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柔らかく笑ってはいるが、「ああ、誰?」と…昇にはその男の声色がとても冷たいと感じられた。
まるで人を見下している。態度は営業に向いていないだろう。現にこちらが、歓迎されていないと感じてしまっているのだし。
「…同僚の」
「まぁいいや、早いね。あのさ、」
昇の自己紹介をぶった切り、男は後ろから…清楚そうなワンピースをぱっと出して加東に見せつけた。
「……っ!」
喋れずにいた加東がはっ、と切れそうな息を吸い、頭を抱え玄関でしゃがみこんでしまった。
……なんだ、これは。
職場で過呼吸になった加東を思い出し、「おい、」と、昇はしゃがんで加東の薄い背をさすってやる。
「どうせ早く帰ってきたならさ、この前ダメだったしどう?澄音」
荒い息をした加東が、まるで耐えられないというようにばっと急いで家へ上がり、側のトイレで:嘔吐(えづ)き始めたのがありありと聞こえてきた。
「な……」
「あーあ、ダメかぁ」
男はつまらなそうにタバコを吸いながら、加東が吐いているあたりを眺め、「ハンガーから外してやったのに」と呟く。
…何事か状況が掴めない。
男は昇と目が合うと、「上司?ごくろーさん」と興味もなさそうに吐き捨てた。
加東が嘔吐くのが聞こえる……。
はっとした。
昇は咄嗟に、出迎えた男に構わず家へ上がり込み、加東が吐いているトイレに向かった。
小さな身体で出ないものを出そうと、身体が波打っている。
それは凄く、見ていて痛々しい。
「…加東、大丈夫か、」
昇は木村が買ってきたスポーツ飲料を思い出し、鞄から出して「ほら、落ち着け」と、蓋を開けてやる。
気付けばそうしていた。
「不法侵入だよ〜」
男は緊張感もない声色で、ワンピースを持って見下してくる。
昇が振り向くとにこっと笑い「こいつ、ダメなんだよね」と言った。
「だから、ハンガーから外してやったのに」
「…はぁ?」
…ちょっと、何言ってるかわからないんだけど。
しかし、男は昇なんて眼中にないらしい。
一切気にせず「ねぇ澄音この前ダメだったんだからさ」と加東に追い討ちを掛け続ける。
…なんかこいつ、ヤバくねぇか。
加東がひたすら「帰りたくない」と言っていたのは、これか?
「きょーはこれ着てよ、ねぇ、」
加東に寄ろうとする、多分これは無理矢理加東を引っ張り出す気だとすぐにわかり、「待て待て、」と、昇は二人の間に膝立ち男を阻止した。
「はーぁ?」
「…あの、」
よくわからないが、昇の本能的な物が告げている、こいつ多分、本気でなんかヤバい、と。
「…加東くんの同僚の宇田です。加東くんが職場でぶっ倒れたんで送りに来たんですが」
「あらどーも。お勤めご苦労さんですねぇ」
「まだ少し、具合悪いようだし、」
「うん、俺がいるからってゆーか、何勝手に上がっちゃってんの?あんた」
嘲笑う男に、まぁ確かに言い返せねぇよとは思ったが、「ま、俺のせいだよ?」だなんて、更に軽い口調で言いやがる。
「だーって言うこと聞かないんだもんこの子。朝までお仕置きしちゃって。あらそう、やっぱりお仕事辛かったの?澄音」
「………は?」
吐いているのか…いや、半分以上は嗚咽だ。
泣いている加東の声に、昇は兎に角、「大丈夫か、加東」と、スポーツ飲料を促してやる。
三者無言のまま、加東の嗚咽が痛々しくも響く。
空気も読まず「ねぇ、」と続ける男を睨み付け、昇は「一回休ましてやりたいんだけど」と少し強めに進言した。
「なーんだ、」
一貫してダルそうな態度の男は「あんたも交ざる?そゆこと?」と……最早普通の会話すら成立しない。
…ダメだこいつ。
こんなヤツより加東だろと、昇は加東に水分補給をさせ、「よしよし」と、一回壁に凭れさせてやった。
「…ちょっと、さっきから意味わかんねぇんだけども」
「何?違うの?」
「…一人暮らしだって聞いてたけど、だから来てんだけど。誰?お友達?ならさ、」
「さぁ、誰だろうね。ね?澄音」
加東は苦しそうに、少し掠れてしまった声で「あに…、です……」と言った。
「兄…」
…にしては、血縁を感じない…似てると感じないんだけど…。
「てゆーか?姉ちゃんの旦那?」
…姉ちゃんって…亡くなった姉の、なのか?別に何人兄弟かは知らないけども…。
当たり前に思い出せるのはそれしかない。
「わかったらどーすんの同僚さん。てゆうか普通自分から」
「あの」
…冷静にならなければならないらしい、と自分に一息吐く。
「…同じ部署の宇田ですけど。あんたに預けていいんですかねこれ」
「別にいーんじゃ」
「いや、どー考えてもダメなんじゃねぇかなって思いますけど。こいつめっちゃ苦しそうな割に、あんた、何してんの?」
加東がダルそうにぽんぽんと昇の腕を叩き「……ダイジョブ、です」だなんて言ってくるけど。
「お前の今日のダイジョブですは一切大丈夫じゃなかったから。何これ」
「いーんじゃないの?うざった」
「おめぇと喋ってねぇよ、」
まるで迷惑そうに言う男に、買い言葉になってしまった。
…俺に言う権利ねーし、これヤベーかもと頭の隅では言っている、だけど。
男が加東を冷たく見下ろし「どーする?澄音くん?」と言っている。
まともな人間は人をこんな目で見ない。
加東は涙目で男を見上げながらはぁはぁと「…帰って、先輩」と弱々しく言った。
「………」
そして笑顔すら作れずに「ご迷惑、かけました、」なんて…。
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