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その日もリュージは伊織を会社まで送ってからリハーサルへ向かう。
途中、時間も余ったし、と美容院に寄った。
「は?誰?」
無惨にも曽根原からはそう言われてしまった。
「どしたのリュージ。真っ黒。真面目そうだよなんか」
「彼女の好みか?年上だよな」
「いやなんか時間あったしハゲるって言われたんで。ぶっちゃけ生え際とかもめんどいなって思ってたし」
何故だかメンバーはその瞬間ニヤリとし、ノリトが「やはりな」と満足そうにした。
「本番の日にやるとかイカしてるな〜。新しい彼女今日解禁っしょ?」
「そうですね、サブに置こうかなって」
「あんだけやったら慣れたでしょ〜?メインで使おうよ〜」
「確かにまぁ…はい系列も一緒だし慣れたような気はしますけど、CD音源はリード使ってたし。まぁ、ストラトはピンチヒッターにと」
「え〜、いいじゃんいいじゃん〜。度肝抜こーぜ。せっかくのティファニーギターだよ?どーせ家で照れ臭くて使ってないんでしょ」
「いやまぁ確かに」
「照れてないで〜素直になれよ〜」
「うーん」
確かにちょっと慣れてきたけど。
曽根原は「男は度胸だ、いっちまえ!」と、こんな調子に結局後押しをされ、開演を心待ちにする。
下北沢。
「いやぁ、職場のマリッジブームも土日で終息だねえきっと…」
「ですね…」
「俺は実は初日から気付いてたよ、隣だから」
「あ、そうなんですね」
「いやぁ安西さん、見つけた瞬間泣くとか、意外だったよねぇ…」
「ですねぇ…」
吉田は伊織が早く歩いているの合わせながら染々と話す。
水曜日に伊織がいつも通り、何事もないような鉄面皮で左の薬指に指輪を嵌めていた為、職場一同は一日遅れてそれに気付いたようだった。
吉田は「なるほど…水曜日か」と、そんな思いでそのプラチナを眺めたのだけど。
「ホントにカウントダウンだねぇ、伊織ちゃん」
「どうなんですかね」
商店街のような界隈のなかで伊織が「ここですね」と指したのはビル。
他のビルの店と変わらないような外観。歩き過ごしてしまいそうな場所だった。
「俺全く来たことなくてさ、クラブ、と似たような空間?まぁクラブもちょっと馴染みが薄い世代なんだろうけどさ」
「そうですね。ほぼ同じで、違いは目的らしいですよ。音楽を提供するというのは一緒だけどクラブは楽器を用意していないかもしれない、とかリュージが言ってました。明確な違いはないらしいです」
「へぇ〜、なるほど」
ビルの地下階段を降りてすぐ、受付でチケットを渡した伊織は1,000円を出し、店員から貰ったピンバッチのような物とパンフレットを吉田に渡した。
「これは?」
「ドリンクと交換できます」
「そうなんだ」
「もっと飲むときは別でお金を払ってください」
「あー、なるほど。伊織ちゃん、二杯目飲むなら俺出すわ」
「ありがとうございます。多分飲みます」
吉田が防音の重い扉を開ける。
正面の、低い柵の向こうには楽器が並んでいて、客席フロアは端にテーブルがあるだけの簡素なスペース。天井にひとつの小さなミラーボールがあった。
客は少々でゆったりしている。
伊織は吉田に手を出して「ビールで良いですか?」と聞いてきた。
「あ、うん、ありがとう」
「ハイネケンかバドワイザーは?」
「バドワイザーかな」
吉田はドリンクバッチを伊織に渡し、珍しさにきょろきょろしてしまった。
会社帰りの雰囲気がある大人がわりといる。
きっと3,40代くらいが主流だ。それぞれテーブルによってタバコを吸ったり酒を飲んだりと、まったりしているような。
吉田が想像していた「ライブ」というやつは、例えば出演者が客席にダイブしてしまったりという「フェス」だとか、揉みくちゃになったりだとか、そういうもので、正直ついていけないよな、そういうのって後ろから眺めるのかな、と思っていた。
「どうぞ」と伊織がバドワイザーの冷えた缶を渡してきた。
伊織は透明のプラカップに入った赤い飲み物を翳し、「お疲れ様です」と乾杯をした。
「それなに?」
「カシスソーダです。飲みますか?」
「じゃぁ一口」
吉田がカシスソーダを受け取り一口飲んで伊織に返したとき、ジャケットを羽織ったTシャツの、小柄な男が裏口から出てきて、一瞬目が合ったような気がした。
見覚えがあるなとちらっとパンフレットを眺めれば、その男は写真の中央にいる男だった。
男は、なんとなく如何にもバンドマンな雰囲気のロンティーにジーパンの客の青年に「あっ!ゲンジ!」とハグをして話し込み始めた。
なるほど、仲間や親戚なども来ているのか。
「あれ、ボーカルの曽根原さんです」
「あぁ、この人だよね。あまりに身近にいるんだね」
「そうですね。初めて来たとき私もビックリでした」
リュージは左の端に写っている。
「ワンチャンメンバー狙ってるらしいです」
「……あ、前に見たとき確かに居なかったかもリュージくん。え?バッチリメンバー感出てるよこの写真」
「ですねぇ…アー写に入れてもらってる…OKだったんですかね…」
曽根原が裏手に帰っていった。
然り気無く時計を見れば開始の5分前。18:55分で、客もそれから入ってくる雰囲気でもなく、ざっと80人くらいかもしれない。
「ここ、思ったよりゆったりしてますよね。今日は…ハコでは入ってる方だけど」
「うん。俺正直イメージだと、ノリに着いていけるかなってちょっと思ってた」
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