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「葵さん!?」

 ひっそりと制服に着替えていたが、朝食を持ってきた矢幡さんに驚かれてしまい、「しー」と人差し指を立てる。

「…」

 行くんですね?という目をした矢幡さんに頷き、朝食を食べた。
 それから養父がガタガタ、出勤した雰囲気のあとで学校へ向かった。

 少し遅れてしまったけれど、一限でギリギリ入れるだろうか…まぁ、行けるだろう。父の会社も9時出勤だし。

 落ち着きがない程に生徒が登校している時間だった。いつもは養父が送ってくれるので、もう少し静かな時間に登校し、煩くなり始めた頃に聴覚を遮断するのだ。
 葵の席には…裕翔くんが座り、こうちゃんと喋っていた。

 なるほど、これはこれで新鮮な風景だ。

 葵に気付き目が合った裕翔くんは「あ」と席を立つ。
 こうちゃんも葵の存在を認識し、「あ、あぁ…」と気まずそうに目をそらした。

「よう、おはよう。昨日ヤバそうだったけど良くなった?」

 普通に話しかけてくる裕翔くん、気まずそうながらも「急に行って悪ぃ」と謝るこうちゃん。

「ごめんねー、昨日は。ありがとねノート」
「いやーもう長内がどーしてもって」
「いや盛るなよ、」
「…ふふ、」

 昔からそう。この二人、仲が良いんだよなぁとついつい綻ぶ。

「あー、元気そうじゃん、久瀬。よかったな」
「ちょっと熱っぽかったって、だけだから…」

 チャイムが鳴り、「ムリすんなよー」と裕翔くんは席へ戻ってゆく。

 急に二人になり、こうちゃんは気まずそうに少し身体を背けたが、「ホント、無理すんな」と無愛想に言ってくれた。

「…ありがと。
 こうちゃん」

 こうちゃんはゆっくり…ん?と気まずそうなままこちらへ振り向く。

「…こうちゃんの字って、カクカクしてるよね。可愛い」

 こうちゃんは何か喉に詰まった、というか面食らったように「…いきなり可愛いとか…」と顔を大きな手で覆う。

 可愛い。

 葵は上機嫌で時間割りを眺めた。国語か。
 いつも通りのHRに、「あれ、久瀬?」と先生も面食らっていたが、特に反応をしない。

 居ちゃ悪いのか。まぁ、父親が欠席の連絡でもしたのだろう、もしくは桐生に。

 思い出す、一年初日。
 確認の点呼で担任が「久瀬|葵《あおい》くん…あれ、」と戸惑い「ごめんごめん、久瀬葵さん」と呼び直したのに「はい」と普通に返事をした。
 それからHRが終わり教卓まで呼ばれ…。

 先生、めちゃくちゃ戸惑ってたな。その戸惑いの中には明らかに「引」があり、「ちゃんと制服を」だなんて言われて。
 わざわざ皆の目の前でズボンを出し、その瞬間は「ちょ、」と担任も止めようとしていたが、慣れている。スポッと落ちたスカートがお花みたいだった。

 その瞬間の空気を忘れない。

 女子の中には「いや、いいのにね?」とわざわざ蒸し返すように言っている子もいたが、それは直接じゃない。たまたま…聞かせたかったのかそれとも本当に聞こえないと思ったのか。

 男子は男子でわかりやすかった。しかし、肯定してくれたのであろう子達からふと聞こえたことがある、「足剃ってんのかな」と。

 自分は一気に、好奇な、珍妙な生き物になった。正直前のクラスの印象はそれで終わっている。

 何かの漫画で読んだことがある、「可愛いから体育祭、女装して!」みたいなものを。
 実際そんな展開になったら地獄だったし、そもそもそうはならなかった。
 もう少し微妙で、自分は真ん中あたりの「か行」の癖に、端っこにいるような物だった。

 女子がきゃっきゃしているのもたまに感じながら。

 何度かスカートを穿いて登校してみていたが、養父が学校に呼び出された日、それを自主的にやめた。

「似合う人が似合う物を着て何が悪いんです?規定範囲内ではないんですか?」

 あまりに純粋そうに言った養父にその場の職員が硬直し、葵はスカートをやめることにしたのだ。

 これは恥ずかしいことなんだ、と。

 クラスには喋る人がいない、と言うわけではなかった。

「俺は父ちゃんのそれ、わかるぜ」

 肯定してくれたその、ぽっちゃり童貞男子はある日の放課後、葵を壁に押さえつけ、滑っこい息を耳元に吹き掛けながら「なあ、あんの?」とズボンの真ん中を触ってきた。

 俺が悪かったのかもしれないと、最後まではしなかったが、随分とねちっこくなぶられた。下は脱がされなかったけれど。

 やはりそういうものなのだろうかと…変に自虐的になったが、自分でも多分そうするのかもしれないし。恐らくこいつは将来痴漢で捕まるんだろうなと、ぼんやり思って。
 それからその男子を遠ざけるのに、少し罪悪感があったけれど。

 ちらちら視線を感じても、一年経てば空気に成り下がった。
 まわりをざわつかせた…問題児ではないがクラスの秩序を乱す変わり者。
 それ故、大半を保健室で過ごした。担任からみれば、葵は怪我人だったのだ。

 桐生がこの学校の非常勤だったのもわかっていたし…だから、関係を持ったのは去年から。

 カウンセリングか何かの流れだったと思うが、エッチが上手くて「流石久瀬のバイト…」と感心した。初めは確か、自重しカーセックスだった。

 彼もあれに仕込まれていたから、まさかそっちも上手いとはと…指輪をいちいち外すのに気が付いたのは何回目だったか。

「まずは空気と同化しろ。案外面なんて、空気には関係ない。めんどかったろ」

 確かになと、やはり彼には説得力があった。

「桐生さんは、なんで抱くの。桐生さんはカッコいいし、まぁ、わからなくないけどさ」

 その問いに答えは返ってこなかった。

 「可愛い」だのなんだのと枕詞はあったかもしれないが、そんなのをいちいち覚えてられないほど、二年目には慣れてしまっていた。

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