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「え?」
「有島さんに今会ったばかりなんですよ。効率が悪いなぁ。追加書類かなぁ」

 受け取って一番上の書類を見るが、そんなこともなさそうな、雑用じみた紙切れだった。

 まぁ確かに、その当時の僕の官位は|三等海佐《さんとうかいさ》。端くれとはいえ上官の分類だ。
 大体は判子だけの仕事だけど、大体が必要な書類ではある。
 だがその書類は、内容は生徒の履歴書だった。
 こんなもの、生徒管理なんて有島の管轄だろうに。どう見ても僕に押し付けられた仕事だった。つまり、僕にとってはいらない仕事だ。まぁ、急ぎでないことは理解した。ホントに、何故さっき渡さなかったのか。

 それをまたこの子供は雑用として押し付けられ、「はい」と聞いてしまったんだろう。
 まぁ、可哀想ではある。が、自我がないな。

「それとも、押すだけなのですぐ済みますよ。お待ちいただけますか?」
「あぁ、はぁ」
「ではその間、暇でしょう。お話でも」

 立って待たれるのも正直ウザいし。早く帰れという嫌味だったのだが。
 椅子を促すと、少年はマジで行儀よく(椅子座るのに行儀良くもクソもないけど、なんとなく)静かに座ったのだった。

 しかし待てども喋らない。
 却って落ち着かないな。
 仕方ない。自分で言っちゃったし、なんか話そうか。

「今日の業務はこれで終わりですか?」
「はい、まぁ…」
「じゃぁゆっくりやっててもいいかなぁ。こんな書類正直後回しにしたいんですよね。
 あ、これ。
 潤くんでしたっけ。これ、この書類。後で有島さんに返しておいてください。あ、これも」

子供に嫌味言っても仕方ないけど。なんか嫌。

 幾つか書類を分類して、いらない書類は少年に押し付けていく。
 そして初めて僕は、この少年の人らしい、ぽかんとした表情を見る。
 正直それですら、驚きだった。

「…はい?」

びっくりしたんだろうな。
こんなことするやつ、僕くらいしかいないもんね。

「いやぁ、これ僕の仕事じゃないし。あの人、人使い荒いなぁ。あ、…人事移動の書類もある…なんで回してくるんだか」

 更に少年はぽかんとする。

「え、でも…いいんですか?」

 なんだか正直、新鮮な気がしてしまった。
 僕は何故だか、漸く少年に笑いかけることが出来た。

「あ、知りません?
 僕わりと仕事選ぶタイプなんですよ。有島さんもわかってるだろうに喧嘩売ってんのかなぁ」
「…なんか…」
「ん?」
「いえ…」

 一瞬表情が緩んだ気がしたのに、少年はまた表情を隠してしまう。

「いま、変な人だなって思いました?」
「え?まぁ」

 案外素直に「まぁ」だなんて。

「僕も思います。こんなやつ他にいたら多分凄く関わりたくない。けどまぁ仕方ないですよね。他人に好かれようとやってたらこの仕事勤まりませんから」

 どうせ、それくらい有島に愚痴られてるだろうし、この少年だって他人からそれは聞いてるだろ。
 けれど君はずっとこうして、“上官の親戚”という肩書きで難なくここにいる君の用事を嫌味で後回しにする、やっかまれた大人の言うことを聞くというのか。

「はぁ…そういうもんですか」
「そういうもんです。
 てか、退屈じゃありません?
 君、船乗ったことありますか?」
「いや、ない…かも」
「試しに乗りましょうか。船酔いしたらごめんなさいだけど」

どうせ君みたいな温室、ゲロ吐いて終わりだよ。海軍高校だなんて。君みたいなお坊っちゃんは「いえ」と断るだろう。気が散るし戻って欲しいけど…。

 ちょっと、度胸試し感覚も燻った。ここで断れば君の根性なんてとも、嫌いな子供に対して思ったが。
 大人しい子ではある。しかし、俯く姿はまだまだ、15歳の子供らしさが見えた。

 君、多分、こんな経験なかったでしょ。本当はつまらないと思っているくせに、なんで感情を吐き出せないのかな、可愛くないと、思う反面で。
 君は僕にもしかしたら、似ているのかもしれないと、少し頭を過り、なら、と。
 子供に悪いことを教えるような気持ちになった。

「サボタージュといきましょう」と、子供が興味深そうなことまで言った自分が不思議で。
 けれど多分、本当は興味がありそうだが隠そうとする少年に手を差しのべたのに。

 一瞬、僕の手に少年が怖がるように目をきつく閉じた現象に闇を、一気に見たような気がした。何故僕がこの子供に始めから違和感を感じたのかも、明白になった気がした。
また、彼の表情を見たはずなのに。

 やり場なんて亡くしてしまった。頭をめぐった行動は、
この手で撫でてあげたら、余計に恐ろしいだろうかとか。だけど示す必要があるかもしれない。

 僕の脳裏には友人と初めて会った日に向けられた銃口が思い出された。少々違えど、

「…」

ぎこちないだろう僕の行動に、無言で見上げてくるその目は、警戒心のようなものがあって。

 僕は戦友をはっきりと思い出した。
君、やっぱりもしかして。

「はい、もしよければ」

 優しく言える自分に少しほっとした。
 少し、寂しい子供かもしれないなんて思えば気が楽になった僕がいた。

 再び少年に手を差しのべると、恐る恐るといったように少年は手を伸ばしてきて、僕が何もしないとわかったのだろうけど、それでもまだ恐る恐る手を借りて座った椅子から立ちあがって。

愉快になった。
曲がった子である。もう少し、クソ真面目な子なんじゃないかと思っていたが。

度胸、あるじゃねぇか。

 手を繋いだまま、僕たちはまるでこっそり、船に向かった。

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