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 昨夜、身体が冷めて布団の中に入ったが、胸の鼓動が暗くうるさいばかりで結局火照ったままだった。

 朝起きて枕が血塗れになっていた。
 血は湿った生臭い、鉄のような生命の臭いがする。

 身体の芯が冷めているというのに自分の肉は柔らかい、低反発になったような奇妙な骨抜き感に起き上がるのが辛かった。

 いつも掛かるアラームを事前に三個は解除した。そんなことより鼻血をどうにかしなければと、いつもギリギリな僕にしては、それでもアラームひとつ分は早く障子を開ける。

 当たり前に薄い朝と穏やかな池が、僕の劣情と関係もなくそこにはある。
 朝とは全て真っ更なものだ。

 ぼんやりしそうだったが、「あらおはよう圭太ちゃん」と、古株の中川さんに声を掛けられ完全に目が覚めた。

「あらっ!やだ圭太ちゃん、鼻血っ!」

 鼻の下を擦れば確かにパラパラと血の塊が落ちる。

「…おはようございます」
「あらあら若いわねぇ、大丈夫?」
「それなんですが枕に」
「あら!大変!」

 持ってらっしゃいとわたわたする中川さんに従い枕を渡すと中川さんは「落ちるかしら…」と、困った顔で呟く。

「すみません」
「仕方ないわよ。まぁじゃぁこれは漂白に浸けときましょうね。
 お茶と朝ご飯の準備を…て、あらよく見たら圭太ちゃん、大丈夫?顔色良くないかも」
「あ、いやぁ…昨晩あまり眠れなくて…」
「…お家から持ってきたんだっけ。枕変わると寝れない子?」
「まぁ、はい…」

 本当はそんなこともないけれど。

 従い、僕は枕を持ってお風呂場へ向かった。
 「一度お湯につけて少し擦ってみて。後で洗うから」というアドバイスをした中川さんは台所へ向かった。

 ……昨夜は。
 寝付きが悪かった。故に池を眺めたいと考えたのに結局眠れなくなってしまった。
 だからだろうか、あれが夢のような気もしてくる。

 シャワーで枕にお湯を掛けながら、ぼんやりと浮かび上がってくる。そういえば、ゆずさん・・・・は頭に枕を敷いていなかった。
 
 僕は昨晩、先生とゆずさんの関係を知ってしまった。

 時代から切り取られたような古い家。
 このお屋敷に来てすぐ、「ご親戚のゆずさん」という、中川さんのざっくりとした紹介に、彼は控えめに笑い頭を下げたのを思い出す。
 先生は「少し…身体も弱く、話せなくてな」と、補足したのだ。

 ゆずさんは一人だけ和服だった。

「聞こえはするから」

 ただそれだけでなんとなくゆずさんのことは「触れてはならないのだろう」と思ったのだけど、僕が予想していたものとは違かったようだ。

 その時僕は確かに、あまり話など聞けなかった。ゆずさんはとても綺麗で、ドキドキしたのだ。
 ゆずさんを“綺麗”、だけで僕はその場を片付けたのだが、そうか男の人だったんだと、やはり昨日の景色が浮かんでくる。

 …まさか、そうだったなんて。

 ならば先生はいま、跡取りなどをどう考えているのだろう。流石にこの考えは時代錯誤なんだろうか。

 いらないことを考えて、湯気で熱くなってきた。
 血の痕はまだあるけれど薄くなったしと、僕は枕を浸したままにした。
 漸くいつもの仕事に取り掛かろうと廊下に出れば「お運びいたしますのに…」という中川さんの声が聞こえた。

「あら、少し落ちた?」

 キッチンに立つ中川さんと、テーブルに座って急須を眺める先生がいた。

 先生の髪は少し跳ねていて、二重になり眠そうな顔をしていた。いつものピシッとした印象よりも少しだけ柔和に感られた。

「あっ、」

 先程まで丁度考えていた事柄と混ざり、気まずく声が出てしまった。

「せ、先生。お…はようございます、」
「あぁおはよう」

 相も変わらず整った精悍な顔の眉や目尻や鼻筋が特に崩れた訳でもないのに疑問そうな表情だな、と読み取れば、

「なんだか…顔色が、なんだろう…血の気がないな。具合が悪いのか?」

 と、先生も読み取ったようだ。

「そうなんですよ、」

 中川さんが野菜を切り、先生は急須を手にし、湯気が出たやかんからお湯を注いでいる。

「早起きだなぁと思ったら、圭太ちゃん、鼻血が出ていまして」
「鼻血?」
「あっ、えっと…いや、特には…」
「そうか、元気そうで何より」

 先生は2つの湯飲みに茶を注ぎながら「10代の頃は仕方がないよなぁ」と、染々言いながらお茶を入れてくれた。

「中川さんもどうぞ」
「あら、すみません。お休みですのに」
「休みだからですよ」

 そして先生は茶っ葉を捨て、2杯入れ直しては新たにお湯を注ぎ始めた。

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