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「…何」
そうか。
雪はもしかするとこの実兄にいつも、これくらいに冷淡なのかもしれないと、陽一は初めてこの兄弟の実態を見た気持ちのなかで、この野郎がどこまで雪に話してしまうかと、そわそわし始めた。
見下ろしている雪に浩は嘲笑う、「お前ぁ愛されてぅよなぁ、」しかしいまいち聞き取れない、「何?」と雪は浩に疑問を投げた。
「…アホか、お前は」
罵りの意味がいまいちわからないのは先程の浩の言葉を聞き取らなかったからなのだけど。
「…お前はいつもそぉなんだお、雪ぅ、」
「…何が」
「俺なんて」
「必要ないことは喋んじゃねぇよこの野郎っ」
陽一は今度は浩の鳩尾を殴り、口を封じる。
気まずく振り向けばどうにも、雪は酷く無感情な表情で二人を見下ろしていた。
「…陽一。
取り敢えず、救急車を呼ぼうか。…父に、連絡取れる?」
「雪、」
「俺に出来ることなんてそれしかないでしょ」
黙った。
多分、そう。
追い込んでしまったが平然とそれをやろうとする、握った拳が震えている雪に声を掛けてやる資格が陽一にはなくなってしまったのは明白だった。
だがそんなのは果たして、
何になるという、どの面下げて言うことなのか。
沈黙に逃げるしかない。
「…違う、」
自分も追い込まれているくせにどうしてこうも生きていることが不便なんだろうか。
痛む表情で俯いた陽一に、言葉を掛けるよりも先に、「電話、貸して」と雪は言った。
「…また、」
しかし浩はそれに従わない。
「もう、来ねぇよ、雪、」
浩は痛がりながらもゆっくりと動き始め、立ち上がりの際に陽一が然り気無く手を貸した。
二人を見るが何かを言ってやる気も失せたようで、ふらふらしながら浩は家から出て行った。
ドアが閉まる無機質な音に、本格的に日常の静寂が流れ出した。
雪はただただタバコに火を点ける。空いた二つのハイライトのうち、残数が少ない方に手を伸ばして。
日常に気が付いたが、外はどうやら曇っているようだ。台風が過ぎ去った今、部屋の中が鬱陶しいまでに暗い。
自分はどうやら浩の、首に掛かった綱を切り落としたらしいなと、ハイライトを吐き出して雪はぼんやりと考える。
しかしどうやら、陽一の綱は絞めたらしい。
「…殺したかった?」
ぼんやりと、線香のように真っ直ぐな煙を眺めて雪は陽一にそう言った。
この煙は少しだけ、何故だか甘い香りがする。青く見えるような気も、する。
「…お前は?」
「どうかな…」
むしろ、殺されてしまった方が楽だったなんて言えるわけはなく。でもきっと陽一は、浩とのやりとりを聞いていたはずだった。
「俺は殺したかったのかもしれないな、浩を」
そりゃ、そうだろう。
陽一はまたマルボロを取り出し、火を点ける。
着火すればそれを指に挟んだまま、俯いた。手に血は滲んでいるのが、見える。
「…16の時、俺さ」
やるせないのか、片手で少し後頭部を掻きながら陽一はぽつりと言う。
「ウチの高校さ、一年は入学からうーん、夏休みで漸くバイトOKみたいな規則があってさ。夏休みにバイトの、なんか申請?を学校に提出した気がするんだけど」
ぽつり、ぽつりと。
曇天から雨の音がし始めた。
「けど、バイト面接は入学が決まった時点ですでに、通ってたんだよね」
「あぁ…、4月から正式にバイト採用ですよみたいな?都立?」
「そうそう。都立の方が安いじゃん?中学の時、まぁ、だから勉強してさ」
「そうだね」
「でさ、まぁ…一年って15、16の歳か。まぁ、夏休みまでこう、バレないようにバイトしてさ。姉ちゃんに通帳渡して、生活の足しになったらとか、多分考えたんだよ」
「…そう」
「ホントは「行かなくてもいっか、第一行けないよな家《ウチ》は」とか思ってたから、姉ちゃんがさ、「高校はまぁ出ときなさいよ」って、頑張ってキャバクラ始めたの、ちょっと、嬉しかったんだよね」
「…そうなんだ」
あまり吸わずにマルボロの灰が落ちそうだと灰皿の、空き缶を陽一に出せば「さんきゅ」とその灰を捨てた。
「…家も似たようなもんだったよ。母さんと二人で働いて、ただ、高校に入る金銭は、それほど苦労しなかった」
「あぁ、青柳さん?」
「そう。札束で入学金が来たらしい」
「すげぇな」
「ホントだよね」
意外と青柳はやはり、雪のことを曲がりなりに気に掛けていたのかと陽一は思うことにした。
本当は体裁なんだろうと、雪もわかっているのだろうけども。
「…母さんがこっそり高校に出してくれたとき、家は嵐だったよ。浩にバレてさ」
「…あぁ、ありそうだなあいつ」
「これは大変だと、母さん別口座…いや、俺のだけど。作ったみたいだったよ」
「…振り込みはあれか、知子さんのだったのか」
養育費の。
なんとなくそこまではっきり言わなかったが「そうだよ」と、雪は静かに答えた。
「…から、札束はバレなかったんだけど、俺が高校に入ればまぁ、わかるよね」
「そうだな」
「無理して入った高校も、まぁ、ねぇ…」
「そうだな」
互いにあの一件で退学しているのは承知だ。
「…青柳さん、一応「高校卒業すれば?」とは言ってくれてたよ、俺には」
「卒業すればよかったのに」
「んー、意味ねぇかなって」
「…そうだね」
「雪はなんで辞めたの?」
「『意味ねぇかな』、かな」
無難な答えが続いてしまうが、どこかは本音だった。
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