6
家に帰ると、環が米を炊いて待っていてくれた。
「ただいま」と帰ると早々に伊緒が、「流星さん、今日はカレーが食べたいです」と言い出した。
「あ?はぁ、いいけど、材料あった?」
仕方なく冷蔵庫を見ると、カレー粉がない。
てゆうか、カレー粉がない。なにそれ。
「じゃ、俺買ってきますね」
「あ?はぁ…」
「環さんは?カレーで良いですか?俺今日凄くカレーが食べたいんだけど…どうでしょう」
「あぁ、はい…」
事を見守っていた環は忙しない伊緒を見つめて言った。
「伊緒くん、疲れてるでしょう?私が買ってきますよ?」
「いやいやいいんです!俺が勝手に食べたいんで!流星さんのカレー美味しいから」
そう言って控えめに笑い、それほど急ぐ様子もなく伊緒は出て行った。玄関の音を聞いて、環と目を合わせる。
「…ただいま」
「おかえりなさい」
最近の習慣だ。どんなときでも、言葉を取り戻しても、流星はちゃんと、環には言葉を一つ一つ掛けることにしている。
それは単純に楽しいし、幸福を感じるからだ。環と共に話して、共有して、それがどんなに小さな事でも、満たされるのだ。
「さて、作るね。
珍しいなあいつ。普段はあんな…」
「なんか、あったんですか?」
「いや、特に変わったことはないんだけど…腹でも減ってたのかな」
一言もそんなことは言っていなかったし微塵も感じさせなかったが。
「じゃぁ、私も手伝います。なにしようかな」
嬉しそうに環は流星の隣に立った。
「あ、その前に、着替えてきたら?」
「…そうだね。
じゃぁ、野菜を洗っておいてください」
「わかりました」
環に甘え、取り敢えず寝室に向かい、ネクタイを緩める。
これってホント意味あんのかと、毎度着替えたり着けたりする度に流星は思う。これがないとなんかだらしないと言う日本人の感性、どうかしている。第一俺は何回喧嘩でこれを引っ張られた、引っ張った?瞬《しゅん》も諒斗《あきと》もちゃんと着けてくるが俺は多分、ある日突然あの二人がこれをしてこなくても全然キレない、むしろ褒めるかもしれない。
などと無駄なことを考える。
確か政宗はキレなかったが、昔注意されたなぁ。とか言う本人は大抵ネクタイをしていない。するのはお偉いさんに会うときだけで、それも部署のデスクに突っ込んである。
よく緊急時に、「やべぇ、ねえし!」と焦っていて、最終的に見つからなければ「潤、てめぇは絶対にお偉いさんと無縁だろ、貸せ!」と言い借りている。
後に潤が発見して着けていれば、「あ、てめぇどこに隠し持ってやがった手癖悪い!」と、こんなんだし。
「デスクの2番目だよ、あんた整理整頓くらい出来ろよ」
「それはなぁ、愛妻がくれたやつな」
「はいはいはい3回目、クリスマスにでしょ、なら尚更。片付けとけてかそれしか持ってないのかよ」
あぁ、そういやクリスマスどうしようか。
回想から戻る。ズボンを履き替えぼんやりとシャツのボタンをだらだらと外していると、「流星さん」と、環が覗いてきて。
「あっ」
「ん?なに?」
振り返ればなんだか気まずそうな環がいて。
しかしこれはこちらもそんな反応でいけば延々としてしまうだろう。
「どした?」
「いや、あの…。
流星さん、傷だらけ…」
あぁ、そんなことか。
「あぁ、まぁ…。色々ね」
確かに、幾つも、痕が残ってしまった傷がある。しかし、それを人に言われたのは初めてだ。
「勲章ってやつですか?」
「あぁ…」
そうか。
こちらが返答に困っていれば今度は環が自然に笑ってくれた。
「カレーって、お野菜何入れるんですか?」
そしてそんな質問をかましてくるから、思わずにやけながら「はぁぁ、」とか返してしまったが3秒経って、「へ?」と、真面目なトーンに変わる。
「大根とほうれん草は洗ったんですけど…、あと普通なにを洗うべきかなぁと」
マジか。
「…ご家庭によるからねー…。ちなみに俺の保護者は玉ねぎと牛が主流だったらしいが関東は、ニンジンとジャガイモと玉ねぎと豚肉らしいね」
「あら」
まぁいいか。
「スープも付けよう、よし、作るね。ありがとう」
「うわぁぁ、ごめんなさい」
へこんだらしい。しかし確かこんなときは。
「特訓しましょう。さて、ここからだよ環」
こんな感じだ。確か雨《あめ》さんはこんな感じで潤を調教したと聞いた。
「はい、頑張ります!」
「よし、」
気合いが入ったらしい。そんな彼女に、無性にハグしたい衝動だがこれは気のある女子にやったらやましいと樹実に言われたことがあるので、取り敢えずは手を伸ばし、頭を撫でる。見上げた環の顔が上気する。
それからは二人で、今日あったことを話ながらカレーを作っていく。大体が潤の話だ。
「そう言えばさ」
「はい?」
「環、クリスマス何したい?」
「クリスマス…ですか?」
考え始めた。
「いやぁ、今日、潤に聞かれてさぁ」
「あぁ…そうなんですね」
「と言うか実は俺さ」
環の横顔をみると、目が合わない。環の視線はずっと食材だ。
「実は…クリスマスって、一度しか祝ったことなくて」
「え?」
流星がぽつりと言うと、環は驚いたように流星を見上げた。
案外流星のそれは本当のようだ。いつも通り、彼の濁りなく真っ黒い、しかし白い部分との境界がはっきりした目。涙の薄い膜で覆われたその球体は、冬の夜空のように澄んでいる。しかしながら疲れは、少しの充血で見てとれた。
「だから、その…よくわかんないんだよね」
「そうですか。でも私も…あまり祝ったことないかも」
「ただ…」
何かを懐かしむような流星の顔が、少し、切なそうで。ただ、どこか楽しそうでもあった。
「一度、日本で、人生で初めてのクリスマスが…すごく綺麗だった。観覧車に乗ったんだ、保護者と」
「いいですね、観覧車」
そう環が微笑んだ。
「私、観覧車乗ったことないんです」
「…俺もその一回だけだ」
「じゃぁ…」
二人で微笑み合う。
これは、成功である。
「ただいま戻りましたー」
タイミングを見計らって伊緒がリビングキッチンのドアを開けた。
いつから帰っていたのだろうか。
「おかえり」
「おかえりなさい、伊緒くん」
二人で振り返る表情を見て伊緒は、内心、成功したなと確信した。
- 7 -
*前次#
ページ: