4


 わかっていたがどうにも寝れなかった。
 風呂まで湯を張ってのんびりのぼせるくらいに漸くリラックスしたと言うのに。
 風呂に入れば、落ち着いたらなんだかそれはそれでどうしようもない寂漠のような、虚無のような物が頭をもたげ、そこに入り込む過去のような、感情のようなものは最早痺れをきたして鈍く潤の胸に刺さる。

 どうしたもんかなこの情緒。ぼんやりとしていても思い出す端っこは、脳の奥に顔を出すのは何故こんなにも嫌な記憶が多いのだろう。

 でも安心はしているせいか、良い記憶だって関連して思い出す。|雨《あめ》さんが祥ちゃんみたいに、浴槽洗ってくれた日、あったなぁ、とか。

 そう言えば目が覚めたら風呂場のシャワーを浴びていた、そんなこともあった。雨降ってんなぁ、閉め出されたっけと思ったら風呂場だったこと。あれって結局なんだったんだろ。結局風邪ひいて小学校を休んだんだけど、その後。

 良い記憶のあとには大抵嫌な記憶をこうやって思い出すもんなんだな、と潤はふと思って風呂から出た。

 保護者であった雨の記憶も、良い記憶が、素敵な記憶が本当に数えきれないほどあるけど最後は必ず、教会で眠るように胸から血を流して教壇に凭れていたあの姿を思い出すのだから。

 でも幸いは、自分は彼が死ぬ瞬間は見なかった。きっとあの人が殺したんだろうがそもそも彼は、あの人を救いに行ったのだし抵抗したような雰囲気も見受けられなかった。あの人だってあの時ばかりは何処と無く傷心していたように見えて、あんな最後を迎えた。

 彼らは今頃、死後の世界があるのなら、二人で楽しく酒でも飲んで、タバコ吸って笑い合ってるんだろうか。そうであって欲しい。未来だけはない彼らにそう、切に思う。

 リビングに戻ると祥真が、キッチンの換気扇の下でタバコを吸っていた。
 マジか、我が家は一週間そのスタイルになってしまうのか。

「どうしたの潤」
「…なにが」
「そんななんか、餌を待つ野良猫みたいな顔して」
「なにそれ。
 いや、なんか祥ちゃん、なんだかんだで家はタバコ吸っちゃダメなのかなぁとか思って」
「うーん、どうしよっかなって考えてる」

 というか雲雀はどうしたのだろう。寝かしつけたのかな。

「クソガキは?」
「寝た。髪の毛乾かしてからねって言ったのに気付いたらもう…」
「えぇ!?なんてガキなの!?」
「まぁ、疲れたんでしょ。ちょっと楽しみだったのになー。髪の毛乾かしてやるの」
「なんで」
「なんか休日のパパっぽいじゃん」
「全然よくわかんない」
「潤、髪の毛乾かしてやるよ」
「…俺もう25なんですけども」
「知ってますけども。雲雀とちょうど20個違うね。若ママだね潤」
「いやちゃうし。あいつ5歳か」
「そう。俺と22違うわ。2周回ってなくてよかった」
「うわっ。え、てか祥ちゃんマジ?あの鉄面皮と同い年か」
「あぁ、潤の上司ってか友達ね。そうなの?」
「やめてよ。あんなん腐れ縁だよ」
「あ、そうだったね」

 楽しそうに祥真は言う。タバコを一本出されたのでフィルターを見て、JTだと確認し、もらって火をつけた。こんなときロシアンタバコは役に立つ。

 しかしロシアンタバコに手慣れてきてしまったな祥ちゃん。これじゃなんだかつまらない。

「ロシアンタバコ対策か」
「いや、さっき一本引いちゃったんだよ」
「なぁんだ。じゃぁいいや」

 本当はよく見たら違いが分かる、と言うのは黙っておこう。当の本人は楽しそうだし。

「てか祥ちゃんのタバコ、大体ボックスだよね?祥ちゃんはソフト持ってるけど」
「あぁ、日本じゃそうかもね」
「てかなんでそれなの?癖強くない?」
「潤のは最早味しなくない?
 まぁこれはあれだね。俺|次元大介《じげんだいすけ》好きなんだよ」
「は?そんなん?」
「そうだよ。銃もコンバットマグナムなんだぜ」
「マジか、揺るぎねぇ。てかリボルバーっすか」
「うん、基本的には」

 それは古風だ。今時あまりいないだろう。

「潤は生粋のオートマ派だよね」
「うん。そうだねぇ」
「オートマはジャムるからなぁ。ただ連射するには楽なんだよねぇ。
 潤は肩外れないのオートマ」
「外れねぇよ。
 あ、|流星《りゅうせい》のは凄い。一回撃ったらハンパなかった。あいつマジ怪物だわ」
「一端の公安なのに?」
「あぁ、あいつは最早公安じゃないから多分。
 デザートイーグル間違って買っちゃったんだってよ」
「何それ、てかすげぇ。次元なら品がないって言うね」

 タバコを灰皿に捨て、「さて」と、祥真は嬉しそうに潤の髪を拭く。そう言えばさっき、乾かすとか言っていた。

「わかったわかった。ありがとう」
「きれーだね潤の髪の毛。そんなストレス溜まってる奴がなんでこんなキューティクルなの」
「そうかなあ?俺は逆に流星とか祥ちゃんの黒髪羨ましいけどな」

 元々髪色は薄い方だった。一回染色したら完全に黒が消えてしまった。

 それから洗面所に移動して、別に上手くもない技術でただただ髪を乾かしてもらったのが案外心地よかった。
 俺の日常はたったこれだけ。こんなもんなんだと潤は染々思った。

 寝室に戻って、ベットの真ん中に雲雀が陣取ってたのは非日常だが、潤はいつも通り壁際に寝転び、祥真と、雲雀を挟んで電気を消した。

 しかしやはり、それでもなかなか寝付けなかった。いつもなら、自分一人ではない環境、充分寝付けるはずなのに。
 祥真の背を見て、雲雀の寝顔を見て、一人暗闇で、薬でも飲んじまおうかと思った矢先、雲雀が「ママ…」と苦しそうに言う。
 仕方なく潤が雲雀の手を優しく握ると、暫くして安定した寝息を立てる生き物に、不思議な感情が沸いてきた。

 こいつも、そんな子供なんだな。そう染々思った。

 ふと寝返りを打つように身体をこっちに向けた祥真と暗闇で目が合った。彼は夜空のような眼差しで、「寝れない?」と聞いてくる。

「うん」
「そう、」

 そして頬に伸ばされた手。体勢的に雲雀は抱き締められているようで。

「祥ちゃん…」
「良い夢見れるといいね」

 その心地に目を瞑ってみた。祥真のその手は、自分の胸辺りで眠っている雲雀よりも体温が低い気がする。その手を上から包むように取り頬から首筋にずらした。
 せめて暖まればいい。そうぼんやりと考えた。

- 4 -

*前次#


ページ: