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ちから、ですか?
あぁ、えっと…主に税と書いて主税です。
あぁ、安富と私がどうして新撰組に入隊したか、ですか?
失礼致しました。確かに、先に我々の話をしておくべきでした、すみません。
甲州勝沼で佐藤様とはお会い致しましたね。
私共は64年あたりの、隊士募集で入隊しました。安富は、馬術を土方副長に褒められ、最後は彼の直属の部下でした。
私は近藤局長の側近を努めていました。
性格を偉く気に入って頂いたようで。まぁ、朗らかなのが私の取り柄だったようです。
この文や遺品を届けたのは沢だったと、手紙で聞き及びました。
沢忠助は馬丁を努めておりました故、安富とも通じておりました。
いまや、こちらに来れたという事実のみで、そうか生き長らえたのかと、勝手ながら安堵もありますが、やはり身の上を考えると、少し不憫、と言うに留めます。
なんせ、安富などはあれから御陵衛士の残党に暗殺されたとも噂されていますから。
身の上を解った上で安富は私にこの手紙を託したのでしょうが、私が捕縛されたせいで沢にこれを託したのです。
酷い奴です。私は。彼に、生き残れと言ったも同然ですから。
しかしこうして佐藤様の元にこの文が渡ったということは、彼も彼で戦い、勿論その戦いとは己との物があれから強くあっただろうと感じます。
きっとこれを置いて帰っただけだったのも、まだまだ戦っていたのだろうと思います。
そうですね、私としては両名は共に戦った盟友、と言うと聞こえが良すぎるのですが、しかしそうなのです。だが、会うことは叶わない。
と言うより、互いにもう、会うことはしないでしょう。そんな、…戦だったのです。
無事は祈りたいが、それを憚る物は多数あります。やはり我々旧幕府が負けてしまった、これは大きな傷となりました。
私は貴方様に申しましたね。貴方様の前に現れるのは些かやはり、怖かったのです。
ご存じの通り、私共は恩師であり貴方様の弟君であった歳三殿が亡くなり、間もなくして五稜郭、蝦夷を新政府軍に明け渡し白旗を降ってしまいましたから。
この、副長が最後まで離さなかった兼定やら時計やらを…私は届けなければならないと、そう、あの時安富やその他残った者と誓いました。
今となっては私は鞘に納まった刀で、この零れ刃を見ると…やはり込み上げるものですね。
でも、折れてないんだなぁ、この刀。それだけが救いだと、佐藤様に言うのも本当に烏滸がましいのですが。この刀は…市村くんがお持ちになったようですね。
え、はい。
まぁ、私先程から貴方様には無礼ばかりを言っている気がずっとしていますので、なんなりと聞く所存であります。
…この紙は、なんですか?
読んでよろしいのですか。あぁ、読んでくれと。畏まりました。
鬼百合や 花なき夏を 散りいそく
待つ甲斐も なくてきえけり 梅雨の月
「あいつより俺の方が、上手いと思うんだが」
あ、はぁ…。
上の句が…はぁ……。
すみません、いや、あの。はい。
上の句が局長、下の句が、弟君と。
あぁ、はい。はい……。
確かに、あの御方の兄君だ。もう、はい……。本当に、お上手ですよ、佐藤様。
すみません、だって、はい。
そうですね、泣いても笑っても仕方がない。私がどうにか、貴方様には語る武士道です。わかりました。
この刀、土方歳三殿の功績や末路、見た限りを私が語ります。私の、…最後の責務ですからね。
あ、ありがとうございます奥さま。このお茶、染み入り美味しいです。
彼の函館はそう、見事、天晴れな物でした。私の他、あの戦をしたもの誰も真似など出来ません。
こちらが私めが謹慎中に書き溜めた函館戦争の日記でございます。
はい、日記ですので、勝手ながら側付と致しました。安富も私も、そのように、彼のお側に仕えておりました。
こちらが、蝦夷の商人、|大和屋友次郎《やまとやゆうじろう》氏のお手紙であります。
大和屋氏の手紙で、沢に預けた遺品が佐藤さまの元に届けられたと知りました。
この…最期の部分…。
勝手ながら、私共で建てた、彼の墓の戒名であります。
一、亡君の御法事相営み、月々御仏事致しおり候間、この段、御序でながら申し上げ候。
すなわち御法名、近藤様の御振り合いをもって、左に申し上げ候。
明治二年
歳進院誠山義豊大居士
巳 五月十一日
あれから毎月、ここを訪れているのかと、私も胸を、打たれる思いです。
彼が戦った函館戦争の、お話をしたいと思います。
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