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 父が言わんとしている境遇、境地。理解しようにもそれはもしかすると知ったかぶりである。

 しかし、共感が出来ずともわかるような気がしてしまう。
 要するにこの男の大半は、衝動的自殺願望で自殺未遂をした際に起こる感情起伏の後にある虚空、これが長いのだと蛍は結論付ける。
 シンプルな言葉で片付ければそれは、虚脱感。これに尽きる。

 それでもこうしてすがるように生きて、あろうことか心中未遂して生き残った片割れの元に現れた心境は、最早虚空の後の鬱状態を過ぎた不眠症から訪れる躁病に近い妙な微睡みなのか、それともまだ、その前なのかが蛍には計り知れない。

「貴方の言わんとしていることの大筋はわかる気がいたします。しかしどうも芯が、私には見えない」

 作家とはよもやそういった生き物なのかもしれない。

 目の前の作家が喉を鳴らして、それからゆっくりと徳利から猪口へ酒を注いだが、あまり酒は入っていなかったらしい。見受けて蛍は立ち上がる。

 足が震えている。

 見上げる空太に微笑みを掛けてやるような余裕は蛍にない。自分はそれほど小さい、つまらぬ男だと感じるのだった。しかしだからこそ虚勢、そのままゆっくり歩いて台所へ向かい、棚から一升瓶を取りだし、食器棚にあった自分の陶器も手にしてまたちゃぶ台へ戻る。

 自然な動作で父の徳利を手繰り寄せて酒を注ぐ息子は、少々な慣れやら、当たり前の動作というか、それが彼の日常に父は見受ける。自然だ。そして優雅。

 父親、裕次郎の中でそれは新鮮な気持ちを搾取出来た。なぜこれにそのような気持ちを抱くのかは、当人にも皆目わからない。

 注ぎ終わり裕次郎の目の前に徳利を起き、しかし乾杯をするわけでもなく、持ってきた陶器に酒を注ぎ、蛍も注いで一口飲む。

 その蛍の黙々とした一連の動作や陶器をなんとなく軽く指先で持つような持ち方、酒を少なく口に含んで少し唇を噛むような味わい方、この女性混じりな飲み方は裕次郎の父、そして蛍の祖父に似ているもんだと父は痛感した。

 どこかで、蛍は見たのかもしれないな、もしくは言われたのか、「酒は味わう物なのですよ」と。女のように、口の中で味が変わる、と。

 そういえば上柴の文章と似ているものだ。一度租借して口に含んで味わうような、文章。やはりそうかも。あの父親、これの祖父に、蛍は何かしら言われたのかもしれないな。

 妙なところで裕次郎は、自分の知らない、自分が死んだ世界を垣間見た。それは少しの高揚、興奮だった。

「先生は、」

 その口が紡ぐ生々しい声と言葉。

「猫のように死ぬと、俺に昔言ったのを、覚えているでしょうか」

 予想外、だったのだろうか。
 徳利から酒を注いだが裕次郎は暫し考え、酒には手をつけない。
 そして至極つまらなそうに蛍に返す、「覚えてないな」と。

「そうですか…」

 その言葉通りの死に方をしたのだと、やはりこれはそう、目の前の父親を見て勝手なる解釈だった、勝手なる呪縛とトラウマだったと蛍は痛感した。

 何度夢に見て何度発狂しそうになるか、あんたは、知らないだろう。それくらいの事情だった、あんたには。

 落胆した。
 少し位引っ掛かりがあればというのはやはり夢で創作で、幻想と微睡みだと蛍は知る。

「君はどうして書くのでしょうか」
「わかりませんよ。
 ただ、とめどないからかもしれません」
「それはどういう?」

 父のそれは酷く睨むような、しかし純粋なる目付きに、蛍には見えた。

「生きていくことを、こうして書き留めておかなければ、俺はもっと自分を嫌いになって堕落してしまう気がする」

 貴方のような、純粋すぎた凶器になれたら。
 ふとそう蛍は思ってみた。
 貴方は何故、人をこんなにも無自覚に苦しめたのか。人を、というのはお綺麗すぎるな。俺を、呪縛したのか。

「堕落してしまうのを恐れるから書く、出版する、世に出す。それは痛く不健康で、自己満足で、だから君は直木を逃すのですかね」
「直木にこれといった執着もありませんよ。私は私の創作を続けて行く。あわよくばまぁ、取れたらいい。総評は名前なのです。あれから確かに売上は上がりましたから。
 何故書くのか、貴方はどうですか?私は今更、誰かに良い言葉を届けたい、この若さではないのです。
 ただ、でも、創造力なんて膨らむものでゴールはなく、恐らくは作者が死んでもわかりません。何か伝えたい自己主張なのかもしれない、挑戦なのかもしれない、これもまた、とめどないのです。突き詰めるのは己の葛藤、他者が知る由もない秘密なのです。シンプルな回答が出来ない私は、間延び作家なのですよ、林さん」
「なるほどね。実に面白くない回答」

 父は、昔のように皮肉を込めたような、嘲笑、顔を歪めるような吐き捨てる言動を一つ吐いて蛍を見る。

 多分これは矢を打たれる。一つ何かを刺されてしまう。

「君って自意識過剰だな」

 来たぞ。
 しかし少しかすったな。

「そうでもなきゃぁ、やっていけない。それこそ一酸化炭素で何回か死ななければ」

 突き返した。
 つもりだった。

「あ、そうそう。
 君、死ななかったんだね。なかなかなもんだ。あの女はどうした?」

 こちらは刺さっていた2センチを押し進められた。プラス5センチ、あと、10センチ近くある現状。

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