裏長屋の段 一


 権平も流も、外作業以外で外に出るという機会が少なかった。
 花がやってきてからは、庭で「傘の柄の竹を割る」という作業が増えたくらい。

 生活の中心、いや、生活そのものが「作業」でしかなく、服などは数着の作業着だけ。
 余所行きとして着せてやれる物は、担保放棄され、権平が改良をしたが特に売れてもいない物ばかりしかない。

 ある意味では選ぶ服など沢山あったのだが、若い流ですら、所謂「洒落た物」に興味が無かったのは、接する時間が一番長い権平がそうだったからかもしれない。

「何着て行こうかしら」

 と、夢見心地な花の様子に流は疑問そうだった。

 質屋故、着物も生活用品も品定めし食い扶持に繋がるかどうか、という意識にばかり傾いて物を見る。
 振り返れば、あの部屋が若者には狭かったのだと気付いたのは、その日だったように思う。

「まぁ、ある程度のもんはあるから、余所行き言うんを覚える機会や」
「そういえば…」

 流はふと、部屋の籠から錦糸羽織を取り出した。
 上等すぎる品。

 「真庭さんが」と流自身が言わずとも、部屋に通った際に渡されたのだろうとわかるものだったが…。

「いやそれは羽織るもんやで、下に着るもんが…」
「ほぼ新品らしいですよ?」
「見て分かる、そないな事やない…。
 えぇと…その羽織は流石に上等すぎるし、追い剥ぎにでもあったら事やで。丈も合っとらん」
「…そんなに高価な物なのですか?確かに綺麗ですが…布団にするくらいの価値なのなぁと思ってました」
「…布団って…っ!」

 「物の価値も教えんとなあ」と佐助はその場で笑った。

「そんな高価なもんを布切れとしか思わないのはあの店主くらいだよ。
 あの人にとっては布団くらいの価値なのか…良いのか悪いのか、いずれにしても羨ましいもんだ」
「価値は人により変わるんもんや」

 今度は花が始終疑問顔だったが、兎に角、流には紺無地の浴衣あたりを引っ張り出して着せてやった。
 流石に甚平やら作務衣では、共に街を歩く花のこともある。

 天蓋を手にした二人が店から出て行く様は、少し俯き嬉しそうな花、それを慈悲深く見下ろす流。
 兄妹というより何処かそう…初々しい男女に見えた。

 番台に頬杖を付き見送る佐助は「いいねぇ…」と漏らす。

「おいらもあんな時代があったのかもなぁ」
「なんや、番頭くらいなら交換するか?」
「違ぇよう、ゴンさん…裁縫さんよぅ」
「……あんたに言われるとなんや小っ恥ずかしいなぁ」
「お前さん気付いてねぇだろうが、流が来てからよぉ、水を得た魚みてぇに生き生きしてるじゃねぇかよ」

 少し、自覚はあった。

「若い言うんは、ええことやと思っとるよ、毎日」

 間が出来てしまった。

 分かっている。これからあの若い二人がどうこうとは、明るい道では無い。

 真庭は確かに、年嵩でいえば二人より先に死ぬはずだ。だがそれは十年や二十年も先だろう。
 例えばその頃まで二人がここに雇われ続けたとすれば、どうしたって四苦八苦する、まだ見えずともわかること。

 真庭は恐らく、あの高価な羽織を布団にしてやるくらいには流を気に入っている。
 あの二人がどうにかなるとすれば、それこそ若い。駆け落ちくらいの覚悟がいるだろう…。

 聞きつけてか、真庭が奥間からふらっと現れた。ただ外を眺め「行ったか彼奴ら」と零す。
 今日は薄い浅葱色の着流し。やはり上等なものだ。

「無事に出て行きましたぜ」
「閉めるか。昼間の様子じゃ、今日はもう暇だろう」
「へーい、わかりやした」
「そうだ権平」
「はい、なんでしょ」
「帰ってきたら寄るように伝えとけ」

 それだけ言って去る店主。

 佐助は小さな声で「ありゃぁ、若いっつーもんなんかい?」と言いながら、算盤を弾き売上を纏め始める。
 権平は店の暖簾を下げ「歳甲斐もなく、やな」と返した。

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