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親の兄弟の子供同士、これを従兄弟《いとこ》、従兄弟の子供同士を再従兄弟《はとこ》というらしい。僕はこの葬儀でその常識を初めて知った。
親戚として最後の血統。
僕にはその再従兄弟が存在していたらしく、その再従兄弟の2番目が、ブランコから落ちて死んでしまったらしい。5歳の可愛い女の子だったけど、親戚と言われても実感がなかった。
初めて出会った親戚達の湿った空気が僕には理解出来ない。
確かに可愛い時期、可愛い女の子かもしれないが、何せ僕はこれで初めて会ったし、話すことも出来ない状態。
薄情かもしれないが正直僕は、誰かもわからない知らない人ばかりだし、遠くの、本当にテレビの中とか、無縁の出来事としか捉えられないでここへ来たのだ。
しかし親戚は父の名前と「大きくなったね」を今日だけで何度も僕に繰り返してきた。
恐らく、僕の存在なんてこの親戚達は今の僕と同じで、遠い事だと思う。事実、親戚は皆怪訝そうだった。
父には親戚なんていないとどこかで思っていた僕には、これが不思議な事にしかならない。本当に父の、僕の血縁なのかもどこかで疑っている。
父はそういう人だ。今まで自分の一切を僕に話してこなかったんだ。
一度幼い頃、幼稚園で「おばあちゃん」と言う単語を友達から拾い、父に聞いたことがある。それは一体なんなのかと。
父は「さぁ」と苦い顔で僕の頭を撫でてその疑問は終わったままだった。
それは訪ねてはいけないものなのだと子供ながらに僕は感じたのかもしれない。
「岩波家式場《いわなみけしきじょう》」
それすら僕と違う名前。
母が式場の入り口でキョロキョロしていた。
僕を見つけて「榮《さかえ》」と呼ぶのはイライラなのか、心配なのか。
後ろにいる親戚は僕を見て、母を見て、やはり怪訝そうなのだ。
何かを話し合ってるのは、恐らく良い話題じゃない。
母を置いてここから一度逃げた僕は悪いのか正しいのか。耳に掛かる銀髪をじりじり触る。
視線なんて足元の斜め下。僕はそういう人間だ。
母に「どこ行ってたの」と言われても大して答えない。僕がどこにいようが、僕らはこの一家では異端でしかないのだから。
どうして、居なくなった男の親戚に会わねばならない。僕にはその理由が僕と母の「生きる糧」であったとしても、母を理解はしてあげられないでいる。
少しだけ視線をあげ、母の背に語りかけようと歩む親戚のおばさんも誰だかわからない。僕を見たもう一人のおばさんはそれを見守るのか、見てるのか。
「母さん、帰ろう」
僕がこう切り出さなければ、後ろの親戚から母へ悪口が直接刺さるのもわかる。母は何も言わないで立ち止まるけど「満《みちる》さん、」と嫌味に母の背には投げられる。
だから、帰る。
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