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家に帰ればいつも、クソ親父がただただ酒をかっ食らっている背中、見えない床。
そんなつまらない日常だった。
「タバコ」
会話をしたのもいつぶりか、「死ね」と返し玄関にバラ撒かれた小銭を掴んでまた出て行く。
自宅の滞在時間は僅か1分程度。
まだ子供だったけれど、どこかではっきりわかっていた、家は異常だ。
だから俺がこうなんだ。これは、否定でも責任転嫁でもない、事実“そうだったから”。
春夏がもぞもぞ、起き出す気配がした。
ぼんやりとそちらへ寝返りを打てば「あぁ、まだ早ぇぞ」と、振り向いた姿がぼやけている。
物臭に手を伸ばし眼鏡を掛けた。
「んー……」
時計を眺めれば、5:02(月)。確かに早い。
「…おはよ」
「おはよう」
「……どーしたの?こんな早く」
実は自分も少し前には起きていたが。
「実家寄ってから現場に行こうかと思って」
妹か。
まだ早いが、朝飯くらいはすぐに出来るだろうしな、まぁまずはタバコでも吸うかと修介も起き出すことにする。
「…朝飯置いとくけど」
「いや、タバコ」
「あっそ…」
大人になっても、ときどきこうしてあの夕方を思い出す。あれは晴れた夕陽の…秋の真ん中あたりだった、ような記憶がある。
まぁ、早く起きてしまったんだろうと、この先うるさくても敵わない、春夏の目覚ましは消しておいた。
春夏はいつも、最初にコーヒーを用意する。
今日はプラスで、冷蔵庫から水を取り出し渡してくれた。
朝の春夏はいつも、態度が素っ気ない。
修介はベランダでタバコに火をつけた。
太陽も寝ぼけた色の空、寒くなってきたなと季節を感じる。
春夏と出会ったのは、高校2年の秋だった。
廃れ、いい加減うんざりしていた学校生活は、あまり記憶にも残らないほどに灰色。
何かに取り残されるような疎外感、漠然とした前途、17年の月日。
今では顔も名前も記憶が曖昧な当時の取り巻き達は、校舎の死角でしゃがみ込み袋の中身を吸っていた。そんな景色。
タバコの煙を蜻蛉が横切る。そんな風景も青春にはあったのかもしれない。
これが旨いとも、身体を害するとも実感はない、いまでもそれはそう。
お前もどう?と投げ掛ける取り巻きの中の誰か、そんな者のこれからだなんて思い付くわけもないし、そもそも全てを見下していた。
あいつらだって、多分そうだ。
ひとつ違うとしたら「気持ちよくなれるかどうか」だろうか。
「……っくしっ」
寒い。そして目が痒い。
タバコは自然と消えそうなくらい、灰になっていた。
これは確かに、「身体に悪ぃだろうな」という味がする。錆びた鉄のような、いや、暫く放置したコーヒーのような。
灰皿に捨てる。
恐らく、10代のクソガキというものは皆、例えば世の中なんてものを嫌いたがる。それに、特別な意味なんてものもなく。
リビングに戻ると、キッチンで朝飯を作る春夏と目が合った。
「外寒ぃわ今日。あと花粉始まったなこれ」
「猛暑だったからな」
「早ぇなぁ…後で甜茶を作るか…」
まずはコーヒー。
コーヒーを注ぐついでに食パンの袋を開ける。
春夏の手元をちらっと覗けば、スクランブルの方だった。
「パン何枚」
「んー…1枚で良いや」
少ないな。声色に変わりはないようだけど。
修介は春夏に言われた通り、1枚のパンを皿に置き電子レンジにかけた。焼ける間に素の食パンを1枚齧る。
目は反らさずと少し顔を傾けた春夏は「行儀悪いな」と小言を挟んできた。
「もう出来るから」
「ん。
これはな、そーいうんじゃないんだよ」
四角いフライパンから卵とウインナーをその皿に移し、「は?」とだけ春夏は言った。
同居というのは例えば、パン1枚はトースター設定で1分焼くのが好みだ、というところまではっきりと身体に染み付く。
パンが1枚焼けた。
続いてパン2枚、目分量で30秒、設定もない普通のレンチン。
マヨネーズを冷蔵庫から取り出す。
微妙に噛み合わないところもある。
修介は、若干湿ってしまったパンがよく、マヨネーズと卵は最強だと思っているのに、春夏はどちらも嫌いなのだ。
それも互いには慣れたことで、特に何もない。
春夏が作ったスクランブルエッグ&ウインナーと、自分が焼いたパンをそれぞれ手にして食卓についた。
今では10年も当たり前の日常。
男に使う言葉としては違和感があるが、春夏は昔から綺麗だ。この形容詞は変わらないのに、実際のところの変化はきっとある。
例えば出会いはブレザーだった。今はラフな家着で、当時より歳を食った。
初めて春夏を見たとき、顔も崩れないこれがより恐怖だと感じた。
思い出しそうで、身震いがしそう。
昨日より肌艶も良い春夏が、一瞬だけ修介の手元をチラ見する。多分、具を全部パンの上に乗せたからだ。
その薄い瞳に、特に意味はない。
ただ、やはり綺麗なだけだ。
「……ん?」
少しガン見してしまったようだ。
春夏は少しだけ怪訝な表情で、意味もない声を発した。
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