2
「葵さん!?」
ひっそりと制服に着替えていたが、朝食を持ってきた矢幡さんに驚かれてしまい、「しー」と人差し指を立てる。
「…」
行くんですね?という目をした矢幡さんに頷き、朝食を食べた。
それから養父がガタガタ、出勤した雰囲気のあとで学校へ向かった。
少し遅れてしまったけれど、一限でギリギリ入れるだろうか…まぁ、行けるだろう。父の会社も9時出勤だし。
落ち着きがない程に生徒が登校している時間だった。いつもは養父が送ってくれるので、もう少し静かな時間に登校し、煩くなり始めた頃に聴覚を遮断するのだ。
葵の席には…裕翔くんが座り、こうちゃんと喋っていた。
なるほど、これはこれで新鮮な風景だ。
葵に気付き目が合った裕翔くんは「あ」と席を立つ。
こうちゃんも葵の存在を認識し、「あ、あぁ…」と気まずそうに目をそらした。
「よう、おはよう。昨日ヤバそうだったけど良くなった?」
普通に話しかけてくる裕翔くん、気まずそうながらも「急に行って悪ぃ」と謝るこうちゃん。
「ごめんねー、昨日は。ありがとねノート」
「いやーもう長内がどーしてもって」
「いや盛るなよ、」
「…ふふ、」
昔からそう。この二人、仲が良いんだよなぁとついつい綻ぶ。
「あー、元気そうじゃん、久瀬。よかったな」
「ちょっと熱っぽかったって、だけだから…」
チャイムが鳴り、「ムリすんなよー」と裕翔くんは席へ戻ってゆく。
急に二人になり、こうちゃんは気まずそうに少し身体を背けたが、「ホント、無理すんな」と無愛想に言ってくれた。
「…ありがと。
こうちゃん」
こうちゃんはゆっくり…ん?と気まずそうなままこちらへ振り向く。
「…こうちゃんの字って、カクカクしてるよね。可愛い」
こうちゃんは何か喉に詰まった、というか面食らったように「…いきなり可愛いとか…」と顔を大きな手で覆う。
可愛い。
葵は上機嫌で時間割りを眺めた。国語か。
いつも通りのHRに、「あれ、久瀬?」と先生も面食らっていたが、特に反応をしない。
居ちゃ悪いのか。まぁ、父親が欠席の連絡でもしたのだろう、もしくは桐生に。
思い出す、一年初日。
確認の点呼で担任が「久瀬|葵《あおい》くん…あれ、」と戸惑い「ごめんごめん、久瀬葵さん」と呼び直したのに「はい」と普通に返事をした。
それからHRが終わり教卓まで呼ばれ…。
先生、めちゃくちゃ戸惑ってたな。その戸惑いの中には明らかに「引」があり、「ちゃんと制服を」だなんて言われて。
わざわざ皆の目の前でズボンを出し、その瞬間は「ちょ、」と担任も止めようとしていたが、慣れている。スポッと落ちたスカートがお花みたいだった。
その瞬間の空気を忘れない。
女子の中には「いや、いいのにね?」とわざわざ蒸し返すように言っている子もいたが、それは直接じゃない。たまたま…聞かせたかったのかそれとも本当に聞こえないと思ったのか。
男子は男子でわかりやすかった。しかし、肯定してくれたのであろう子達からふと聞こえたことがある、「足剃ってんのかな」と。
自分は一気に、好奇な、珍妙な生き物になった。正直前のクラスの印象はそれで終わっている。
何かの漫画で読んだことがある、「可愛いから体育祭、女装して!」みたいなものを。
実際そんな展開になったら地獄だったし、そもそもそうはならなかった。
もう少し微妙で、自分は真ん中あたりの「か行」の癖に、端っこにいるような物だった。
女子がきゃっきゃしているのもたまに感じながら。
何度かスカートを穿いて登校してみていたが、養父が学校に呼び出された日、それを自主的にやめた。
「似合う人が似合う物を着て何が悪いんです?規定範囲内ではないんですか?」
あまりに純粋そうに言った養父にその場の職員が硬直し、葵はスカートをやめることにしたのだ。
これは恥ずかしいことなんだ、と。
クラスには喋る人がいない、と言うわけではなかった。
「俺は父ちゃんのそれ、わかるぜ」
肯定してくれたその、ぽっちゃり童貞男子はある日の放課後、葵を壁に押さえつけ、滑っこい息を耳元に吹き掛けながら「なあ、あんの?」とズボンの真ん中を触ってきた。
俺が悪かったのかもしれないと、最後まではしなかったが、随分とねちっこくなぶられた。下は脱がされなかったけれど。
やはりそういうものなのだろうかと…変に自虐的になったが、自分でも多分そうするのかもしれないし。恐らくこいつは将来痴漢で捕まるんだろうなと、ぼんやり思って。
それからその男子を遠ざけるのに、少し罪悪感があったけれど。
ちらちら視線を感じても、一年経てば空気に成り下がった。
まわりをざわつかせた…問題児ではないがクラスの秩序を乱す変わり者。
それ故、大半を保健室で過ごした。担任からみれば、葵は怪我人だったのだ。
桐生がこの学校の非常勤だったのもわかっていたし…だから、関係を持ったのは去年から。
カウンセリングか何かの流れだったと思うが、エッチが上手くて「流石久瀬のバイト…」と感心した。初めは確か、自重しカーセックスだった。
彼もあれに仕込まれていたから、まさかそっちも上手いとはと…指輪をいちいち外すのに気が付いたのは何回目だったか。
「まずは空気と同化しろ。案外面なんて、空気には関係ない。めんどかったろ」
確かになと、やはり彼には説得力があった。
「桐生さんは、なんで抱くの。桐生さんはカッコいいし、まぁ、わからなくないけどさ」
その問いに答えは返ってこなかった。
「可愛い」だのなんだのと枕詞はあったかもしれないが、そんなのをいちいち覚えてられないほど、二年目には慣れてしまっていた。
- 26 -
*前次#
ページ: