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いつか慧がこう言ったんだ、「例えば、自分が泥沼に溶けて消えたらって、考えたとき」と。
取り残されたくない感情だって、生きていればあるんだから。
さっと坂下がストレッチャーを退かし「ちょっとあんたまずそこ寝てっ!」と自分の制服を脱いでぐっと腕を絞ってくれた。
「っは、いっ……ってめぇら、マジ、遅せぇよっ!」
「あんたなんで来ちゃっ」
「…じいさん、泡吹いたらしい一応部下があっちに連れて…」
透花を見る。
不規則な呼吸。坂下を見れば状況を把握したようだ。
「まず…ちょ、俺今……息整ってねぇから透花を」
「…じゃ足押さえて」
「は……っ!?」
「あんたまだギリ動くよね!いいから!」
確かに震えは酷い。
寝転んだまま、坂下の指示通り透花の足を押さえた。
「バットリしてたらやりたくないな大丈夫かな」はぁ、と息を吸う坂下に「してるとっくに!」と答えれば「あーもうそれ仕方なさすぎ!」と覚悟を決め深呼吸、そして人工呼吸をした。
整えるのみの簡単な作業でやめたかと思えばふっと、坂下はどこから取り出したのか注射器を…筋肉にぶっ刺しやがった。
「はっ、」
「ここまで来ると気休めかもですけど、鎮痛剤です」
「…てめっ!」
「10分くらいで」
「〜〜っ、それアンフェタミン!?」
「ん、あれ?あんたバカじゃないと思ってたけどんなわけ」
「…効かねぇんだよ!アレルギーあんだわっ、」
「は?
えマジ!?やりすぎとかってやつじゃないですよね、それ!」
「傷に響く声だなお前…、やりすぎて死にかけたくらいのやつだよ!ソレと変わらんの!」
「……え急に悲しい過去ありとか怖」
奥から発砲音がした。
それに透花がビクッと意識を戻す。
坂下はそちらを見てすぐ「あーこれか」と…床に転がった点滴を見つけたらしい。
残っていたらしい液体をそのまま検査キットに掛け「……ベンゾとメタンと…」そしてはっと透花を見「声を掛け続けてあげてください、乱暴めでもいいです」と青ざめた顔をし、側にあった注射器も拾う。
「…すぐ戻ります」と言い残し坂下は走って行く。
…そうか。
「青木透花、」
名前を呼ぶ。
反応しない。
「ユリシス・ヴェルディエ、」
ハッとこちらを見る。
全く……。
「ユリシスは、もう、いない…だから…そんな、泥船からさっさと…降りちまえよ!」
はぁはぁ、と息をしている。
あぁ、泣いてる。こいつ。汗かきまくりで涙もただ意味無く垂れ流されてるけど。
「…いらねぇよ、そんなもん…そんな、誰もいねぇ場所…」
さっさと捨てちまえ。いいことなんてねーから。
荒い呼吸で苦しそうに目を閉じる透花に「痛てぇよな、」まだここにいろと言い続ける自分が不思議で仕方ない。
「…聞こえてる?…っ俺も、痛てぇんだわ…」
マジでこれ腕使えなくなったら俺どーすんの?
持っていかれないようにしなければ。
「…わかる…?痛てぇって……やべぇってことで……」
頭回らん。
慧に怒られるなと思いつつふっと抱き締め「大切な、人の顔、頭に、浮かべろ…」いつか慧に言ったから。
俺は悪いヤツだから、こんな時、残酷な言葉しか出ていかないけど。
「…早く戻ってこい、甘えんな、そいつに会うまで…っ置いて行かれんな、まだ、あるから…わかるか?なぁ!?」
痛み。
あ、これ互いにいいかもな…。
はぁ、はぁ、と息が上がるのは互いにだ。
いや、青木透花は下がってしまう。
それじゃダメだ。
「しっかりしろ!青木透花!」
「江崎さん…」
ハッと、透花が薄らと声の方を見る。
急に安心してしまい、ガクッと来そうになったが、「……裏に、ウチのドライバーがいる」と一踏ん張りする。
よかったな、透花。泥沼から出るなら今だ。
肩を押さえ立ち上がった…虚勢。
「無理に」と海江田に言われたが実際「大丈夫だ、相棒がやってくれたんで」と透花を見る。大丈夫だ相方のせいで今若干眠気が来たんだよ。
海江田から差し伸べられた手を見て、透花の表情が少し生きた返った、けどまぁわからないか…当の、救いの手を差し伸べた本人は至って悲しそうで。
透花をおぶった海江田が心配そうに見てくるが「ダイジョブ立てる」と言うしかない。
自分は生きていて皆今生きている。だが、ジジイが一人死にそうだ。
「…少しは聞きました…あと、ラミネート身分証も平良さんから…」
…そうか。
「…そっか、よかった……まぁ、」
「そうですね………はい、」
だからさ、
「ダメだなお前……んな顔してんなよ、」
お前しかこいつを、助けらんねぇみたいだわ。
より暗い顔をしたが「………ですね、」と言った海江田に、「よくやったよ……」と励ますしかない。実際そうだから。
それから、多摩が待つ車に乗り込んだ。
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