無色透明色彩


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「わからない。怖いということが」

 自嘲気味に言うユリシスにせめてもと「ほらな、」…と飾りなく答えることにした。

「疲れはコルチゾール値を下げる。血液検査しよう」
「最近はあまり眠れていなかったかもしれない。よくわからない…指を切られるだとか、無理矢理激痛を伴って罵倒されながらも、わからないと虚勢で歯を食いしばって、」
「育ちがいいな、キミ」

 こんな時くらい、辛いなら辛いと言えばいいのに。

「…は?」
「いや表現が。つまり痛ぶられながらレイプされたって言いそうな」

 ユリシスは顔を顰め「低俗な言葉は嫌いなんだ」と言った。

「なるほどおフランス…孤児院での教えは」
「私は神だと崇められたが、貶されもした…知らず知らずに私が見せてしまっていたのなら、透花も多分、覚えているよ。…自分でも、どの記憶を奪取しているのか、わからないけど」
「最近自覚した性格、か。薬による副作用かもね」
「…そうかもしれない。
 完全に叩き起される時にはいつも何かが起きている…だからこそ、私は透花とは…幸せを共有したつもりだった」
「…今のうちに言う、互いを支配し奪い合おうとしてはいけない。
 例えキミがトウカだけを望んでも、共にあり続けるなら…そうやってコントロールが不能になるとキミはキミで別の人格を作り始めてしまう。つまり、嫌な思いをする人間が一人増える」

 …それがプレッシャーなら、ただの踏み台になってしまう、けれどもユリシスはどうやらそれを厭うわけではないらしい。

「去るなら、それでもいい。しかし私は考える…学者として。
 これから測ってみようと思うがキミは恐らくIQが高い。キミもプラスな思考で…それで一人の人間と融合するとしたら、幸せな人間が一人増えると思うし」
「必要か?…そんな、虚しいこと」

 やっとハッキリとした影を見せたユリシスに、「それはわからないが」と曖昧に食い下がる。

「やっぱり怖いんじゃん。なら、キミにも権利はあるよ。別にひとつに囚われなくてもいいと」
「…こんな、無意味になったものなんて、」
「ちなみにキミは男性か?女性か?」
「……考えたことがない」
「じゃあ男性だ。いいじゃん、互いに高め合うというのは。意味があると思う。
 本来嫌なこともあるのが人生だ。それを踏みつけるのが二馬力なら、理由を付けてどちらかを消すことはしなくていいと思う」
「…でも、」
「懸念はわかる。
 私に最後そうやって意見を言うのはどんな気まぐれかはわからないが、患者の面倒は極力見ると、私は決めている。ダメになったら私を思い出してもいいさ。これは、トウカにも言っていること」
「……眠くなってきた」
「じゃ、フジサワ、入ってきてくれ。血圧体温脈拍を」
「えぇぇえ…」
「透花の中で寝てたんだろ?少しくらい起きててよ。
 いいか?逃げるが勝ちだがそれに折り合いをつけるまで、葛藤するのも普通だ。キミはこの異国の地に逃げてトウカと…私とも出会ったんだよ」

 フジサワが恐る恐る、道具を持って現れる。
 「私は怖いか」と切なそうに言ったユリシスの頭をポンと撫で、「慣れないだけだ」と言っておいた。

「人間慣れが必要。息も吸えなきゃ…病気になる」

 その日、漸く脳波に異変が現れたが、それは不安定で一定ではなかった。

「Come back anytime,Ulysses.」
「…Let me think about it.」

 目を閉じる少年に思う。
 本当に君にとって意味がないことだったのか?と。

You came and went and left my house貴方は私の家に現れ、通り過ぎて行った…か」

 日本人歌手がアメリカデビューした時の歌詞の一説を思い出した。
 ユリシスには好きな歌や物はあるのだろうか…それすらまだわからずに目を閉じてしまった。

 まぁ、考えても意味はないのだけど。また会えるとしたら…。幸せであることを願うが、それは難しい症例。
 皆、安らぎを求めるのは当然だ。

 起きた透花は案の定、何事もなくいつも通りに過ごしていた。

 症例では人格が増える方が多いが、透花とユリシスは個々というにはまだまだ不鮮明である。
 ユリシスはマイナス思考の持ち主で、それ故に脳波に苦痛がない、という原因すら定かでなくなった。

 そうもハッキリしない、本当に最近の出来事だとすればもしかして…アンジの「ポジティブ思考」が起因か…?
 考えてみれば、アラタにしても誰にしても、彼と出会った人物は皆ポジティブな方だ。
 別の「ポジティブ透花2号」が現れても、おかしくはないのか…?と処方する薬を考える。
 一過性の解離、という可能性も拭えない…。

 ふと、先日MSが持ち込んだ紙袋が目に付き溜め息が出る。

 院内処方ですら法が変わったし、新たに製薬会社と契約を結ぶこともあるだろうが…と、触って違和感に気付き、漁れば奥に茶菓子の箱が入っていたのだ。

 ご機嫌取りのつもりだろうが、普通食べ物は持ち込まない。患者にもある程度制限をしている、それは常識だ。

 更に、その箱は底上げされていた。
 下の層に怪しい物体…始めは黒蜜だかなんだか、茶菓子に掛けて食うものだと思い開けてしまったが、よく見れば「RAT」と表記されていて「待った、」と研究室の皆からそれを取り上げたのだ。

「えー…」
「い、いまから食おうかと…」
「ラット用意と、そのぶっ掛けた茶菓子は…後で取り寄せてあげるから…コレ、成分分析に回して」
「ん?」

 一人、若い研究員が「京都の人気菓子ですよぅ…」と言いつつ「ん?なんかぶっ掛ける系じゃないな」と気付いたらしい。

「…これ、ネズミ用…」
「は!?」

 そんな騒動から、数日。

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