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「で、|アレ《・・》は元気にやってたの?」
陽一は昔からこの男の顔が嫌いだった。
古くさい、薄汚れたように見える和室の、薄汚れたようにしか見えない柳の木が男の向こうに垂れ下がっている。
この胡散臭く目の前で左に傷の入った嘲笑を浮かべる和服の当主は父、青柳誠一郎《あおやぎせいいちろう》という男だった。
「…元気でしたよ」
「そう、それはよかった。父親としてはそれに尽きるよ」
父親としては。
目など濁った、血まみれのカミソリにしか見えないというのに。口上だけは遥かに立派だった。
「アレはさて、父親の顔を覚えているかなぁ、川上くんから見て」
「…さぁ。あまり話すわけでもないので」
「あれから君は通ってるんでしょ?まぁ、仕事にしたら上出来だけど」
あれから。
「まぁ、そうですね」
「父親の話の一つも出ないわけ?」
「忘れてしまっているかもしれませんね」
「…本当に可愛くない子だねお前は」
漸く血の気のように、露骨に表情筋がぎこちなく下がるそれは、果たしていつの傷なのかと陽一は皮肉を心に思い浮かべる。
表情筋一つしか差がないこの男の顔にも慣れてきたところだ。
「まぁ、兄弟として仲良くなくても別にいいんだけどね、その方が」
「…仲悪くはないですよ」
「そうだね、互いに命を助けるくらいにはね」
本当に他人行儀の冷たい男だと、喉元に刃物を当てられた気になる。
「…お義父さん、お話があるのですが」
「森山浩だろ」
わかっていて前髪まで掴み上げられるような一言。この男は狡猾だ。下手気に抵抗をすればそのまま頸動脈を切られるだろう。
「…ご子息の行方がわかりませんが」
「本気で言ってる?」
「本気ですけど」
「…可愛くないなぁ。まぁ、こんな時期だから言葉を選んで欲しいんだけど」
「…失礼しました」
「…お前さ。
ウチの《・・・》を知っているだろ?アレ《・・》が喚いていてね。本家筋でもないお前をどうしようと言うんだかな。あんな不良品に言われても困ったところなんだけど」
それは。
息が詰まるような気がした。真っ先に、あの日の表情も殺した少年が思い浮かぶ。
「…はい?」
「わかってるよね。俺の遺伝子なんて雪しかいないでしょうが」
「…そ、れは、」
「だからバカなことされると困るんだよね。端とはいえ」
…このクソ野郎は正気でそれを言い出しているんだろうか。
頭に浮かぶ、霊安室の廊下の伏せた目が。
「…お義父さん、それは…」
「お前たちのためにもあんな端女の倅は殺しちゃいなよ、怖いんでしょ?」
…このクソ野郎。
「…浩の居場所を掴んだのですか」
「お前がお義父様にお願いするなら考えるけど」
「はっ、」
「但し、
わかるよね?お前がそれほどの力を持つなら考えるよ」
「なん、」
「責任ってもんでしょ。お前、その覚悟でここに来たんじゃないの?
早い話が外聞が悪いんだよ、俺の。おちおち隠居も出来ないのは妻のせいだね」
…なんだっていう。
「それとも雪を説得するかい?あの子は母親譲りの骨の太いやつだよ、多分。俺の話を振っておいて幸せになろうなんて、考えるなよ」
…喉元に押し当てられたそこから少しばかり鮮血が流れたような気がした。
「わかったら行っていいよ」に急降下して冷や汗が流れる気がする。
雪、お前にこれを話して良いわけがない。
「あぁ、お義父さん言い忘れてましたが…。
雪はどちらかと言えばヘテロでもないそうですよ」
ならば強がりに陽気を叩きつけてやろう。
青柳誠一郎は「ははっ、」と乾いた笑いを叩き返し、頬の傷まで下がる表情で睨む。
「吹かすなよ、この小童がっ、」
吠え吐かれた。失礼しますと後にする。
本当はあんな男もこんなクソ野郎も殺してしまえるならそれは願ったり叶ったりだが。
『ねぇ母さん。
どうして俺を産んだわけ?』
伏せ目で言った少年の表情を殺した悲しい現実は、利己かもしれない、自分と酷く似ていると感じたのだ。これは現実と意識と…現実の目眩に酔う話。どうすればいい、自己顕示と自己投影と…憎しみと罪の意識が一緒くたに降りかかる。
ただ自分を助けたかった。
それだけシンプルにあの少年だった日に言えたならどれだけよかったのか。気付いていた、母親の顔すら本当はあの時点であまり見たことがない、散らかったちゃぶ台と散らばったあの部屋と、
姉の笑顔が混ざっていくように。
俺は何かを救おうとするときは遅すぎるんだと、歯噛みするような気持ちだった。
赤い、浴槽と、あの諦めに、殺されそうだ、未だに。
結局被害者はどこまで行っても、被害者だ。
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