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 無言で歩き出した彼に「飯島くん」と後を着いて呼び掛ける。

「あれからニーチェ、読んだ?」
「…ん?」
「私には意味がわからなかった作家さん」
「…そうだったのか?」
「うん。ただ、少し読んだだけだよ」
「そっか。
 俺は、そうだな、わからなかったよ」

 …読んだんだ。
 染まることをも厭わないからこそ。

「…大切にしてね、これからを」

 誰かを。

 うん、と照れ臭そうに行った彼に満足した。

 わからなくていい。ただ、寂しくなるのだから。思わせ振りなのも、いや、本当に愛してくれたとしたら尚更。

 私を知らない人がまた増える、こんな暗い感情なんて、どうしても泥沼にしか思えないから。

 他人の愛を受け入れる、優美で無償な愛。
 それは鮮やかに上と下で、海と空のように、混じるか混じらないかの色合いが綺麗なんだから。

「…大切にするよ」

 彼はそう、噛み砕いた。

 彼の家のベッドは、あの日の兄の景色と似ていた。

 擽るように制服を脱がされ、掛かる息に鳥肌を立てて。
 
 あの日私は兄の髪を撫でた。彼はこそばゆそうに「瑠璃、」と私を呼び、耳元で言ったのだ、「二人だけの世界だ」と。

 私はそれがこそばゆかったのだけど。
 今、あの夕日をとても悲しいと感じるのはどうしてなんだろう。

 ただただ、殺されたような気分で、でも、赤とも違くて。ただ何故か知っていたんだ、「お母さん」と、ぼんやり思ったことに。

 下着の上からずっと、突起を擦られている。
 「気持ちい?」とずっと耳元で聞いてくる飯島くんは切なそうで、ただ、「よくするよ、」と言って何も聞かずにぐちゃぐちゃと、指でされて。

「瑠璃、」

 微睡みはなく。はっきりしている。
 彼はきっと私を愛そうとしている。
 彼の熱さは充分わかった、だけどそれは熱いだけ。

 気持ちはわかったのだけど、もどかしくて、私はさらっと撫でたが「いいから、」と手を取られてしまって。

 譫言のような「好きだよ、」が湿っていた。
 綺麗事言ったって、という先生の言葉がよくわかる。

「どう?どうかな?気持ちい?」

 …確かに、そうなんだけど。
 彼の網膜は揺れて、塗れて。

 軽く身体が痺れそうになったとき、激しく擦られた。爪が当たる。それすら痕を残しそうで。

「…待っ、て」
「ヤバイ?」
「違う、」
「瑠璃、」

 ちょっと、

「ちょっと、待って……っ、」

 …わかってるけど。

 「いいよ?大丈夫だよ?」と夢中な彼に、あぁ千秋さんは、と考える。
 もどかしくて、切なくて。いつもは「夕飯何にしよう」とか、「次は新宿だ」と考えていたのに。

 熱い息遣いと、全てを包み込むような優しさ。
 初めて、泣きそうな程に「このままでいたい、このまま溶けて死んでもいい」と、彼の腕で考えたのに。

 「ねぇ、瑠璃、」と聞こえてきた声で現実に引き戻った。

「いいかな?いいかな?」

 聞きながら押し込んでくるのに「ちょっと待って」と半身を起こした。

 …ぐちゃぐちゃに混ざって溶けて、なくなってしまいたかった。それが、悲しかったなんて。

 飯島くんはイノセントで驚いた顔で戸惑った。

「…痛いよ」

 そう言えば俯いて「え、」と漏らし、そしてしょんぼりと「ごめん…」と言った。

「これが、良いのかなって……」

 …そうか。
 いや、前から、わかっていた気がする。

 足元で丸まったパンツを履きなおし「終った」と私は思った、飯島くんもそうみたいで、大人しく脱いだパンツとズボンを穿いた。

「……上手くいかなくてごめん」
「…ううん、大丈夫」
「瑠璃、」
「ちゃんと、言いたかったの」
「うん…」
「どうやって、愛したかったのかなって」

 私も、彼も。

 固まってしまった彼をよそに、私が帰る準備をすると「瑠璃、」と彼はなんだか、寂しそうで、何かを察したような、このときだけは同じものを見つけられたのかもしれない。

「明日は、」
「うん」
「来るのか?」

 特に答えられなかった。
 去ろうとする私に彼は「送る、」と慌てる。

「…ごめん、まだ終りたくなくて」
「終らないよ、きっと」

 出来るだけ優しくいおうと決めたら、彼は大人しく「そっか、」と出る準備をする。

 混じらず、でも同じ場所にある。西日はそろそろ夕方へ近付いて行く。
 そう言えば、夕日と夜ははっきりとわかれている。あれは一体何故なんだろう。

 最低なのは何より自分だ。

 迎えを頼まなければならないなと思い出す。
 最寄り駅を千秋さんに送ろうと、自然と名前を出したとき、手が止まった。
 飯島くんは何も言わずに着いてくる。

 私には、いつでも纏い付いているものがある。いま、漸く気付いたような気がした。

 名前も知らない、小さな感情。

 電話にした。
 すぐに「どうした?」という声がする。後ろの飯島くんが凝視した気がする。

「千秋さん、」

 でも、何を言おうか。

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