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「多分ねぇ、キリヤマくん」

 間貴志がうどんを食べ終えて小さな声で言う。

「理由なんてなんだっていいんだよ、互いに。目の前にあること、片付けられないから棄てるのも、時には必要だよ」
「でも彼女は」
「必要としない、されないと感じることは思ったより疲れる。自分を殺して生きることは本当にそれだけの決意がいる。
 アオイちゃん、まだ若いんだからやりたいことやれば?あんたがあと何年生きるか、長寿大国はね、自然の摂理なら80歳くらいまで生きるんだよ、最大でも人間の細胞は140で終わる。けどあんたがそこに生まれたのは運命だ。考えたら良い。男も女も親も子供も結局他人なんだ」

 切山は黙り込み、日向も感慨深く眺める。

 俯きつつも諦めのような、笑みに近い口角の相方は確かにネガティブだ。だが夢や光はどこか、この子供にも持たせたいらしいなと、

「好きにしろ。誘拐になるから明日の朝には家に返す」

 とだけ日向が告げれば、子供はその殺し屋の黒い瞳に何かを訴えるように見上げる。だが日向は特に何の感情も見せずに寝転んで編み物を再開した。

「切山、タバコが切れた。買ってこい」
「は、は?」
「セッターとマルメン1カートンづつ」

 こんな時に何を言っているのか。だが日向は至って普通だ。

「金はその本棚にある。
子供、お前も行ってなんか買ってこい」

 目もくれず、日向の足先、切山の真横にある小さな腰くらいの高さの収納スペースを日向は示唆した。

 納得がいかないことばかりだ。
確かにこの大人といては、この子はおかしくなるかもしれない。

 棚の真ん中辺りを見れば、それらしき物は、黒いがま口、隣の青い封筒。
封筒だろうと、切山は皮肉な思いで手にすれば、予想に反して硬い感触がした。

「護身用だ」

 と、やはり目もくれず言った日向に流石に切山は舌打ちした。中身はあのP226だ。それはそのまま戻してがま口を手にして立ち上がり、「行こ」と、切山は常磐葵を連れ出した。

「殺されんなよ殺し屋見習い」

 と言う日向の一言も扉で消して、切山は常磐葵と共に日向の家を出てエレベーターまで歩き始めた。

 確かに今自分が何のために、この、怯えるように自分の寝巻きのパーカーを掴む小さな手をここに連れ出したのか、切山はわからないでいる。

 しかしやり方はもっとあるはずだと、まずは勢いで出てきてしまったことに、「寒くない?」と声を掛ける。しかし、常磐葵は俯いている。

 例えば児童相談所にお願いするのはどうだろうか。父親である開業医に会いに行ったって良いじゃないか。考えていればふと、常磐葵が裾を引っ張って立ち止まった。

「どうしたの?」

 常磐葵は真横、正方形になった高層マンションの外廊下の向かい側を見ているようで。

 切山もそちらを見てみれば、モコモコで派手な白いコートを着た長い金髪パーマの女が手摺に凭れて若い、ホストのような派手なスーツを来た男と揉み合うようにキスしているのがライトに照らされていた。
最早公然わいせつのような光景。子供によくないと「葵ちゃん、」と下を見れば。

 常磐葵は静かに歯を食い縛りながらそれを見つめていた。拳は固い。

 あれが母親なのかと切山は察した。だとしたら、今お前の子供はベランダに閉め出したじゃないかと、少しその母に対し怒りが込み上げる。子供に飯も服もろくに与えない母親が公然わいせつ。

 向こう側の二人は顔を見つめ合い、すぐ目の前の部屋に入って行く。やりきれなく思えばふと、裾を掴んでいた常磐葵の重さが無くなった。

 常磐葵は切山を離れ、あの部屋に向かって前に、ゆっくり、それから徐々に走り出した。

「あ、待って、待ってよ葵ちゃん!」

 しかしすぐに、前のめりに常磐葵が転んだ。
 相当痛そうだ。

「大丈夫!?」

 と切山が声を掛けたら震えていた。しゃがんで手を差し伸べるが常磐葵は悔しそうに泣いている。

「葵ちゃん…、」

 そして目一杯に廊下を叩く。その手は掴んで握り、「どうしたいの、葵ちゃん」と切山は訪ねた。それからゆっくり膝を曲げ、正座をして泣きながら切山に対峙した少女の髪を切山は撫でてやった。

「お母さんが、憎いの?」

 涙を拭いながら頷く常磐葵に、「君はどうしたい」ともう一度訪ねて抱き締め、立ち上がらせた。

「俺、話を聞いてあげたり、誰かに相談したりしか出来ないかもしれない。少しずつだっていい、どうかな、それじゃいけないかな」

 常磐葵は綺麗な、子供の瞳で切山を見つめた。表情を柔らかく見せるように努め、

「お母さんに愛されなくたって、誰か、君の助けになる人はたくさんいるはずだ。君は要らない子なんかじゃない」

 そう優しく目の前で泣く子供に言い聞かせていく。

「そんなことで命の十字架を背負ったって、意味なんて」

 ふいに。
 常磐葵が、切山より先の。
 どこか、空中に近い先を見つめたことに切山は気付いた。常磐葵の涙は一瞬にして止まり、何かあったのか、そう感じて切山は後ろを向く。

 後ろには何もないが前、常磐葵が離れたのを一瞬で感じて顔を戻せば。

 立ち上がり睨むようにしてあの部屋を見つめる子供、次の瞬間には飛び付くように、外廊下の手摺にしがみつこうとしていて。

「葵ちゃんっ、」

 その行動は理解できない。だが子供なりの“必死”さに、切山はそれを阻止しようと抱き止めるが、暴れるように諦めない。

 必死に止めよう、止めようとしがみつく切山は、バタバタする常磐葵の足に苦戦する。徐々に身体は上にずれてしまう。

「落ち着いて、落ち着…」

 跳躍で。
腹辺りを蹴られた。
 ふわっと、
重さがなくなった。

「あっ、」

 よろけた拍子に見える、常磐葵が落ちるのを。

「なっ、」

 勢い余って下を覗き込んだ。

「うぁっ、」

 また後ずさる。
 青いニットは赤く染まり、まるで十字架のように手を広げた形が曖昧な子供が中庭にあった。

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