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「俺ならイケるとか、思ったんでしょ?あのとき隣で抜いた?ねえ」
「……それもそうだけど違、」

 更に首を絞める。
 本当はどうだっていいよ、そんなこと。

 けれども鈴木はその手を振り払い、「一年の時からっ、」と声を振り絞った。

「…いいなって、そう思って、」

 あっそう。
 あんな環境でねぇ。

 大して聞かず、葵は鞄からスカートを出して履き直し、さっさと下着も下ろした。

「こういうことだよね?」

 下ばかりを見て唾を飲み込む鈴木に畳み掛ければ「せ、先生に、授業を…」と、またたじたじし始めた。

「…まぁ良いよ。準備とかあるし。行けば?」

 そう促した時だった。
 トイレの外だろう、「別にいいけどさ」と…優翔君の声がしてはっとする。
 その隙に鈴木が「言ってくるから!」と個室を飛び出してしまった。

 ご丁寧にも、扉を絞めてくれたお陰で…これって不自然じゃない?

 やはり裕翔くんの「お?ん?」という少しの困惑が聞こえる。

「あれ?」

 …奥から人が出て行ったのに扉が閉まっているこの状況、普通の反応だろう。これは多分、物音を立ててはならない。こういうことか…と考えが過る。

 隣に人が入ったのを感じた。
 そして即、「うわ、紙ねぇわ」と、こうちゃんの声がして…。
 速攻で隣からかんかんと壁を叩かれてしまった。

「お隣さん。悪ぃけど紙くんね?」

 …っわー、最悪だ。
 声出したらバレるなと、かん、と一回叩き返した。

「おい長内〜、こっちあるから投げんぞ〜」

 焦ってトイレットペーパーを外そうとした最中、そう言ったのが聞こえ、安心して一瞬止まったのが悪かった。
 壁がガンっと音を立て…なんとなく、恐る恐ると見上げると…こうちゃんが上からひょいっと顔を出し、じっとこちらを見下ろしていた。

「…………っ」
「………」

 互いに無言になるしかない。
 先ほどの状況、スカートの自分、昨日の経験。こうちゃんの視線が痛かった。

「……何?待ってんの?」
「………」

 なんの感情も読めない、こうちゃんの声色。

「おい長内、何やってんのー、紙やるって絡むなよ」

 先の個室から声が聞こえ、こうちゃんはつまらなそうに「あー?」とそちらへ振り向いたが。

「あっっ!」

 バランスを崩したらしい、落ちて消えたこうちゃんについつい声が出た。
 葵の声がかき消されるほど酷い音を立て、側で「っいって、」と声が聞こえる。

 こうちゃんと初めて出会ったあの日が頭を廻った、瞬間には脊髄反射のように個室から出てしまった。

「おい、何やってんだダイジョブか!?」

 トイレットペーパーを持った裕翔くんが個室から出てきて目が合う。

「あ」

 もう仕方ないな…と諦め、そんなことよりも「こうちゃん、大丈夫!?」とドアを叩いた。
 一度ゴン、と中から叩かれハッと止まると、裕翔くんの「久瀬…?」と被るように鍵が開く音がする。

 ドアが開くように自然と離れれば、少しだけ空いた隙間から、便座の蓋で身体を支えるように座り込むこうちゃんが見えた、額を押さえている、打ったのかもしれない。

「こうちゃん!!!」

 ──あの日、と…気が狂ったように声を上げ、すぐ側に駆け付けるようだった。

 中に入ってまず気付いたのは、ああ、押さえいるのは傷の方じゃないな、とか、なんだトイレットペーパー、あるじゃん、とか、そんな…ホッとしたことで。

 こうちゃんもこうちゃんで手を振り「大袈裟だってば……」と、しかし痛そうな表情で言った。

「長内?」

 真後ろから裕翔くんの声がする。そういえば幼いあの日、最初は裕翔くん、「おいおいー!」と冗談半分に笑っていたような…。

 パッと…こうちゃんに頭を掴まれぐしぐしと撫でられ、目が合った。

 ホッとしたようなしてないような、まだまだ置いて行かれたままの感情処理中に、こうちゃんは普通に「あ」と言って手を引っ込めた。

「…床触った手だったわ…」
「……は?」
「…うーわサイテーじゃん長内…つーかお前!紙あんじゃねーかよ!」

 …ポカンとしてしまった。

 「あーあー全くバカ野郎」と言いつつ裕翔くんが手を差し出したのはまず、葵だった。
 …昔と、違うかも。出会った日。まだ自分は空気だったから。

 裕翔くんの手を借りて気付いた。自分も床にへたり込んでいたらしい。
 起き上がり、今度はと葵がこうちゃんに手を伸ばそうとした瞬間、裕翔くんが「あ」と言った。誰か来たようだが、見なくても大体わかる。

 手を借りたこうちゃんが立ち上がったので人物を確認すれば案の定鈴木で、自分達を見て彼もまた「…あ、」と言った。

「…腹壊した?
 あー、奥紙ねぇからほら長内、さっさと出て来い。
 悪いな」

 …奥、別に紙、あるけどね…。

 裕翔くんを筆頭にトイレから出て、特に何事もなく当たり前に手を洗った。
 男子便所からスカートを履いたヤツが出てきたことに気付いた生徒も多分いたが、葵は顔を上げずにただ手を洗った。

「取り敢えず保健室?頭縫う?」
「大丈夫だっつの、保健室で縫えるんかよ全く」
「………」

 何も言えず。

「まーいーや。余計バカになるから先生に頼もー。打ったのどこ?歩けんのお前」

 まるで当たり前のように自然と流れを作ってくれた裕翔くんに着いて行く。有り難い得策だ。

 ただどうしても出てきた一言は「ごめんなさい…」で、出てきたら涙も溢れ、スカートをきゅっと握った。

「…まー、3階?3.5階?行くか。どうせこいつは大丈夫だし」
「…まぁな。ケツの骨痛ぇくらいだ」
「元バスケ調子こくな、昔からおふざけが過ぎんだよ。
 アオイ!」

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