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「教授、」
オリバーが、荷物をまとめ帰ろうとしていた矢先だった。
慌ただしい足音と看護師フジサワの声、ドアが開く音。
「なんだ」
「…404の、」
時計を見る。夕飯前の時間だ。
「いつもは寝ている時間……」
「はい、あの、」
息が上がっている。
脱衣カゴに入れた白衣を見、仕方ないなと聴診器を首に下げるのみで、そのまま帰れるように荷物を持ち研究室を出、フジサワに「脳波、MRI、CTの手配とキミは一通りを持参しイスに掛けてて」と指示を出しながら病室へ向かう。
「えっと…」
「キミの心拍数や顔色、声色から考えると緊急だろ?キミは女性だ、何があるかわからない。言うまで立ち入り禁止。言ったらすぐに入るように」
…まぁ、相手が男性か女性かもわからない。ちらほらと表れるデータ上では…女性ホルモンが強そうだが、身体は男性である。警戒するに越したことはない。
ドアをノックしスっと開ければ確かに、患者はベッドに猫背で座っていた。
普段の柔らかい雰囲気もなくただジロっと……それは虚無を感じるような目。碧眼すらも濁って見えるような。
相手はふっと笑い愛想良く「一応、Nice to meet you?で合ってるのかな」とフォーマルに言った。
「I glad to meet you family、が合ってるかもしんないけど、これはビジネスで使う。
しかし私は会いたかった、Twas nice stopping by…Ulysses. 私は」
「ミスター、オリバー・ブラウン。私のことを探していた人」
「……無意識下でもわかるのか。ではジャパニーズ挨拶、はじめまして」
「はじめてまして。ユリシス・ヴェルディエです」
…この身体の持ち主、青木透花の別人格…3日程診て初めて現れた。
これで、こちらの人格が「別人格」とはっきりした…なんせ、話しぶりからこの人格は透花を知っている。
しかし透花はこの人格を知らないと思われる…こちらでも脳波の変化で、なんとなくしか追えなかった。
解離性同一性障害、別名“多重人格”。
本人の記憶から形成される性格、という現象。
しかし、ひとつの身体で別の現象が起こるというのは、物理的に無理がある。
つまり、なんらかの形で本人が意図的に記憶をシャットアウトし人格という精神構造を新たに作る…ということは多少なりとも神経伝達にも変化があるはずだが、この症状がどんな時にどんな影響を及ぼすか、未だ正確に解明が出来ていない。
大抵の場合は、自己防衛本能が働く程の辛い経験から精神…意識を意図的に離脱させ、別人格という“現象”が起きる。
…不思議だ。
今目の前にいる“ユリシス”と名乗った人格は笑顔だが…社交辞令というか、嘘臭い。透花は控えめだがもう少し自然体だ。
ユリシスがオリバーを見て何かを探しているような…もしかしてと、ポケットから「これ?」と青のアメスピを見せれば、少しだけ顔を傾げたが「うん多分それ」と答えたので一本、ライターと共に渡してみる。
すぐに消えた火に「ん?」と疑問そう。
なるほど…とオリバーもタバコに火を点け「火が点いたら息吸って」とシガーキスで火を分けた。
「うぇっ、がはっ、」
すぐにまた消えてしまった。
「これはオーガニックだから火が点きにくい」
「っこっ、はぁ、これクラクラするし息苦しい…」
「吸ったことないのか」
「ない。18だもん」
「なるほど。トウカも吸わないしな」
取り上げれば「どう?これで」とユリシスは首を傾ける。
「…立証するには飛行機に乗って」
「その必要はない。透花は23歳でしょう?
最後に真実を言わなければ、医者は困ると判断して起きた。夕飯の時間には消えるつもり」
「…じゃあ聞く。ユリシス、キミは長い間そこにいたのか?」
「そうだと思うけど、わからないのが事実。ハッキリしたのは…最近。ここに来た日だというのはわかるんだ。
透花を助けた男に教えられた。ユリシスはもういないと。その瞬間に思ったのは、私はずっとここにいた気がするのに、と」
「その男は誰?」
「ここに運んでくれた…んと…手を撃たれてしまった」
「あぁ、アラタか」
「透花は私の世界を知らないのだと、その時に初めて知った。孤児院のことも、船でのことも」
「私が人伝てに聞いた話で予測すると、その時キミの意識も混在していたと思う」
「そうだね…。私が無意識に透花に記憶を見せてしまって…引っ張っていたのだと思う。
聞きたい、ドクター。私がこのままこの記憶を持ち去り消えることは」
「恐らくそれは難しい。記憶は脳だけで保存されてるわけじゃないから」
「そうなんだ…私がいても、透花は幸せでいられるかな…」
「そうだなぁ……」
ふと、嘘臭い笑顔に影が落ちる。漸く、感情に貼り付けたペルソナが剥がれたように見えた。
タバコをケータイ灰皿に捨てる。
「トウカの身体はレム睡眠が続いてる。つまりユリシス、キミが出てきやすいから今出てきたと仮定するなら…単純に疲労が溜まっている。
キミはトウカをどう思ってる?」
「…病める時も健やかなる時も、私の虚勢や嘘と共に歩んで行ける…辛いことも平気だと思えるような唯一の友と呼べる人だった、かな。
目が覚める瞬間、私はいつでも嘘を吐いている気がしていて」
「なるほど。じゃぁ検査している間は起きてて。そしたらぐっすり寝たらどうだ?人間、休息は命だ」
「こんなモノ、迎え入れるべきではなかったのに…バカな、ヤツだ。
けれど…無い物強請りかな、彼には光があって…だからこそ愛すべき友だと…いつの間にか執着をしていたのはきっと、私の方なのだ」
「…いなくなるのは、怖いか」
これ程曖昧な人格は…いや、人格と呼べるか定かでない現象なら…消滅する可能性もある。
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