11
クラゲはふわふわしていた。
正直、祥真はこの生き物が、海に捨てられたコンビニ袋にしか見えなくてあまり好きではなかったが、それをライトアップしたり、種類が思ったよりいたりしてわりと楽しめた。
ペンギンも、優雅に泳いでいて、それは非日常。日本ではこういった空間にしかいない生き物で。
金魚も確かにたくさんいた。うじゃうじゃいすぎて最早潤も雲雀も「気持ち悪ぃ」とぼやいていた。
でもまぁ満足。雲雀にとっては全てが初めて。
潤にとってもある程度が初めて。祥真にとっては、初めてではないが非日常の娯楽を楽しんだ。案外、一つ目は満喫。
二つ目は遊覧船。この頃には夕方に差し掛かりつつあった。
しかしながら流石に満員で予約は不可能だった。ディナーを兼ねて、船も観覧車も見える一流ホテルを予約した。
「やっぱあのサメすごかったよね!」
「あぁそうだね」
ホテルのベランダ。東京湾の波風は少し温い。ここはそう言う場所。しかしこんな、何が埋まってるとも知らぬ場所ですら遊覧船は流れている。その情緒は、それを忘れる非日常と現実で、ぼやけるように、ただ、冬の風にきらびやかだった。
「ねーねー、あれなに?」
ベランダで外を眺める雲雀は、いつもと違う景色と出来事にただただ幼い興奮が占めている。
「遊覧船だよ」と、シャンパンを傾けながら祥真は言う。キラキラ輝くそのグラスが、やはり少し、いつもと違うが、彼は完全にオフモードで黒縁眼鏡を掛けていた。
「ゆーらんせん?」
「楽しい船」
雑な潤の説明に、雲雀は「なんだよー!」と膝の上ではしゃぐ。最近の定位置だ。そんな雲雀の頭の臭いを嗅ぐのも最近の潤の日課だ。
「何してんの?」
「ん?」
「いや、それ」
「んー、なんだろ。なんか子供の臭いなのかな?落ち着くんだ」
意外なところで子供を克服。しかしなんだかそれはフェチというか、まぁ潤だから仕方ないけれども。雲雀も特に気にせず「あれってなに!?たいほー撃てちゃう?」とか言ってるし、この子供わりと素質ある気がする、変人の。
「あぁ…そうなの」
「いま祥ちゃん、絶対俺を変態だと思ったでしょ」
「まぁそれなりに」
「いやガキはノーチャンよ、第一嫌いだしホント絶滅させたいもん」
いやぁ、そんなに緩んだ表情で言われてもなんの説得力もない。けどまぁ、
「…楽しそうだね潤」
「…まぁ」
ふと、雲雀の頭から鼻先を離して顔を見る。頬に無邪気に伸ばしてきた暖かい手を自分の利き手で包んで「雲雀、」と呼んでみた。
「楽しかった?」
「うん!
だってすげぇの!サメがさ!」
「ふっ、またサメかよ」
「だって、だって!」
「よいしょっと」
潤はそのまま雲雀を抱き上げ、手摺りの方へ立つ。
高いけど、それほどは高くない。5階くらいの位置から見える遊覧船。その陸の向こうに、大きな観覧車。
雲雀が小さな手を伸ばす。少し寒さで赤くなった手。もう少しで、あの遊覧船を掴みそうだ。
「落ちるよ、危ない」
そう言って手を引っ込ませて片手で抱える。それくらいに小さな存在。自分で注意しながら、潤も手を伸ばしてみた。
掴めそうで、実は掴めていそう。しかし潤の透けそうな白い手は、空《くう》を掴むばかりだった。
「とれた?」
「取れないな」
「きれいだね、あれ」
そう、確かに綺麗だ。
非日常。手が届きそうなほど曖昧な。
「俺あの海一度、船で行ったことあるよ」
「マジ?」
「マジ。あんなに綺麗な船じゃなかったけど」
潮風が、
こんな都会のこんな海でも、あの重ったるさが新鮮だった。海を切ってくあの景色と、あの人の楽しそうな顔が忘れられない。
「ねぇねぇあれは?」
雲雀が陸の方を指差した。
「あぁ、あれねぇ」
今頃流星は何してるだろう。本気であそこのてっぺんで、ありふれた街並みをあの子と観てるんだろうか。
「明日ね、明日」
そう言えば上空から物を眺めたことはほとんどない。
「んー」
「いいなぁ、俺も混ぜて」
祥真がグラスを片手に隣に来た。それを見て潤は雲雀を降ろし、自分も片手にグラスを持った。
「潤は…」
「ん?」
ほどよい炭酸と、高揚と、哀愁と。
「楽しいかい?」
優しく微笑む祥真の、ダサい眼鏡の奥の瞳。
「…うん」
「よかった」
それから取り出す、少し短めのタバコとジッポ。火をつけて、それをしまった流れで祥真は潤の首筋に触れた。冷たかった。
「暖かいね」
「冷たい、祥ちゃん」
その手を取って暖める。近くには取り敢えず届くものが見つかったようだ。祥真は満ち足りたように笑みを深くした。
「俺も凄く幸せなんだよ、潤」
「なんかそれどうなのよ」
「そうそう、二人にちゃんとプレゼントも用意したんだ。潤にはマフラー、雲雀には手袋。二人とも寒くないよ」
「ホントに!」
「あぁ。雪にだって触れる」
「やったぁ!」
「俺も実はね」
照れ臭そうに潤はまた景色を見た。
「…祥ちゃんに帽子と、雲雀には、さっき見つけたゾートロープ」
「なにそれ?」
「おもろいなぁって思って。今時ないから…」
きっと考えたんだろう。
潤なりに、この日を、雲雀に忘れて欲しくなかったのか。
「…君らしいね」
「…そう?」
「俺にはどうして?」
「次元が好きだって言ってたから」
照れ臭そうに潤が言うのが、とても鮮やかに見えた。
「じゃぁ、部屋に一度戻ろうか。プレゼント交換だ」
これもまた初体験だ。
「でも夜景が綺麗だから、もう少し、居ようか」
「…うん」
波風が生ぬるく冬を感じさせる。
けれども、真ん中で雲雀は二人に抱きついた。ちょうど腰辺りの位置だ。なんだかこそばゆく暖かい。
「ありがとう」
泣きそうになっていた。
けど雲雀はそれでも笑顔だった。
- 11 -
*前次#
ページ: