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 中学の編入よりも、受験勉強が優先になった。
 でも、土地に慣れる方が苦労をした。あまり高校一年時の記憶がない。

 例えば、庭の雑草に「少し待っとれ」と、花が咲くのを待ち「こっちはハルジオンだんに、取って食うら」と、花を摘めば「そっちは食べたらいかんに、メジオンだら、」と、いつも足元にあった見分けもつかない「貧乏草」を覚えたり。

「さと、水をくれといて〜な」

 に、頭を捻りながらじいちゃんに水を持って行けば「違う違う、水を…シメジオンにな、」なるほどあげるのか…と、覚えることが多かった。

 そして俺の名前は、どうやら慧の“い”が呼びにくかったらしい。自然と簡略化され、さと呼びで定着した。

 全てが平穏。それはまるで、いつか寝ているうちに死んでしまうのではないか、あの時のように、という考えまで浮かんでくる。

 自然すら容赦がないと思えるような場所だった。
 そんな漠然とした中だからこそ、忘れた頃にふと、フラッシュバックが訪れる。

 本当に前触れもなくふらっと、忘れた頃に「置いてかねぇで」と言うようにやってくるのだ。
 身体が覚えてしまった悲しい記憶に、「あっちへ行け!」とティッシュをくしゃくしゃに丸めて捨てて。
 しかし、夜も静かで星も綺麗な場所だった。ただ一人部屋で縮こまり、それに息を殺して耐えるしかなく。

 そのギャップは苦しかった。
 それしかやり込む方法が見つからず、もどかしさと疲れは溜まっていったような気が、今ならする。

 信濃の冬は確かに|しみる《寒い》けど、きばなが咲く綺麗な場所だった。枝についた氷、らしい。きっと木花、なんだ。

 自然には心を乱されることはない、良く言えば「平和」、悪く言えば「暇」だった日々に、漸く慣れてきたような気がした頃だった。

 昼間、確かに少し、変な感じがした。

 居間でテレビを見て、俺もばあちゃんもじいちゃんも言葉を失ってしまった。

 それが、東日本大震災だった。
 
 フィクションを見ているような感覚に陥ったけれど、瓦礫や…少しの物で「あっこ、俺の学校、」と、認識に至ってしまう。

「さとちゃんの学校なんか、」
「うん、多分…わからない、けど、あの看板、俺知ってる…」

 見ていて一気におっかなくなった。
 津波のように、今まで出会ってきた知り合いとの記憶が急速に頭を流れ、その場で頭を抱え込むほどの衝撃。

 じいちゃんは「さと、大丈夫だで、」とテレビを消したし、ばあちゃんも「落ち着けな、後で、後で電話もしぃな、」と背を擦ってくる。

 きっと人生で、あの瞬間が一番心に残っている。

「…ばぁさん、美佐子に」
「美佐子はどうもいいだら!!今っ、今ぁさとちゃんが大事だんに!!あんな…あんな…っ!」

 背に、ばあちゃんの泣き声と重さが掛かったのを覚えている。
 俺は俯いていて、じいちゃんがどんな表情をしたかはわからなかったが「……悪かったな、」と声を落として、三人でまるまって同じ時間を過ごした、それすらも長く感じたあの日。

 でも夜中、長野にも大きな地震がやってきた。
 あの衝撃の方が、実のところ大変だった。

 津波は来なかったけれど、木造も多かった、家が潰れるんでねぇか、と、眠れなかった俺も、ばあちゃんもじいちゃんも、ご近所さんも皆外に出ていた。

 震度5強。
 それは何時間も続き、まだしみる春先の中、大混乱に陥ってしまった、その事実が今でも怖い。

 経験したことのないような大地の凶器。
 後にそれは、東日本大震災からの誘発地震、長野県北部地震と名前がついた。

 実家あたりは5強、それほど被害も少なかったと後には言われたが、あの地震でPTSDに悩まされた顔見知りもいる。

 もっと酷い場所が、とか、不幸中の幸い、ではなく、あれは本当に怖かった。もっとどう、というのを想像したくないほどに。
 暫くの間は付近でも警報が鳴ったり止んだりで、誰もがピリピリ、いや、ビクビクしていた。

 明日は我が身というよりも、明日のことはわからないんだ。あの時強くそう思った。

 福島は福島で心配だったが、心配だった、と他人事にならなければならないほど身の回りが大変で、それどころではなく。

 心の不安定さに、より一層フラッシュバックは訪れたが、それも何故いまなのかとぐちゃぐちゃでわからなくなっていたし、当たり前に誰にも言い出せなかった。

 個人的にバタバタした入学式を迎えた体育館も、一時期は避難所へ早変わりした。

 心が変な平衡感覚で、正直生きた心地もなかった頃。
 厄介事は大抵連続、余震のように訪れるものだ。

 色々な気持ちで皆疲れ果てながらも、漸く生活に兆しが見え、「大変だったなぁ」とどこか上の空で聞いた帰りだった。

 家の前に、キャリーバッグを持った…すぐにわかった。母が実家の前に立っていた。

 認知するまでに恐らく間があったのだが、すぐにばあちゃんが「ありゃ、美佐子でねぇか?」とじいちゃんに言った次の瞬間には「何しに来ただ!!」と、ご近所中に響き渡るほどに怒鳴り、走り出していた。

「ま、よーこ!」

 それを止めるようにじいちゃんも向かったが、「何しに来た、帰ぇれ、帰ぇれこん、しとでなしぃ!!」と、何かを投げつけているように見えたが、どうやらバシバシと殴っていたので、呆気に取られてしまった。

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