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開店の準備を全て終え、女将さんを呼びにいく。勿論返事などはない。ちらっと覗いてすぐに台所へ消えてしまった。

旦那はもはや作業場に籠っていた。

どうやら今日は一人で店を見ろということらしい。そんなことにはもう慣れている。

開いて暫くは客が来ない。番台に頬杖を付いてじっと店を見ている。太陽の光が差し込む店内は灰色に見えた。これが日常である。

今日は何処へに弾きに行こうか。この辺の飲み屋にしようか。

「ごめんください」

入り口の方から声がして、はっとした。見ると、白地に紫陽花の友禅染めを来た小柄な少女が立っていた。歳は16,7くらいだろうか。

「いらっしゃいませ」

白い肌に林檎のような色の唇、長い睫毛。なかなかの美人だが幼さも感じられるような顔立ちだった。

少女は会釈を敷居を跨いで店に入り、一度店を見回った。時々扇子を手にとって開いて見ている。

迷っているようなので、鷺は番台から降り、少女の元へ近寄る。

「どれも素敵ですね」
「私も、どれも気に入っています」
「これは、あなたが?」
「いえ。私はここの家の丁稚です」
「あら、そうなんですか」

高くもなく低くもない少女の穏やかな声が心地よい。この声質は長唄向きだなと思った。

「迷っています。あなたならどちらがいいと思いますか?」

少女は扇子を2本並べた。一つは水色地に骨が黒、赤紫の紫陽花柄、もう一つは白地に赤い金魚と黒い金魚が一匹ずつ、緑の浮き草柄だ。

「こっち」

鷺は迷わずに紫陽花の方を選んだ。

彼女は紫陽花が良く似合うと思ったのだ。

彼女はにっこりと笑い、「では、そちらをいただきます」と言った。

青い扇子入れにしまい、少女に渡す。

「あら、扇子入れも頂けるんですか?」

本当は金を貰わなければならないが。

「はい。差し上げます」
「ありがとう」

少女は会釈をして店を去った。鷺は扇子入れの分の金を懐から出し、売り上げに足した。

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