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何を考えているのか同居人は。
孤独に黙々と編み物をしている。明らかに目標はない。
暫くしたら出来たそれの全体を眺めるので、
「長くないかそれ」と、自分は出来はしないが声を掛けずにはいられなくなった。
ゆっくりと自分を見ては「やっぱりそうかな」と上の空で湊は言った。
ぽん、と膝の上に編み物を起き、「ダメだな」と、湊は諦めを意思し、「風呂入ってくるわ」と言った。
救急車が去る。慌ただしそうな雰囲気に活気が付く。そろそろ臨場に入る頃合いか。
この国の警察は優秀だ。だが、不能だ。
伸びをしながら立ち上がり、風呂へ向かう湊の背中を見届ける。
あの子供はきっと今のところは「身元不明」なんだろう。湊がどう殺したかは知らないが、そのままの方が浮かばれる気がしている。
電源を入れっぱなしにした暗い画面のパソコンを眺める。マウスを動かしたらあの痛烈な叫びが、聞こえるかもしれない。
幼い頃の自分から投げ掛けたい。
君にはきこえるかいと、言い捨てたい。
“わたしをころしてください。
おかあさんはきらいです。
わたしもきらいです。
おかあさんは、おとこのこがほしかった。
だからわたしはいらないのです。
わたしはしにたくない。
だけどいきていてもいけない”
君と違って俺は生きているんだ。ずっと、君よりも長く。多分またこれからも。
死んでみたところで死ぬ前と大差なく生きている。死んでいる方がマシかもしれない。だからどんな君の言葉だって、空っぽのいまなら受け入れられる。
しかし同居人はどうだっただろう。この刃を彼はどう受け止めただろうか。
重い腰を上げれば少し、電撃のような痛みを伴って背凭れに手を着いた。
めちゃくちゃ情けないな俺はと、カノンは半ば年寄りじみた動きでパソコンに向かい、言葉を消去した。
君は完全に死んだようだよ、|常磐《ときわ》|葵《あおい》と、漸くカノンにも、ララバイが聞こえるような心境に至れた。
痛みは過ぎれば悲しくも優しくなれる。
この、伝わりやすい平仮名という悲痛な讃美歌に、俺は無様に寝れなくなりそうだよ常磐葵。
俺だって君と大差なかった。自分も今頃母国では処刑台に立った人間だ。全てを無に服すには君の死は、早かっただろうが鮮やかだ。
こんなに不透明で白濁色の大人、人間になんてなるべきではないかもなと、同居人には悪いが思った。ここは絶対に意見が食い違い、また喧嘩になるだろう。
溜め息を一人吐いては「妊娠しそう…」とカノンは呟いた。声がやはり枯れている。暴力沙汰だな本当にと自分への苦笑を噛み殺す。
パソコンの横に置いていた薬局の違う薬袋からエチゾラムやらクエアチアピンだののPTP包装を取り出して、面倒で1片、二錠分ずつ口に含んでは、湊が用意したゲロ甘コーヒーで流し込む。
いま関税を通り、昔の自分が生まれたヘルシンキに帰ろうものなら逮捕されそうな気がする。今や捨てた国、捨てた自分、法律。故に情勢は知らないが、日本人ほどの薬大国、そうそうない。アメリカに毒された結果だとするなら、北国で断然いい。
とも言い難い。現状はここで“|間貴志《まきし》|夏音《かのん》”をやっている。
湊は出会ってすぐの頃に自分に言った。“夏音”は夏の音。風鈴のように姿が曖昧だと。
夏という季節、そして風鈴なるものをこちらで初めて知った。別天地の異世界のようなノスタルジックは嫌いではないとカノンは感じる。
しかしこの国は排他的だ。人の出入りも体裁。例えば自分がここで一人死んだとて、それすらきっと「身元不明死体」だ。現状と、大差ない。
あの子供の気持ちはわかってやらんでもない。だからこそカノンは、心を無にしたい、虚無へ飛散したいとまた薬を一片飲んでしまうが。
「…カノン?」
と、湊の声がしてはっと気付いた。
湊は自分を見て少し、眉を寄せて肩に掛かるタオルで髪を拭いた。
「…俺も風呂入って」
すとんと、
尻餅を着くようにカノンが崩れた。
それに湊は「おい大丈夫か」と手を差し伸べる。
「んん、大丈…」
大丈夫じゃない。
なんだろうか腰の痛みを思い出した。
ついでに胃も痛い。
「…ごめん痛み止め取って」
「どうした」
「凄く胃とか痛い」
湊は不機嫌そうにパソコンの横の、鎮痛剤100錠が入った箱の中身と、
処方の薬袋の中身を確認して無言でカノンを見下ろした。多分、呆れている。
「…胃薬確かあったな。
風呂昼間入ってたよなお前」
「…まぁ、」
身体が気持ち悪かったんで。
「…とにかく胃薬を飲んで寝ろ。つかそこにまず寝ろ。湿布は一人じゃ貼れないだろ」
「いや待ってまずホントに風呂入ってくる」
「逆上せるからやめろ。
わかった指圧してやろう。快眠だぞ」
こいつ…。
「お前ってさぁ、日本人でもズレてるって言われない?」
「言われるから早くしろ」
気が短い。
湊の腕力でカノンは腕を引っ張られて立ち上がらせられる。若干湊はイライラしているのか、言葉にした内容のわりに荒々しく目の前の寝室、ベットへカノンは、押し倒されると言うか投げられた。
レイプ犯かよ。
という皮肉を頭に浮かべながら仕方なしにうつ伏せれば、湊は本当にカノンのニットを捲り腰辺りを指圧してきた。
気付けばカノンは寝息すらなく寝ていた。
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