5
銀行に寄ってから家に帰ると、見慣れない女性用の靴が玄関にあった。
時刻は20時近く。キッチンから音がして。
懐かしい感覚に少し、違和感を覚えた。靴箱を見れば、まだ雨祢は帰ってきていないようで。
「|百合枝《ゆりえ》さん?」
声を掛けてリビングキッチンを覗けば、「お帰り那由多くん」と、懐かしい、4年分大人になったような、しかしどうやら|窶《やつ》れてしまった百合枝さんがキッチンに立って料理をしていた。
「雨祢さんが遅くなるから。
いきなり来てごめんなさい」
「いや、いえ…」
味噌汁を拵えていたらしい。味噌とほうれん草が並んでいた。
「どうしたの、百合枝さん」
「たまには顔が見たいなと思いまして」
なんだか。
その悲しそうな、しかしキラキラとした笑顔に、何故だか少し不安を感じてしまった。
「…百合枝さん?」
肩より少し上の髪が俯く。
どうしたんだろう、一体。
「別れたばかりなのに、来ちゃったみたいです、私」
「百合枝さんどうしたの」
「那由多くん、」
そして百合枝さんは、居たたまれなくなったかのようにふらっと、俺に抱きついてきて。「うぇ、うっ、」と嗚咽を漏らして泣き始めてしまった。
「百合枝さん、なにがあったの?」
取り敢えず落ち着けば良いと思い、百合枝さんの頭を撫でた。百合枝さんはずっと、「ごめんなさい、ごめんなさい」と繰り返すばかりで。
嫌な景色を思い出した。
後頭部にあてる自分の手が震えている。百合枝さんの、背中にあたる手も震えていたから。
「ゆりぇさん、」
声が震えたけど。
「ごめんなさい那由多くん、」
百合枝さんが離れてしまった。
そうじゃないんだよ百合枝さん。だけど取り敢えず離れてしまった温もりに、そっと手を伸ばして涙を拭った。
生温い、けれどもすぐに冷たくなる雫。
「落ち着いて、俺は大丈夫だよ百合枝さん」
「うん…その、」
「気持ち悪くないよ。大丈夫。百合枝さんは好きだから」
「…那由多くん」
「ご飯ありがとう。助かる。
なにがあったの百合枝さん」
俯いてしまった彼女に、取り敢えず俺はコーヒーをセットし、リビングのソファーに促した。
火はちゃんと止めた。落ち着くまでコーヒーを待って、それから百合枝さんにもいれて持っていく。
隣に座ってからら何から話そうと考えた。こんな他人への気遣い、久しぶりだった。
「百合枝さん」
「…ごめんなさい、ホントに」
「謝らないで。そんな仲じゃないでしょ。
雨祢に会ったんだね?」
彼女は黙って頷いた。
きっとこれかもしれない、その答えを導き出して。
「寂しくなったの?」
「…いえ」
「雨祢からなんとなく聞いたよ。お相手の人は」
「出てきちゃったんです」
「え?」
あ、やっぱりそうか。
雨祢から聞いたとき、なんとなく感じた違和感。
諏訪先生との話を思い出す。
「…百合枝さん、雨祢が好きなんでしょ」
「…違うの。
いや、そうなの」
「無理したの?」
答えなかった。ただ、手元をずっと見ていて。
「そんな無理はしないほうがいいよ百合枝さん」
「…那由多くん。
私、那由多くんの、書いた劇、観ました」
「…うん」
半生を書いたような劇。
少しの訴えを残したような。
「私はだから、彼女の元を、去ったのです」
「うん」
「那由多くん…」
消えそうな声に。
「まだ雨祢は百合枝さんのこと、好きなんだよ。きっと、二人が望む形で」
「違うの。
…那由多くん。雨祢さんは…」
そして振り絞るように百合枝さんは言った。
「このまま泥沼に沈んでしまおうとしているの、きっと」
「…それは?」
「…まだ雨祢さんは、自分のことも、自分の過去も、どこか許せないでいる」
雨祢の、過去?
「…なに、それは」
「雨祢さんは、
自分の実家を焼いたのは、雨祢さんなの、那由多くん」
「…は?」
なに、それ。
「それは…」
それから百合枝さんは話始めた。
雨祢の故郷の話を。
雨祢の故郷、それは雨祢が生まれついた場所であり。
地主として作り上げた最高の楽園であったこと。
そして何かが原因でそれは崩れてしまったこと。
最後に取った作は、心中のような現象。
そして俺と出逢った。
皆目わからなかった。
「百合枝さん、俺ちょっとわからない」
「雨祢さんはきっと、身の危険のような本能で親戚を探したのだと言っていました」
「どういうこと?」
「放火は雨祢さんが犯人だと、誰も知らなかった」
「なんで雨祢は」
「息が出来なかったって」
静かに百合枝さんは言った。
「ずっと母屋で育ったんだって言ってました」
「なにそれ」
「外に出れば偏見しかない。元々、後から地主になり、大きな家を建てたからやっかまれたって、」
聞き出せば見えてくる。
「嫌われた結果だったんだろうって。自分はずっと、外に出たかったんだって言ってたの」
わからない。ただ、ワードを拾って浅く見てみれば話だけは繋がった。
恐らく雨祢はそれ以外に百合枝さんには話をしていないのだろう。
「だから私はあの人が、そう、何処か暗い場所へ行くのが」
「ありがとう、百合枝さん」
だからこそ、ちゃんとこの人には感謝したい。笑顔で言えただろうか、寂しくないだろうか。
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