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 テーブルで頬杖をつく彼女は、酷く退屈そうな顔をしていた。
 彼はいつでもそれを伺っていて、そんな彼の様子をこちらが見上げていると察すれば「ああ、それでな、」と話を振ってくる。

「やっぱり、メークインってあんまり馴染みがねぇんだよなぁ…こんな長ぇ芋…」

 父は、とても不器用な人だったのだと思う。

 「手は出すなよ」と言いながら、楽しそうに葵をキッチンに呼んでくれていた。

 二つの鍋。一つは男爵、一つはメークイン。

 なんとなく、母の機嫌が悪い日だったと思う。大体が土日だろう。

 父に言われるままキュウリをしゃりしゃりとスライスし、冷ましたニンジンに取り掛かろうとしてタイマーが鳴る。
 鍋を開けた父は「まだ熱いから」と葵に注意し、メークインに串を刺していた。

「大丈夫な気がするな」

 芋をザルに開け少し冷まし、手早く皮をむいてボールに入れる。
 渡されたその芋を潰している手応えで、なんとなく…と、葵はわかっていた。

 ポテトサラダを食卓に並べ母が仕方の無さそうに一口づつ食べると、やはり、メークインで少し表情を変えた。

 変な空気になりかけたけど、ふっと笑った母が「こっち固い」と言うたったそれだけで、結果はともかく、父は嬉しそうな顔をしたのだ。

「…あ、じゃあ、混ぜてみたらどうなんだろう?柔らかいのと少し固いの」

 母が自分の皿に二つのポテトサラダを入れて混ぜ、「ほら、葵も食べてみて」とすすめてきた。

「ここ固いけど、わかるかも〜」

 母の機嫌が治ったならと、父は綻ぶ笑顔で「そうかそうか」と、漸く自然な“家族の形”になった。
 最初は本当にそんな、普通なんだろう、家族だったけれど。

 いつの間にか父と母のパワーバランスが逆転していたような気がする。
 今思えば、母がダメなときは父が事前に、母から葵への気を削いでくれていたのだ。

 葵が素直に「ねぇ、これは?」と、弁当に付属されたスティックシュガーを指差した時、そう、あの時の父親はあと一歩で葵を怒鳴るところだった。
 母は恐らく空気を読み、「あんたは遊んできなさいよ!」と葵を叱り付けたのだ。

「ママが言ってたけどさー、生産者の顔とか出されても高いだけじゃんってさー」

 ある日小学校で、「給食はね」という、わりと真剣な話のときに女子が駄弁った一言だった。
 確信したのは「スーパーで顔なしのさ、安いの買った方がマシじゃんって」と、そこからの内容は耳に入ってこなかった。

 あぁ、自分の家を言われているのかもしれない、と。

 そういう意図じゃないにしても、自宅の店には材料それぞれに生産者の名前が書いてあるボードがあったし、夜中の仕込みで、スーツの男が何かしらの段ボールを置いて去った後、「こんなんじゃ値段が…」と頭を抱えている父親の姿がその場で浮かんでしまったのだから、自分の家が言われた、という認識はあながち被害妄想でもないのだ。

「高いには理由があるんすよ、テンチョ、」

 威圧的な印象のスーツ男は、その日によって違う人物なのに、風貌や態度は皆同じ、皆どこかこちらを見下すような物言いだったのだ。

「これも一緒に使ってくだせぇよ」

 そうしてポリ袋に入った何かを、父と母に渡しているのを…たまたま夜中、見てしまったあの日。

 それから母と父はどちらも、等しく余裕を失くしていった。


 …意図的に起きた。
 夢は、脳が刻み込んだ経験からしか見ないのだと、桐生から聞いたことがある。

 ……嫌な夢を見たな。けれど、懐かしく暖かい部分もあるから、変に動悸がする。

 この先を自分は経験している。もう、それからずっと今までが続くとしたら……。
 起きられてよかった。

 氷枕に敷いていたタオルで脇の水分を取り…少しだけチクチクするな、そういえばあれから風呂に入れていない。

 汗で寒くなっていく。寝起きに血圧が急降下するのがわかる、まるでジェットコースターのように。

 葵はくしゃみをしながら電気スタンドに手を伸ばし、検温した。

 36.5。随分下がったが頷ける。

 シャワーだけでもと、新しいパジャマと下着を持ち部屋から抜け出した。
 自分に纏わりつく全てが気持ち悪い。記憶も、体温も、何もかもが。

 …学校、行けそうな体調だけどな。こうちゃん、ノートありがとう。でも、ごめんねだなんて…どうしても幼い頃を思い出してしまう。

 この一年、ずっとこんな感じだ。

 一年前に再会した彼は、何故だかとても寂しそうに見えた。
 そんな彼に親近感が湧くと同時に、「そうか、変わってしまったのだ」と現実を叩きつけられ…心臓を締め上げられるような切なさを感じていた。

 風呂場の鏡で自分を見て思う、まだ大丈夫だという焦った安心感も。全て削ぎ落としたくなるから……義父の小児性愛には少し助かっている面もある。

 もう少しだけ自分が変われたらよかったのにだなんて、何を塗り重ねているのか。
 でも、下地は白だったはずなんだ。

「…………」

 削ぎ落とせないなら、手で引きちぎりたくなるこの白濁に思う、自分の血は本当に赤いのだろうかと。

 何やってんだよと腰からがくっと滑り落ち、鏡の自分がいなくなった。知っている、この感情は温かく…痛々しく忌々しく禍々しい。

 こんな自分を愛さないでと、怖くて言えないこの気持ちは、一体なんなんだろうか。

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