3


 人が去って行くことには慣れている。

 執着は身体で覚えさせられた。いつも、母親と父親の背を眺めるだけだった葵が最後に両親と対峙したとき、その手は恐る恐ると自分から引かれていった。

 どうして?なんでと手を繋ぎここへ連れてきた資産家は「よく覚えておきなさい」と耳元で囁いたのだ。

「君の両親は、とても悪いことをしたんだよ。でも、君がいる限り罰せられることもなければ、会うこともない相手だ」

 …取り敢えず、わからないけれど、いつも何かのスイッチが入る母親の激情すらも飲み込み淘汰したその資産家は、項垂れた両親を見下ろしていた。

 お陰であのときの血の気が引いた両親の顔を忘れることはないし、それが決して自分のための顔向けではなかったのだと、いまなら理解している。

「お前は単純に売られたのだ」

 子供でもわかりやすく養父・・は手を差し伸べ、自分の歩む道を手取り足取り教えてくれた。

 桐生が出て行った今、跡取りは自分となった。けれど、そこまでなら「どちらが親か」などハッキリした判断は不可能だっただろう。だから淘汰した・・・・のだ、桐生の言う「変態ジジイ」は。

 しかし葵は誰が思うよりも、実は悲観していなかった。

 キラキラしたドレスや服。
 養父の店を見せてもらった瞬間、「これだ」と衝撃を受けた。
 自分の中でひとつだけピースが嵌まったのだ。初めて見たそのドレスは、人魚の鱗を彷彿とさせるスパンコールで、昔、母が読んでくれた絵本を思い出させた。

 しかし養父は言った、スパンコールは長く着るものじゃない、ただの装飾で、だけども丁寧に扱わなければならないのだと。

 薄ピンクという色のコルセットと水色というスカートだったらしい。
 葵には真っ白に映ったその清廉さが気に入ったのだけど。どうやらそうじゃなかったのだ。

 砂糖の結晶は雪と似ている。だから塩は宝石のようだと思っていた。

 薄いフィルムで添えられていたそれは、「塩味が足りないのだろう」としか思わなかった。
 いつしかそれがスティックに入れられるようになり、子供心だった。
 商品間違え、食品衛生、それくらいは身の回りにある言葉だった、母親は間違ってしまったのだろうと得意気に理科の話をしたら、叩かれた。
 父親も「黙っとけ」と言うように自分を睨んでいるばかりで。

 誰も、聞いてくれない。誰も、しんじてくれない。だれも、そばにいない。

 そう思ってしまった。
 いつからそうだったのかは、知る由もない。
 忙しそうにしているそれも初めは幸せそうだったのに。それは多分、間違いないはずだけど…曖昧な気がして。

 自分は無知だった。

「葵さん、」

 ぼんやりと、熱さに天井を眺めているだけだった直射日光のような思考にアクリル板が立てられた。

 呼びに来たのは、お手伝いの…高塚たかつかさんか。

 遮断してもアクリルの先で見えている思考。

「はい…」
「お友だちがいらっしゃって、授業のノートを持ってきてくれましたよ。矢幡やはたさんがただいまコピーをさせて頂いているようで…」
「…ともだち…?」
「昨日いらっしゃった…長内さんと、三澤さんという…」
「こうちゃんと裕翔くんが…!?」

 あら、そうおっしゃるのですねと愛想笑いをした使用人の言葉を跳ね返すようにベッドから起き上がれば、頭がふらっとした。

 「あらまぁ、スポーツドリンクかお水を」と気を遣う高塚さんに「いや、」と手を伸ばす。

「………」

 その手をじっと眺める視線。わかっている、迷惑なのだ。

 ふと、学校でのあの…体温を思い出し、頭が沸騰しそうになった。だからこそダルさが一気に身体を重くしたが、「すみません」と言いつつ気持ちは急いている。

 構わずベッドから抜け出す自分の意思に「葵さん、」と、取り敢えずで制してくる使用人。
 こうまですれば「全く仕方のない」とでも言うように手は貸してくれる。

 自分はこれを、あと数年は利用しようと思っている。どうせ誰も、自分なんて見ていない、知らないのだからと、この生活を今まで生きた半分過ぎでつぎ込んでいれば開き直ることも簡単だった。

 これは鏡合わせではない。

 少し我が儘な方がいいと、よく桐生にも言われるし、あれに言われると説得力はある気がするのだ。

 ふらふらとする、だけどどうしても…見たかった。いまは正常じゃないとわかっているからこそ、尚。

 非常識な範囲で充分正常な自分と、全く本当に綺麗な正常の彼に対するこれはそう…多分昔から“羨望”なのだ。そこを妬ましいとは思ったことがない。

 高校に入って違いを知った。彼は自分とは違う、常識の範囲で異常な程……例えばこれは砂糖でも塩でもなく。

 客間を覗くと二人とも確かにいたが、驚いた皮の表情がそれぞれ違うと思った。
 気まずそうだけど一気に赤へ変わる方、青ざめるようだが珍しいものを眺める方。

 血の色は外から見れば青色なのに、見えない体内で流れているのは赤色だなんて、どうしてだろう。

 幼い頃、彼が高い場所から落ちたときに思った“疑問”。
 疑問は大抵目には見えない浮遊物だから、これが答えか?わかりにくい。

- 20 -

*前次#


ページ: