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「あっ、そこ、雨祢くん、」

 正直疲れていたのかも知れない、が、本音だった。

 胸の膨らみは手に収まる程度で。
 手に絡み付く透明な粘り気のある、しかしさらさらもするその液体はどういった排泄物なのか、男の俺には全く理解できない。

 自然が産み出すローション?
 だとしたらこの、女という生き物は。

「あっん」

 中に入っていくこの感触は確かに取っ掛かりもなく滑らかでもない。なによりこの快楽は、
ズブズブに溶け往くようなこの自我を見失いそうなこの沼は。

 悶えるような葛藤。声にならない呼吸のようなリズムの律動に苦しみはなく、しかしどうして揺れるのと同時に女は皆、こう、

「いやっ、あっ、」

胸が揺れていて。滑らかで柔らかいけどなによりどっぷり浸かったこの快楽は恐ろしく。

「あぁぅ、」

 気持ちが悪い。
 しかし激しく気持ちが良い。なかなか離してくれない葛藤は肉感となり、様々な口付けを夢中にする。どこもかしこも包まれる生温い優しい快感はなかなか俺を手放してはくれない。

 何度刺激が、稲妻のような白を基調としたって、次の瞬間には優しい甘さが訪れる。微睡みに近付き刺激を求め、狂ったように身体は肉体を求める。

 これは捕食だと気付いた瞬間から、愛する妻を抱けなくなった。

 いつだったか、髪を切り、「切りすぎちゃったね」と、肩上くらいになってしまったストレートパーマの彼女が振り向いてその場で温いキスをし、抱いた夜がきっかけだった。

 愛してはいた。
 だからこそ怖くなった。

 ふと思い出してしまったのもある。

「切りすぎたね」

 遠い親戚の昔の一言。
 何故かそれで再熱した瞬間に気付いた。

 泣き黒子と首筋の黒子。
 今抱いているこの妻と。

 その瞬間世界の全てがひっくり返った気がしたのだ。

 淡水にいる気分に浸ってしまった。

ああ、そうか。
俺が全部ぶっ壊した。
俺が全部悪かったと。

 次の日から、家に帰れなくなった。
 変わってなどいなかった。変わったとしたら8年前に、親戚の家を訪ねた瞬間かもしれない。

 親父が自己破産なんてしなければ。
 俺が|御波《みなみ》家を漁ろうだなんて思わなければ、那由多に会うこともなく過ごしたんだろう。

 コーヒーを入れながら考える。
 寝室を覗けば、那由多はまたうつらうつらとしていた。

 精神病の薬の副作用にはよくあることだと、前の前に付き合った不倫相手の医者の息子が言っていた。

 家に帰らなくなって最初に出来た、たまたま行ったバーで知り合った男の子だった。那由多と同い年、ただそれだけで3度は寝た。

「那由多、コーヒー入ったけど、飲む?」
「…ん。ありがと、」

素っ気ないなぁ。
眠いなら寝ていいのになぁ。
思わずにやけてしまう。
なんだろうか、暖まるのは事実で。

「…まぁどっちでもいいからね。俺も少ししたら、寝るわ」
「ん」

 自分が那由多の兄、のような心境であることもあるのは事実で。
 だからこそ参るのだ。

 まぁ今日はなんとか治まった。多分数日はこの熱情が続く。

 今いる恋人をこれで切ってしまうというのも正直しんどい。身体的には多分もう、なかなか女性に慣れないかもしれなくて。

 子孫繁栄というのが恋愛論の最終ゴールなら俺は非道徳だ。利的な非道でありたいから、んなもんこそファック。穴があったら埋めてやる、俺はそれほど殺伐としているかもしれない。

 好きだけでやってはいけない。それは大いに解る。しかし結局生命保持だとか世間体だとか、そんなもの、果たして利害が一致しないで意味なんてあるか?ただの防衛本能としか思えないだとしたら俺に防衛するものなんて、本当は存在しない。

 ただ那由多とは離れられない。

 エゴを越え全てを越え、これも本能的な物だ。これと子孫繁栄は繋がらずだから愛したいわけではない。

 純粋に不純な純水を求めて何が悪いという。本能で人間を愛して最後に行き着くのが例えば、
捕食だったとしたら。

 あの感覚と変わらぬのならそれもまた甘美だ。だが俺は今喪失感がなによりも。

 失うこと。
 これに対しての防衛が利いている。
 果たして何もない俺が得た甘美を、捕食という形で喪ってしまったら俺は。

 生きることへの渇望、葛藤など無意味な現象ではないかと、そのうち食うものを亡くした俺は何をするか。
 手から食うか尾から食うか、視界に入った羽根から食うのか。

 まだまだ俺だって、飛び立てないんだ那由多。ずっと先まで。

 閉じた瞼に慈悲を感じる。そっと触れた頬に微かな低い熱を感じる。

人はこうして呼吸をするはずなんだ。
好きに差別をされることなく誰からも性を、生を強いられてはならないんだ。
だからあの女は許せなかった。
あの教員は憎たらしかった。
あのガキ共は殺してしまいたかった。

 君のあんな空虚な絶望を見たら尚更加速した。人はこうして堕落すると。

 昔の俺を見るようで君は怖かった。

 一目で思い出したんだ。母親を愛した自分の性倒錯を。父親を憎んだあの頃を。

 喘いだ君の母親はなんて醜く見えたんだろうな。あんなクソババア、ダニでしかない。

 しかし血縁、俺の母にも、似ていたんだ、凄く。だから暴挙は俺が止めるしか無いんだよ、那由多。

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