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ハデス。
ギリシャ神話、地獄の神の名。これが俺の、名前だった。
キラキラと光るステンドグラスにふと、そんなことを考える。
綺麗だな。
光の導きだなんて、白々しいかもしれない。夜が怖い、だけど静かで綺麗じゃないか。だが、俺は。
どうしても右目はあまり光を捉えない。教壇に一歩ずつ、光射す方へと、歩いて。
果たして、俺は何だったのかと、導かれる気持ちで右手の銃を蟀谷に当てていた。
白痴的だった。
俺はずっと何を求めてここまで、一人で歩いてきたのか。
切迫、寛闊、希望、絶望。
暗闇が怖かったのは俺だって、そうだったのかもしれない。
右手に、そっと制するように雨の右手が重なった。
脱力やら虚無が押し寄せるようで、自分でもわかるほど力なく銃を下げた。
「参ったな」と振り返っても笑うことしか出来ない。驚くほどに雨の視線からは失意や哀愁、何より決意が見えた気がした。
生きている者はその場に、10人くらいしかいなかった。ルークも橋田も澤村もいない。いつの間に、また二人きりになったようだった。
左手でタバコを取り出す。
空になったソフトパックをその場に捨て、タバコを噛んだ。
雨もタバコを一本くわえ、俺のタバコに火をつけ、自分のタバコにも火を灯す。煙を同時に吐き出した。
思い出すことは様々で。
「忘れてたよ」
「タバコですか?」
「違うよ。お前忘れたのか?」
「何をですか」
「俺を殺すのはお前だったな、雨」
君は今俺を、殺すはずだ。殺してくれるはずなんだ。
しかし雨は「あぁ、そんなこと」と、何事もない、普通で返してくる。
「あなたとの約束なんてありすぎてわかりませんよ。リンゴちゃんのCDも返してもらってないし」
「俺のベンジーのCDも返して貰ってないな」
「あぁ、忘れてました」
「そうだな、忘れてた」
「あなたも、僕との約束いくつも、忘れてるじゃないですか」
「そうだな。
長かったな、俺たち」
俺はね、お前になら殺されても仕方ないだなんて、まだエゴイズムしか出てこないんだ。
煙を吐く。何も言葉が出てこない。
けれども、雨は笑った。
「あぁ、タバコが美味しいね、樹実」
「変なやつだな。まぁ、違いないけどな」
お互い笑いあって、灰が落ちた。
フィルターギリギリまで吸って、最終的にその場にポイ捨てして靴底で揉み消し、どちらともなく銃口を向け合った。
ルガー・レッドホーク。
会ったときからそれだったよな。
「多分、俺は間違ったんだろう」
「そうですね」
「だがもう戻れない」
「…樹実、」
雨は、優しい口調で俺の名前を呼ぶ。光のような、そんなむしの良い存在だと思えてならなかった。
「僕は貴方が嫌いです。あの時僕をエゴなんかで生かして…貴方は僕の思い出を背負えないと、だからついて来いと言った。
僕も貴方のことは背負えません。貴方ほどエゴイストじゃない。貴方ほど、ヒーローになんてなれないんだ」
そうかもしれない。
お前は俺より正直な男で、
「そうだな。だが雨、お前も結構良い男だよ。
救ってないとお前は言う。だけどお前はわかってないな。俺は救われたさ。潤だって、救われたのさ」
悲しそうに歯を食い縛る。
「やめてくださいよ今更。いまからあんたをぶっ殺したいのに」
「いいよ、別に」
「樹実、君は多分…。
少し繊細すぎましたね。僕くらいおおざっぱにやれたらよかったのに」
なんだよ、
「悪かったな。
お前だって、お人好しすぎるだろ。料理覚えちゃったり、こんな…誰だかわかんねぇやつについて来ちゃったり」
なんだよ、
「樹実は樹実です。僕の知っている樹実は、正直でクソ野郎で繊細な…樹実なんです。
一人で辛かったですね。僕はスポッターとしてクビですね」
「違うよ。
俺が悪いのさ、雨。俺、トラブルメーカーだから」
「自覚あったんですねじゃぁひとつ。
どっちが死ぬかわからないから、いっそ、お互いの言葉を一つづつ託しましょ。生き残った方が背負いましょ」
ああ、そうかよ。
「…なんだよ、それ」
「僕から一言。
じゃぁな、クソ野郎」
「雨…。
最高だったよ、クソ眼鏡」
あぁ…、終わる。
引いた。
どちらが早いか。
「雨…、」
完全に音はひとつだった。
何故、
何故トリガーを引かなかったんだ、お前。
心臓の少し横。まだ、喋れる。
俺の前に倒れた雨を抱き抱えるように
、寄り添って、
下がっていく体温と流れる血液。
「雨…!なんで…、」
お前はリボルバーじゃないか、雨。
息を吐くように雨が何かを言っている。
耳を近付ければ、なんと言ったか、『そんな顔をしないで』か。
青白い血の気のない顔で苦しそうに、でも笑っている。咳き込んだ痰に、血が混じっていて。
「…ありがとう」
それだけははっきりと言いやがった。ふざけやがって。
「ごめん、ごめん、雨、」
「…じゅ…んを…」
最期に雨は宙を見て、そして静かに目を閉じた。
ただただ悶えるように、一度抱き締めて歯を食い縛った。
思い出すのはあの戦場とあの場所と、何よりいつも、こんなところまで隣にいてくれた雨の、心地よい耳障りの声と笑顔と。
「右にあと2歩、あぁ、あと3」
「樹実、そんなにコーヒーばかり飲んでるから寝れないんですよ」
「あなたのことは大体嫌いですよ、クソ野郎」
思い出したら流れていくように止まらない。
終わりにしてやるのが、少し、遅かった。あの時ワガママで付き合わせてしまってこんなかたちにしていま、自分の目的には忠実について来てくれて。
「ごめんな…雨、」
だがもう、俺はだから、戻れないんだ。
雨の遺体は教壇に、凭れ掛けた。
多分、泣けなかったはずだ、俺は。霞む視界に血の気が、引いていく。教壇に座り、項垂れて拳を握る。
「終わっタノ?」
ルークの声がした。
銃声を聞いたのか、心配そうにルークは聖堂へ入ってきた。
終わりにしよう。
顔を上げて睨んだ空中には、何も答えなんてないように見えた。
「あぁ…」
「樹実…ダイジョブかい?」
「…外はどうだい?」
「そろそろ来ルよ。ねぇ樹実、」
「ん?」
「どうして君は、こんなことを始めたの?」
どうして。
「 It's gauche to ask such a question.
(んな野暮なこと聞くなよ)」
あとはただ。
未来への幕引きを待つだけだ。
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