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黙々と一人、茶碗一杯のうどんを食べ終えた常磐葵は、両手を合わせて「ごちそうさま」をした。それをぼんやりと、手を動かして見ていた日向に常磐葵が振り向く。
日向が手を止め無言で見つめ合えば、常磐葵が茶碗を避け、広告にゆっくりと平仮名を綴り、また振り返って見せる。
“ときわ あおい です。
ごちそうさまでした。”
日向はこくりと頷いて、「どういたしまして。君はどうして此処にいるんだ」とぎこちなく尋ねた。
「ソウちゃん、俺がね、」
「お前が呼んで切山が連れてきたのはもうわかった。だがそれは、君は逃げたかったのか、どうしたかったのかが尊重されていないだろ。
俺はひゅうがみなとだ。君とは初めて会ったがこのマンションの管理人だ。君はいまどうしたい。警察に行くのもいい、このままでもいい。こいつらが勝手に君を、今は誘拐したようなもので君がどうしたいかで色々変わってくるんだ」
子供に対し非常にわかりにくいが、日向の表情は心なしか穏やかだ。なるほどこの男、不器用なのかと切山は思った。
「…俺は思うんだけど、葵ちゃん。
君はそれでも、俺に抱きついたんだ。逃げたかったのかなと、勝手に思っていて、この人、まきしかのんさん。間貴志さんがここへ呼んだと言うのは、俺達のような他人が見て、咄嗟に、おかしいなと思ったからなんだよ。君の、話したいこと、まずは聞くから、ゆっくりと話してみないかい?」
間貴志だけは少し俯いて黙っていた。事の成り行きを見ているのか、人見知りがそうさせるのか、考えてるのか。
沈黙がそこに続き、間貴志がふいに「このおっさんは殺し屋だよ」と静かに告げた。
「夏音、」
「事実を言った。俺がこの子ならそんな親なんて殺して欲しいから。
外の世界は、思ったより広くて、でも知らないと、こう言うときにどうしていいのか、ただ、ボーッとしちゃうんだよソウちゃん。ソウちゃんだってそうだったじゃない。思考がどれ程意味ないかなんて、あの頃、そうだったじゃん」
「…だけど」
「自分で何かしようとしなければ意味ないけど、選択がないとそんなことも意味がない。俺はわりと良心的にこの子の未来を遮ってると思うけど、違う?」
嫌な思い出は時として自分を殺しに掛かる。自殺でなく、他殺のような現象だと間貴志はいま思う。なら、多分俺はいま、間違っていないと、振り返って誇らしげにでもしてやろうかと思えば、後ろからふわっと熱に包まれた。
偽善だろうと、罵りたいが果たして自分にか、この、自分を抱き締める相方にか、そもそも子供にかまけた新人にか、一瞬にして考えは浮くように飛散した。紫煙のように、空気中に。
「別に責めてねぇよ、夏音」
「…タバコ臭い」
「いや、イチャイチャしてる場合じゃ」
イチャイチャ?
二人が同時に切山を見れば、視界に入る常磐葵が俯き、正座した膝に置かれた両拳が震えていた。なんとなく間貴志が日向を払い、これもぎこちなくその左拳を包むように握った。
何も言わずに常磐葵と間貴志が見つめ合えば、意を決したように常磐葵はまたペンを握り、ゆっくり平仮名を並べた。
覗き込んで日向が溜め息を吐き、切山は驚いたように本人を見つめ、間貴志は黙って目を瞑り俯く。
“わたしを ころしてください”
子供のたった一文に、大人三人の間に少しの失意が見えた。
促すように日向が常磐葵の後ろから紙を指差し、生きとし生きられぬ声を拾おうとする。
常磐葵は淡々とした様子でまた書き始める。
“おかあさんはきらいです。
わたしもわたしがきらいです。
おかあさんは、おとこのこがほしかった。
だからわたしはいらないのです。
わたしはしにたくない。
だけどいきていてもいけない”
震えていく文字と肩に、「葵ちゃん、」と切山は声を掛ける。
「君はただ、生まれてきただけじゃないか。死にたくないならどうして、」
「切山。依頼に口を出すな」
「だけど、
間貴志さんも言ったじゃないですか、選択肢がないのは、どうかと」
「君は何故死を選ぶ。何故死にたくない」
諭すように日向は切山を無視してまた促すが、涙目の彼女が日向に振り返る。
「…別にいいけど。母親は殺さないのかそれ。
お前らなんでそんな辛い生活してるんだ。金を詰むなら考えよう」
「日向さん、」
「そうだな、母親に多額の保険金を掛け、いっそ君が母親を殺してその保険金で君の依頼を請け負う。どうだ?バカは全員死んだぞこれで」
「そんなの、」
「おかしいか?俺も選択肢を与えた。
ならお前は、この子を救えるのか切山。殺さなければずっと虐待。母親一人、子供一人でどちらかが死んだところで無意味なら、どちらも殺してしまうがいい。
大体、わからんがとにかく、死にてぇだの生きれねぇだの言ってる奴はいっぺん死んだ方がいい。自分も他人も無下にするのはそういうことだ。なぁ、死ぬってどんなことかわかってねぇだろお前も君も」
なんて。
歪んでいるんだ。
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