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「知子さん。
その…、浩さんに、あれから会いました?」

 その名前に知子はフリーズしてしまった。ゆっくり、ぎこちなく、機械的に陽一を見た目は黒く夜空のように澄んでいて、宇宙のように網膜がある。
 そんな目で見て欲しくなかったんです、どの口がほざいて良いか。

「こ…う…?」
「はい、」

 声を、潜める。

「浩さん、先日出所したようです」
「えっ…」

 同じような驚愕の先に雪を見る気がする。誰だって怖い、その恐怖に手汗を握る。貴方も雪も…俺もそうなんだ。
 だがこの気持ちは混じり合うことがきっとない、ない方がいいのかもしれない。

「…今日は…それを聞きに」
「浩が出てきた…っ!」

 六人部屋にヒステリックが霧散し、すぐに知子は布団を握りしめ、震える。暴力に耐えるような、沈黙だった。

「…知子さんのところには、来てませんね」
「待って、それって、」
「…安心しました」

 落ち着いた声に知子は少し、息を呑んだ。それからすぐに「…ごめんなさい、」と謝る。
 そうじゃ、ないけど。

「…知子さん…。
押し付けがましいですがもしも何かあったら、俺に相談してください」
「…陽一くんに…?」
「…雪の為にも、それが…」

 それは、揺るぎない。
 あの男は、最低だった。

「…それが良いような、気がするんです」

 だけどそれを言う俺は何様だと言うんだろうか。

「いい加減にしてくれよっ…なんで助けたんだよっ、お前っ、」

 錯乱なのか本心なのか、
 どちらにしても1年前に血塗れの手で雪が泣いたことは嫌でも浮上する。俺は何様なんだ、それは確かに被害者かもしれないけれど。

「…雪はっ、」
「…知ってます。伝えました」

 それだって本当は、この人達を怨むのは、自分を殺してしまうように辛い気がして仕方がなかった。だから、エゴの行き先が間違っているんだと自分でも気付いている。

 純粋に幸せになって欲しかった、もう暴力的に擦れた日々は終わりにしようと言いたかった。
 自分の悲しみは姉がどうにかしてくれた筈だったから。それになりたくて仕方ないのだけど。

「…陽一くん、」
「知子さん…、」
「…来月、13回忌でしょっ、」

 哀しみは擦れて痞《つかえ》て響いてくる。小さな、その声が。
 自分の方がそれは何も出ていかないで喉に熱ばかり残して擦れる。

「…ごめんなさい、」

 泣きそうな顔で言う知子はあの日より痩せてしまった、違う、そうじゃない、だけどそうだそれは薄汚したくないだけだった壁で。

 もしかするともう、ここには来ない方がいいのではないか。
 ずっと、ここ1年、雪と知子と再会してから蟠《わだかま》っていた感情だった。
 ただただ一つの自意識過剰な刃物でしかない。

「…本音を言うなら、知子さん。
貴方も、俺も…互いに救われたら良いだなんて、そう、素直に思っただけだったんです」

 貴方まで被害者にするつもりもなく、加害者である必要もなかったのに。

「…姉を助けられなかったのは俺もで…ずっと一人で姉は笑ってくれていたことが、俺には許すことが出来なかった」

 母親の、死んだように生きていたそのネグレクトに気付かなかった訳じゃないのに。高校2年ならわかっていたんだ、俺はただの、子供だったけど。

 知子の黒い目が自分をどう捉えるかと自意識過剰になる。きっと自分は被害者面を下げて加害者を追いやろうとしている加害者に成り下がった。

「…何を思われても、せめて、本部だって構わない。出来れば俺の耳に届けて欲しい」

 加害者面して言うべきなのか。
 この人はただただ母親だっただけだ。自分はただただそれで父を手に入れてしまった、全く無関係のはずだったのに。

 浩は一人母の代わりであった姉、遥を強姦し殺してしまったという事実のみがそこに一つぼっちで残されただけだった。

 また、
 それすら言えずに陽一は病室を去ることしか出来なかった。

 何を助けた気になりたい、何に助けられた気になりたい、違う、どれも本心とは少し離れている筈なのに、何も頭からは浮上しなかった。

 だから浩、頼むから俺の知らないところで殺されてくれよ。血の繋がらない俺の義父なら本当にそれをやってのける。

 どうして知子さんはあの男を連れあの男の愛人として雪を助けてこの世に産んだのだろう。どうして雪だったのだろう。きっと、俺には一生わからない。けれど、彼女が強い女性だったのだと、そうは思うよ雪、歯噛みする。

 ふと、意識を奪うケータイの着信に罪悪感が沸いた。
 雪の働くミュージックバーからの着信だった。

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