだね」と言ったことにより、今に至るわけである。

 そして店番をしなくて済んだ幼馴染みの嵐女はそのまま、店主と共に帰宅した25歳の売れない画家と早速と言わんばかりに酒盛りを始めたのである。
 それどころかこの女、今日もやって来た初対面で17歳の少年、翠に対し、「飲むかー?」とか言って困惑させる程度に酔いつつある。

 かぐやの再会祝いどころではない。よもや最初からその目的ではないとわかってはいたが。

「さつき、怒るよ」
「えー?で、どんなん怒ったん?」
「俺は別に怒ってないよ?」
「俺が言ってあったんあよ!「あんたみたいな大衆ラノベ、直木にいらん!」って」
「うわぁ…」

 それを聞くと流石のさつきも少しげんなりした表情になってしまった。

 そしてかぐやはあれからすぐに風呂場で丁寧に洗われ、餌を与えられ、今は蛍の膝の上で落ち着いて毛を撫でられている。それを見ればまぁ、概ね不機嫌なのはどちらか、さつきには見て取れる。珍しいことがあったものだと、飲み終わった空太の湯呑みにまたがばがばと酒を注ぐ。

「まぁ大丈夫っしょ、相手だってちょっとさぁ、」
「空太、飲みすぎ。
 さつきも飲ませないでよ。一応仕事中なんだから俺は」
「蛍ちゃんはどうだったんよ?えぇ?さっきっからぁ、空太の愚痴しか聞いとらんねん!」

 そんなことを言われましても…。

 気持ち良さそうに目を瞑る白猫を見やる。撫でる自分の手が赤く、かぶれてきている。

 番台から手を翳して天井を眺めていた。最早幼馴染み達は構ってやっていない。
 その光景をみてふと、まるで透けて見えるような白さってこういうことなのかなぁ、と、ぼんやりと空太は思う。が、

「あれぇ、蛍ちゃん、」

 と、さつきが妙な声を前の席で上げる。空太の隣に座っていた、先程から反応に困っている翠は、一瞬その声量にびくっと肩を震わせたのが横目で見えた。

「あ、ごめんなぁ、少年。
 蛍ちゃん、また手荒れしてない?」
「え?」
「うん…|痒《かゆ》いかも」
「もしかして蛍さん」

 漸く口を開けた少年はふと、「猫アレルギーじゃないんですかそれ」と、少し抑揚を持たせた声で言った。

 その爆弾投下に大人三人、揃って「えっ!」と息ぴったりに同じ反応。流石は幼馴染みと、翠は半ば関心してしまった。

「アレルギーって」
「あのアレルギー?」
「あのって、まぁ、その…」

 一瞬全員が黙る。そして。

「どうするの」
「いやまだわからないじゃん」
「いやまぁ…どうするったってどうもしないけどさぁ」

 大人三人、狼狽える。
 得てして奇妙な光景である。

「ふっ…ははっ、」

 だが急に蛍が笑った。
 雨の寒さと湿気の帯びた店内、しかし、いままでとはまた違った広い空間の雰囲気の沈黙がそこに流れた。

「あのね、さつき」
「え、うん」
「さっき、蛍はどうしたのって聞いたけどさ。
 その作家に言われたんだ。“何を信じて小説を書くか”って。
 考えてみたけどやっぱ、笑っちゃうよね。そう思わない?」
「え、そうなの?てか何?」

 蛍は自分の手を撫でながら、ぼんやりと眺めて穏やかな表情で続けた。

「何を信じる。まぁあの人は自分なんだろうね。それはわかる。でも俺はどうかな。確かに自分で見たもの、感じたこと以外はわからない。けどフィクションなんだ、作品なんて。自分をあの人ほど信じてもいない。
 書評や世論ですらもそれほど気にしていない。じゃぁ何を信じる?でも結局、自分にありふれたものしか書けない。そこは正直なんだ上柴楓は。猫アレルギーでも売れなくてもそれは現実なのかもしれなくて、わかってる。けど信じてそれをやる信念かと問われれば尻込みする。
 言いたかった。あんたは何を信じさせてくれんの?って。売れたらいいの?見たことも聞いたことも感性も曲げて一瞬売れただけで何を信じたの?
 でも、それも凄いこと。それでも、自分を信じれるんだから。
 何を言いたいかって、上柴楓は自分を信じてはいない。けれども自分が感じた全ては、考えは全て書いている。次の瞬間に駄作になっていようと関係ない。売れてないけど。それ、わかんないから書いてんだって。なにも高尚な物なんてないんだよ」

 つまりは。

「ん?」
「まぁ猫アレルギーでも売れてなくても別にしょうがないでしょって。自分を信じようと信じまいとそれが現実で結果だから」
「なんかそれって」
「偏屈だなぁ、やっぱ」
「そーゆーこと。でも愛していきたい。俺はそらたの絵もまわりの事象も愛していきたいけど自分のことは…わからない。だから書いてるのかなって」
「…なるほどねぇ」
「蛍、」
「ん?」
「俺は君の小説を単純になんか愛していない。もう少し遠くで、きっと…」

 肝心な言葉は出ていかない。
 だって俺は絵描きだから。言い訳臭いがそれも事実だ。

 それからかぐやの毛並みを楽しむように撫でる蛍を見て。

 なんだかんだでクリエイターの事情は踏み込めないのかもしれない。しかしさつきも、微力ながらに翠も二人は知っている。人が産み出すのはそういう摩擦と自然現象に似た人工的な現象だ。他に何もないのだと痛感する。互いの想いは恐らく、互いの中にあるのだろう。

 暖かい空気が室内を広くする。窓の滴は外の温度差を感じさせない程へばりついている。湿って染み付いたような自然現象はそれでも、当たり前の日常だった。

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