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「涼ね、私には何も言わなかったの。あの子が家で手首切って風呂場で倒れていたのを発見したとき、搬送先の病院で意識を戻したとき、何も言わずに泣きそうな顔して笑ったの。
生きてんのが辛かったの。アンタみたいなやつは、軽々しく「それでも生きていればいいことがある」だとか言うんだろうね」

 実際に一度、祐介は涼の手首の傷を見たときに佐奈子が言った言葉と同じものを涼に向けた。しかしそれは涼を思ってではなく、死なれたら面倒だと言う頭が多少なりともあったのだ。要するに、うわべだけの偽善だった。

「それが、望まない人にどれだけの言葉か知らないで、アンタは自分の自尊心やらのために相手を考えずに言うの。ねぇ、何でもかんでも励ましゃぁいいってんじゃないの。綺麗事なの、アンタのは、偽善なの。
私は涼に、何も言えなかったよ。涼の辛さを見ていたから、なんの言葉も出てこなかった!
涼がね、嘘を吐くから、だから、涼のためにならないことだとしても、騙され続けたフリをしなければならなかった。何でもないなんて、んなわけないのに。
涼は本当に死にたがってた。あの子ね、あの日私をここに呼んだの。自分で死のうとしてた…。私にね、ありがとうって言ったの、わかる?わからないでしょあんな虚しさ!!だから…せめて、私が殺してあげたの」
「そんなのっ、」
「エゴだよ。私の自己満足、でもアンタだって変わんない。同罪だよ。じゃぁ被害者は?涼が何したって言うの?ねぇ、何したの!?どうして、どうしてよっ…!!
還してよぅ…還せよこのクソ人間共!!なんでなの、どうしてぇ!!」

 喚きながら崩れ落ちる彼女に掛けられる言葉なんて、なかった。それでも殺してはならない、殺したのはアンタじゃないかと言う醜い面や、彼女にはそれしか残されていなかったのかと、追い詰めたのは自分達だと反省する面、とにかく色々彼女には言いたかったが、祐介は確かに、彼女が言う通り誰よりもエゴイストで人殺しだった。

 そんな自分はあのときと同じで、結局今もこの自分より小さな震える肩を傍観することしかできないでいる。

 しばらくすると、真由が屋上から去った。

 佐奈子は再び立ち上がり、手摺に腕を乗せて体重を預けて風に当たっていた。

 風が吹いて、彼女の髪が空気にたゆたう。息をしてみれば肺は秋を痛感させた。

「蝉の話…したでしょう?」
「はい…」
「その後ね、一時間もそこで蝉が飛び立つのを二人で待ったの。飛び立った後、その脱け殻をそっとつまんで、家に持ち帰った。まだ、一緒に住んでいた頃…。
今でも、夏じゃないのに、その蝉は家にいる。
ねぇ三船くん。あなた、図書室に入ってきたとき、どうして私が腹違いの姉である栗原佐奈子だとわかったの?」
「本を読む姿…とてもそっくりだったんです。
栗原さん、俺も、涼に最後、笑顔でありがとうと…言われたのを思い出しました」

 最期に会ったときのその笑顔が、人付き合いが苦手だった涼が見せた、最後の笑顔だった。

 それは、彼の死を予感させた。わかっていたが、認めるのが怖くて、祐介は何も返事が出来なかったのだ。

「…そう、」

 それだけ返して佐奈子は、ふらりと危うい足取りで屋上を去った。

 階段から彼女の発狂を聞いたのを最後に、彼女を学校で見ることはもう二度となかった。


 ヒグラシが鳴いている。ただそれだけが聞こえてくるほどに広がる現実。

 目の前にある蝉の脱け殻と言うのは、恐らく罪の象徴でありそれは見た目以上に軽いのだ。

 彼は短くも生きていた。

 そして祐介はただ、漠然と生きなければならないと感じている。

 目に写る太陽はもう、茜色に辺りを染め始めていた。

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