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線香の臭いが、二階の俺の部屋まで届いた。

埃臭さと混じり合って、妙に日常を感じる。もしかすると、毎日毎日こんな感じだったんじゃないかなって思うくらいに。

昨日、兄貴がバイク事故で死んだ。俺の三つ上、21歳だった。

とは言っても、何の実感もない。隣の兄貴の部屋に感じる人気なさはいつも通り。扉が開くことも閉まることもなくて。

今も一階の客間に寝かされた兄貴の真っ白い、だけど所々赤紫色に変わった顔を見ても、違和感は感じたが死んだという実感はなかった。人の死って、こんなもんなのかと思う。

もともとそれほど特別仲が良かった訳でもなかったからかな。引っ掛かりは感じても、特に悲しいというわけではない。

そもそも死んだのか?だとしたら死も生もあまり変わらないような気がしてくる。

取り敢えず寝ようかな。
明日は9時から出棺だし。

電気を消したらあっさりと眠気が来て、俺はなんの惜しみなくぐっすりと寝た。
朝起きて客間にフラッと降りたら、兄貴は白装束に身を包んでいた。お袋が傍らに喪服で座っている。

後ろから足音とドアが開く音がした。「お前も着替えてこい」と父のくぐもった低い声がしたので、仕方なく俺はもう一度二階の部屋に戻り、黒いスーツを探した。

一ヶ月前に職をちらっと探した以外に着ていない。そういえば、兄貴のおさがりだっけ。

タンスの奥で丸まって皺になっていた。ちょっと兄貴に申し訳ないが、まぁ仕方ない。

探してる間、一階は忙しなかった。降りた頃にはもう、親戚が集まっていた。

お袋の隣に座ると、ちょうど兄貴の手が組まれていた。それが目下にある。胸辺りには、兄貴が使っていた調理師学校の頃の包丁が、半紙に包まれて置いてあった。

暫くして坊さんが経をあげた。線香の匂いが近い。

そっかこの白い爪は、ちょっと前まで動いていたんだ。考えると悲しいというよりも不思議で仕方なかった。まるで、電動式のおもちゃみたいだ。パタッと、動かなくなる。

お袋がすすり泣き始めた。親父がそんなお袋の肩を抱く。何で俺は悲しくないんだろう。

経が終わると、葬儀屋が4人がかりで兄貴を木箱に入れた。これから外に出るんだ。客間から出ていこうとする4人の背に、ついにお袋は崩れた。俺も立ち上がりふと足を出したとき、右足に妙な生冷たさが感じられた。

何だ、何の冷たさなんだ。
よく足元を見ると、さっきまで兄貴が寝ていたその床を踏んでいた。あぁ、保冷剤か。

保冷剤?腐ってしまうから…。

気味悪いような、でもなんとなく離れがたい、妙な感触。足にかけあがるのは不快感だけではない。

誰かがそこに寝ていたという感触。しかし、それにしては生身ではない感じだ。

棺桶が客間を完全に出た。これから、通夜に向かうんだ。

「行くぞ」

そう父に言われたけど。

「待って…」

俺は走るように階段を登り、自室の前にある兄貴の部屋を勢いよく開けた。

あ、あぁ…。

兄貴が好きだったパンクバンドのポスターや勉強机の上の地球儀、テレビや深緑のカーテン。

兄貴が居たままの部屋。だけどその部屋は、何も変わってないくせに一気に人の臭いを消していた。

そうか、兄貴はもう帰ってこないんだ。

主のいない箱のような部屋、線香の香り。

俺は、そこでやっと兄貴の死を実感した。


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