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 その頃はまだ、彼に大してはそれだけの印象で、まぁ、会うことなんてないだろう、なんならそんなことすら考えもしなかった。

 間もなくして星川匠の奥方、律子は自殺を図った。
 それは別に何の感情もわかなかったし、葬儀にも参列する気はなかった。
 しかしふと、あの可愛い気がない少年はどうなったか、これは頭を掠めた。

それが不思議で仕方ない。そんなに星川匠と近い間柄ではなかったんだけど。
僕はあのタラシ野郎には良い思い出がない。

 だがそれから数年後、思いがけないところで僕は星川匠の息子と再会を果たすことになる。

 当時の僕の上官、|有島《ありしま》|一等海佐《いっとうかいさ》が、ある日突然、あの少年をこの海軍訓練所に連れてきたのだった。

 数年ぶりに見た彼は、なんと言うか、当時より最早何かに吹っ切れた感が漂っていた。
 相変わらず年齢のわりに妙な大人っぽさはあり、そこに艶っぽさが追加されたように感じた。

 確かに星川匠の妻は美人だった気がするけど。それとはまた違う、なんというか、感覚的には売春婦のような、そんな印象を持つ艶を放っていた。

少し、それが引っ掛かった。

「遠い親戚でね。たらい回しにされていたので喜んで買い取ったよ」

 その有島の一言が全てを物語っていた。
少年の凄惨さを知った。
 彼はどう考えるのか。ただ、やはり生きた心地のしない少年だと思えてならなくて。

 彼はどうやら、海上高校へ通うのを目的として、そのために実務経験と銘打って訓練所で有島の付き人のような役割を任されたようだった。
 これでは本当に、寺小姓と言うやつで、それは訓練所にもあまり良い結果は呼ばなかった。

 彼はどんな無茶ぶりに対しても拒否をしない少年だった。
 誰がどんな仕事を頼もうが、「はい」としか言わない。訓練所の連中も面白がって彼を構うが、何事もそつなくこなしてしまうし、覚えてしまう。

 始めのうちはやはり、海軍訓練所の生徒たちも、“掴めない少年”と言う印象はあったらしく、彼をどこか敬遠する風潮が出来ていた。
 しかしそれも、彼が来て少し経てば収まりを見せ、露骨さは無くなっていったかのように思えた。
 だが不思議にも海軍訓練所では、突然現れたにも関わらず、彼へのやっかみやら妬みやらといった衝突は起きなかった。

 裏で有島が何か手でも打っているのかと思えば、見ているとそんなことも、どうやらない。
 そして有島は、放任主義といえば聞こえは良いが、何より彼を野放しに放置しているも同然だった。

 相変わらずの、可愛くないクソガキ。僕の印象は覆らない。

 僕はそんな変化も慣れた日々のなかで、たまたま彼を廊下で見かけたことがある。
彼に特に変わった様子はなく、普通に書類を抱えていたのだが。
 ふと、更衣室の前に差し掛かった時、彼は誰かに呼ばれたようで、そちらをちらっと見て立ち止まった。頷いてそのまま入っていったのを見て、僕はやはり疑問を抱いた。

 果たしてあの書類はなんだったのだろうか、寄り道して問題はないのだろうか。

 だが、僕は子供はそれほど好きではない。疑問は掠めたが、まぁ大したこともない。まぁいいやと特になにもしなかった。第一、有島の元に丁度向かっていたし。

 しかし有島は特に何事もない。
 彼の話題に触れることすらなかった。

 あっさりと有島との用事が済んでまた廊下を通ったが、不自然なくらい更衣室の方の曲がり角は静かに見えた。
 海佐室へ戻り一時間くらい経ってから、彼、星川匠の息子、星川潤が僕の部屋へ、書類を持って現れたのだった。

 あの書類は自分のだったのか。
随分と長いこと掛かったもんだ。

「|熱海《あたみ》…さん。この書類に判子をもらってこいと有島に言われました」
「そうですか。急ぎですか?」
「いえ」
「わかりました。夜までには終わるでしょう。ご苦労様。
 それにしても、さっき渡してくれればよかったのに」

 少し、僕は少年に嫌味やら、なんだかよくわからない疑問やらを込めて小言を漏らして見ることにした。

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