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 それと同時に「お帰りは如何いたしましょうか」と楼主が少し口早に聞いてくる。
 どうも楼主は、み空の見世を見ないようにしていると感じ、つい「あぁ、はぁ…」と、私は何も考えていなかった。

「駕籠などは」
「いや…あの、」
「本日もお金をお持ち頂いたかと思いますが、次回もお約束が出来かねます」
「はい……」

 まぁ、そうだろうとは思う。

 熱を冷まそうと歩きながら、ぼんやりと、まるで月でも眺めるかのようにみ空の見世が目に入ったのだが。

 み空の見世の行灯がそのまま揺れているのが見えた。
 窓は開いていない。

 その障子にふと細い影…あれは、足だ。それがピンと伸び、ふっと崩れるのが見えた。

 …窓枠から足が見える、とは…。

 私はあの、すれ違いざまに嘲笑った男の顔が浮かんだ。

 行灯は揺れている。

 妙な…ぞわぞわする、これは良い気分ではない。いままでの満ち足りた場所に石を投げられ溢れていくような。

 その溢れた液体は甘い蜜だ、わかっている。

 自分を俯瞰して見ても、まるでその甘い蜜を這いつくばり必死に舐め回すような気分だと、み空が寄越してきた文を懐で握った。

 夜道といえど芝居小屋の前は明るい、書き出しだけでもと、やはり私は気に入らずその文を懐から出し、開いて見てしまった。

「田崎 殿へ」

 …まるで、それはみ空の声で語られるような気持ちになった。

 芝居の、何本もの強い三味線の音がする。

 芝居小屋の前で立ち止まり拝読したそれは、一度懐でくしゃっとした気持ちと同じ。そんな気持ちになるような「話」だった。

 私は、芝居に関して…特に、世話物せわものと呼ばれる類いの話が嫌いだった。

 別に私は、平々凡々でたまたま武家に生まれてきただけの人間だ。
 だから、例えば世話物で語られる不運な庶民の生活というものを娯楽にするという悪趣味がなかっただけにすぎなかった。

 なかっただけに、すぎなかった。

 そこで自分の心、信念、それがどう動かされてしまおうとただの偽善でしかなく、しかし、そもそもこの偏屈、偏向的な考えですら利己でしかないと、どこかで気付いてしまいたくなかったのが本音だったのかもしれない。

 今さっき交わった瞳が頭から離れない。

 彼は、三郎に聞いたのだろう、私に“物語”を送ってきただけにすぎなかった。

 私はその物語に観入ってしまった。

 何故なら、「世話物」にしては非常に厄介で、故に娯楽などでは語れないような複雑怪奇さがあったからだ。

 それは一人の遊女の話で、在り来たりと言えば在り来たりな…ただ、芝居にはない、妙に現実的な話だった。

 一人の遊女が客の男を好いてしまった、これは芝居にもよくある。
 男も女に枕詞で愛を語らうが、調子ばかりが良い男で、本性は金を借り跨ぎをする程の遊郭狂いだった。

 跨ぎは、いくら三郎だろうと、恐らくしない。

 何故なら、通う見世にそれが知れてしまえば次から間違いなく良い顔はされないし、店によっては出入り禁止になるような「無礼」だからだ。

 もしもやるならばせめて遠くの、例えば張見世なんかで目に付いてしまうことがないような場所へ通うのが常識だ。

 却って、もうその気がないのであれば見せつける意思もあるのかもしれないが。
 とある遊女がふと、「あんなに堂々と…」と呟いた場面に遭遇したことがある。
 抱いた女の面を見てそれが出来る男など…と、三郎も言うだろうと思う。

 女は身請けがある。多少歳が行けば確かにそれを考えなくはないだろう。

 み空の話の遊女は、揚げから共にしていたその不躾な男に恋をしてしまった。勿論、その男の本性を知ることはなかったようだ。
 身請けあたりになったころ、男には金がなかった。どれだけ愛を吐いたところで恐らく身請けなどする気がなかったのか、それはわからない。

 たまにいる。店で一番の高級花魁に仕立て上げそれは自分の物だと嘯き、しかしそこまでで満足してしまう器の小さな大名が。

 その遊女はよもや高級花魁にはなっていた。
 花魁というだけで、身請けは恐らく余程の身分でないと難しいだろう。

 どちらが譲らなかったのかはわからないが、一つ身請けの手立てを見つけた二人の間には子供が出来た。
 そうすれば身請けの額が遥かに下がるからだろう。

 しかし、その企みが楼主に知れれば…高級だとすると下手をすれば子供は殺されてしまう。
 話が纏まる前に臨月が来た。その頃にはもう、花魁の競りの話はその不躾な男のみになっていた。

 だが、一向に男は女を身請けに来なかった。
 その間にその遊女は脱胎薬やらの嫌がらせまでもあったが、子供を生むことが出来た。

 それなら、どうあってもその男と繋がらねばならぬだろう。

 胸焼けがしそうな競り合いだ。

 こっそりと、倉庫、場合によっては折檻部屋となる場所で、母親は一人子供を産み落としたが、それが男児だとその場で発覚してしまった。

 女は男を待つ間、その子供の喉を潰し折檻部屋で育てたそうだ。
 場所柄、それが女であれ男であれ子供の泣き声がすることは確かにない。

 この筆、書ではあくまで私の言葉で書いている。

 だが私はここまで…あるはずもないみ空の語り口調のような文体に胸が痛くなり、一度文をしまい芝居小屋の明かりからも離れ、帰宅した。

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