履物屋の段 一
それは、権平若かりし日のこと。
権平は質屋の裏長屋に住んでいた。
住居とはいっても質草の衣服の修繕、つまりは作業部屋で寝食をしているような状態だった。
表長屋の店では、金がないと泣き喚く婦人もいれば怒号もあるし、はたまた、こちらに騙されたかどうかすらも気にせず気前よく金を出し帰って行く役者や武家等もいたりと、様々な事柄を見聞きしてきた。
そんな生活も十年と過ごしてゆけば、人のどんな理も見慣れ飽き、何事も意識すら掠めなくなっている、はずだった。
それはどうという理由も明確にはない事情で、極たまに吹く異風を感じ取ったのだと思う。
不揃いな履物の擦る音、店に赴く音が聞こえた。この解りは、職業故に身についた技。
十数年と過ごせば、手元の刺繍のように、細微な違いを見つける“勘”というものが働く。
権平は質草の修繕をふと止め、店の裏口から中を覗きに行った。
番頭、佐助が権平の足音を聞き取り一目寄越してきたが、再び客を見る、権平もそれに習い自然と客を視察することにした。
女と、年端も行かぬ子供。
服装は磨損と言えるものですらない、色褪せ古びた麻布の着物。呉服屋であった権平でも、修復は恐らく不可能なほどの代物を纏う親子…だろうか…?
子が母より前に出「これです」と純粋無垢、しかしたどたどしい言の葉で佐助に差し出したのは、編みたての草鞋や草履等。
その履物をぶら下げた子供は、足元のみ見栄えがいい。新品同様、しかし子供の大きさではない雪駄を履いている。姿からしても、得てして珍妙だった。
こういった事案は、今までにない。
質屋の普段はまず、客が品を出せば利潤も含めた見積もり額をこちらが提示、交渉を行うのが常であるものの、どうやら相手方は、勝手が違っているらしい。
これは恐らく卸しもしていないような新品、商売用語では“上等”に等しい出来、それがいくつもこさえてある。
しかし、ここは質屋だ。子供が肩からぶら下げている未使用だろう履物は、問屋へ卸すのが道理である。
質草にしてしまうなら例え未使用だとしても、そう認識はしない。なら、売り物としての価値が下がるのは当然だ。
つまりこれは、どういった手合いか。
この場合は盗品か、名の知れ渡る職人の贋作を疑うのがまず、始めだろう。
そして、相手はそれほど金に困っている。
佐助は目聡く、暖簾の向こうの微かな足音へ一目配せをする。見え隠れする姿、背や足音の重さから、男…父親だろうか。
再び母に目をやり様子を伺う。相も変わらず、俯いたままだった。
「……これで、いくら貸して欲しいと?」
「僕が作った」と少しはにかむ子に息を溜飲した佐助は、彼の頭を撫で側へ座るよう促し、「へぇ、そうかい」と品を見定め親共を見、また少年へ「雪駄だなんて、粋だねぇ、坊ちゃん」とあやしている。
雪駄でなければ確かに、男児か女児かというほど。幼いながらに、まるで役者のような面の子供だった。
「ちと、見せておくれよ」
「うん」
子供が片方を脱ぎ佐助に渡すと、佐助は雪駄の底を眺め、コンコンと指で叩き「ほぅ、二枚草履と薄い板っぱち…底は…」と査定すれば子供がすぐさま「皮だよ」と、嬉しそうに答える。
「まぁだ、すり減ってない、新品かい?」
「今日出した」
「いくらで売れますか?高いですか?」と無邪気に言う少年、バツも悪そうに佐助から目を逸らし「一匁程…」と言う母親。
少しばかり、客の真意が見え隠れする。
品は今まさに、側にあるそれではないのか。
「蕎麦なら、担保分は食えますねぇ」
今にも去りたいような親の様子も構わず、佐助はじりっと親に一瞥をし、子供に「坊ちゃん、ここはな、売るとこじゃねぇのさ。こりゃあ、お前さんが履くには少々大きいな」と告げる。
「一寸待っててくださいな」と奥の、地主の部屋へ向かって行く佐助に子供はハッとし、「本当だよ、僕が作ったんだ」と弁明している。
程なくして、奥から錦糸羽織の男、店主の真庭林蔵が現れる。
それが、己らの雇用主であった。
真庭は、蛇のような目をした男だった。
役者あがりの性分だろうか、真庭は客に商売笑顔を見せ「どうも、店主の真庭です」と名乗るその珍妙、胡散臭さに、母は更に一歩引き硬直してしまった。
「お客さん、本来売れない物はお断りなんですわ。担保を取っても意味が無い…が、」
顔真っ青に我が子を見る母、少し俯く子供に「立派なもんで」と減らず口の店主。
「まぁ、売る価値も無い物は、です。大方、卸問屋と揉めた手合いで?
これほど上等な物とくりゃあ、お宅は職人でしょうかね?なら新品だ、七日は担保期間を設けましょうか」
「……へ?」
真庭は確かに頭の切れる男だが、真庭でなくても当たり前にわかる思惑。
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