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 蝉の声が耳の奥から、いまだに思い出されるように聞こえてくる気がする。

 記憶の中の涼は、少し幼い。

 涼はいつでも図書室にいた。どのタイミングでここへ来ているのか。現在昼休み始まりのチャイムが鳴って5分くらいしか経っていない。佐奈子が図書室の扉を開けると、もう本を読んでいた。

 右に3冊ほど本がある。こちらの本はいかにも涼が好きそうな分野を思わせるタイトルだ。作家も同一人物。

 しかし今涼が両手で支えて開かれている本。“昆虫図鑑”と書かれていた。

「相変わらず早いね。まだ昼休み始まって5分だよ」
「夏休みの課題研究を探してるんだ。
…ねぇ、今日暇?
博物館にいきたいな」

 博物館か。小さい頃によく行ったな…。
 虫は嫌いだ。だが、久しぶりに涼と、同じ過去を持つ場所に行くのは、悪くない。

「久しぶりだね。一時期二人で通ったよね」

 涼はそれを誘いに大しての了承と取り、少しだけ微笑んだ。単純に、たまには二人でどこかに行きたいという目論みだったのだ。

「そうだね。あそこ、夏は涼しくていい」
「そうだね」

 それから二人は放課後をむかえる。一度家に帰り荷物を置いてから博物館まで歩いた。歩いていけるほどに近いのだ。

 10分程しか歩いていないのだが、着く頃には、夏の夕方に感じる独特な蒸し暑さに少し汗を滲ませる。館内に入れば、不自然で人工的な涼しさが二人を包み込んだ。

 やはり、あまり客を見かけない。確かに、平日の夕方に地元の者が来るような場所ではないように思える。

「静かでいいね、涼しいし」
「たまには、身体を動かしてみるのもいいんじゃない?」

 涼ときたら、いつでも室内に籠っている。体育会系とは程遠い細い体型に、佐奈子は少し心配になるのだ。だが、返事は分かっている。

「やだよー」

 予想を外れない、曖昧な表情での言葉。

「だろうね…」

 ちょうどその時、館内放送が流れ、二人は耳を貸した。なんでもその情報によれば、あと5分後の17時からプラネタリウムで番組を上映するらしい。

「どう?」
「いいね」

 二人は、プラネタリウムを見ることにした。

 客は二人と、40代くらいの女性だけだった。二人は、ホール内の南側の真ん中辺りに座る。

 しばらくすると暗くなり、係員が今回の上演内容のアナウンスを始めた。

「本日は当プラネタリウムにお越しいただきまして、誠に有難うございます。今回上演させていただきますのは、『夏の大三角形〜七夕のしらべ〜』でございます。夏の夜空を、最後まで堪能していってください」
開演のブザーが鳴った。初めは少ない数の星が浮かび上がった。

 番組は、30分程で終了した。

 ホールの外に出ると、若干温度差を感じた。少し振り替えると、プラネタリウムから冷たい空気が流れる。

「楽しかった?」
「うん、結構」

 佐奈子はふと涼の横顔を見る。顔色が良くない。

「…顔色…良くないね」
「クーラーが効きすぎてて…少し、頭が痛い」
「帰る?」
「ううん。
ホールの外はそうでもないから、しばらくすれば大丈夫。
鉱石コーナー、行く?」

 確かに、鉱石コーナーは好きだけど…。

 やはり少し心配だ。だが、涼が大丈夫だと言い張るのなら、どうにも仕方がない。

「うん。行く…」

 それから二人は真横にある部屋に入った。ここには、涼が探している昆虫のコーナーもある。

 佐奈子は鉱石コーナーのショーウィンドウの前で足を止めた。涼はそのまま少し先まで歩き、昆虫コーナーのブースに立ち寄る。

 色々眺めていたが、涼は蝉の標本の前で立ち止まる。ちょうど昼間、蝉のページを読んだ。

 思ったより、種類がいるんだなぁ。種類によって脱け殻が違う。アブラゼミの脱け殻には見覚えがあった。

 ふと気配に気が付いて後ろを向くと、佐奈子が後ろから蝉の標本を覗いていた。

「もういいの?」
「うん」

 きっと佐奈子は、心配になってすぐ来てくれたんだろうな。

「脱け殻だよ」
「気持ち悪い…」

 そんな反応の佐奈子に、涼は思わず笑みを浮かべる。

「まぁ、気持ち良くはないよねぇ」

 再び館内放送が流れた。あと30分程で閉館であることを告げていた。

「さて、帰ろうか」
「そうだね」

 二人は顔を見合わせてから歩き出した。

 受付がある入り口のドアとの隣。出ていくときに受付の女性が「ありがとうございました」と言う。

 外に出れば室内との温度差が襲う。同時に、聞こえてくるうるさいまでの蝉の声。その圧迫されるような大音声が、更に熱を感じさせた。

 木々に囲まれる公園の道を二人で歩く。すると、涼は急に横にあった木に近付いていった。

 何やら、木の肌を眺めている。

「どうしたの?」
「羽化してる」

 そう涼が言うので後ろから覗くと、先程見てきたアブラゼミの脱け殻のからまだ白い柔らかそうな蝉が羽化していた。

「こうしてみると、何だか綺麗だね」
「…白い」

 夏の、噎せ返るような蝉の泣き声。


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