拾壱 縦は駄目
朔が通りすがりにひったくりを撃退した日から少しばかり時は流れ、平日の夕方頃。
朔はこの日もいつもと変わることなくポアロでせっせと働いていた。現在シフトに入っているのは朔とマスターのふたり。たったふたりで大丈夫なのか、と思われるかもしれないが、今は客足もある程度落ち着いた時間帯である。後数時間もすれば少し混み始めるが、その時間帯になるころには安室が出勤してくる予定になっているので問題は無い。
「それにしても相変わらず多すぎる」
ホールにほぼ人がいないのをいいことに、誰にも聞こえないように小さく独り言を零す。その表情はどこか疲労の影が見え隠れしていた。
その視線の先にいるのは……朔の頭を悩ませる原因である、大量の亡者達の姿。
今日はいつもの合コンまがいの亡者御一行は居なかったが、代わりに何もせずに俯いてただ座っているだけの亡者が多いようだ。じっと俯いたまま席を占拠する彼らの不気味なこと不気味なこと。鬼である朔にとっても、この光景はいいとは言えなかった。
正直早く彼らを何とかしてしまいたいが、始めたばかりのバイトにひとりで鍵締めを任せるとは思えない。どんなに早かったとしても、きっともう少し時間はかかるだろう。今度遅めのシフトに入ったときにでも先輩に提案してみるか、と朔は目の前の浮遊霊をこの場から追い出すための算段を頭の中で立てていた。
開いたテーブルに置かれていた食器をまとめて流しへ運び、テーブルを拭きはじめる。
すると、カランコロンと入店を告げるドアベルが鳴りひびいた。
「いらっしゃいませ」
爽やかな笑顔を浮かべて、ぱっと顔をあげて入店した客へ入店の挨拶をする。その客と目が合い、思わずあっと声を上げそうになった。が、それは相手も同じだったようで。
「あ、あの時ひったくりを捕まえてくれた……!」
「ウソ、ここでバイトしてたの!?」
入店した制服姿の女子高生ふたりは朔を見て驚きを隠せないでいるようだ。信じられないものでも見たかのように大きく目を見開いて固まってしまっている。そんなふたりを他所に、朔は自然な流れで挨拶をした。
「はい、先日からここでお世話になってます。望月朔ッス。よろしくお願いします」
朔って呼んでください、とにっこり微笑んで軽く頭を下げる。
「おふたりともあの時はすぐに帰ってすみませんでした。あの時はちょうど梓先輩に買い出し頼まれてて、その帰りだったんで急いでて……」
「そうだったんですか」
納得したように黒髪の少女は言う。朔は気遣うように話を続けた。
「あれからなんともありませんでした?」
「ええ、特に何とも」
「そうスか、ならよかった」
朔が安心したようにほっと息をつく。すると、黒髪ロングの女子高生が思い出したかのように口を開いた。
「まだ自己紹介してませんでしたよね。私は毛利蘭っていいます」
「私は鈴木園子! よろしくね」
「蘭さんに、園子さん、スね。はい、こちらこそよろしくお願いします」
とりあえず空いてるお席へどうぞ、と声を掛けるとふたりは店の奥のボックス席に向かい合うように座った。姿が見えないはずの浮遊霊がふたりのためにスッと端に寄ったのを見て何とも言えない気持ちになりながらも、朔は注文票を手に取る。
「ご注文は?」
「アイスティーふたつお願いします」
「かしこまりました」
早速用意をしようとカウンターの奥へ向かえば、マスターから音もなくアイスティーふたつが乗ったお盆が渡された。朔は思わずきょとんとほんの少しだけ動きを固めてしまう。早い。他にお客さんがいないにしても早すぎる。常連さんなのかな、なんて思いながら朔は軽くお礼を言ってそれを受け取り、ふたりの席に向かった。
「お待たせしました。ご注文のアイスティーになります」
「ありがとうございます」
「ありがとう朔さん!」
お礼を言ってふたりはアイスティーを受け取った。
朔は「ではごゆっくり」とテーブルを離れようとしたのだが、園子が「ちょっと朔さん!」と呼び止める。どうしたのだろうかと振り返れば、そこには何かを企んだような笑顔。脳裏に一瞬見覚えのある顔が過ったが、今は関係ないだろうと全力で脳内から追い出す。
「どうかしました?」
「朔さん、こっちでちょっと話さない?」
「え?」
園子の言葉に思わず間抜けな声が出た。ふたりが言うには、もう会えないと思っていた朔と折角再会したのだから、これを機にもっと仲良くなりたいのだそうだ。……朔としてもその提案はとても嬉しい、が。
「一応、今仕事中なんスけど……」
「ちょっとだけ! ねえいいでしょ?」
お願い!と目の前で可愛く手を合わせる園子。許しを請うように小さく小首を傾げるその姿はかなり手慣れている。どうやらかなりお転婆な女の子らしい。……そういうおねだりにも滅法弱い朔は、彼女を見て小さくため息をつく。
「……ちょっとだけッスよ」
椅子を引いて座りながら、困ったようにちょっとだけ眉を下げて笑う朔。それを見てあからさまに喜ぶ園子と、「すみませんわざわざ」と控えめだが確かに嬉しそうな蘭が対照的で、バランスが取れたふたりだなと朔は心の中で思った。
「何が聞きたいんスか?」
とりあえず話題を投げてみる。すると園子がきらりと目を輝かせて尋ねてきた。
「朔さんて、ここの人じゃないわよね? 最近越してきたの?」
「そうスよ。本当に最近」
「へえ……どちらからいらしたんですか?」
「……すごーく遠くの田舎」
ぼんやりとした情報に、蘭は小さく笑う。
「アバウトですね」
「具体的な地名教えなさいよー、せめて何県とかさー」
「あはは……」
そこまで具体的なことは考えてなかった朔は戸惑う。そういえば梓先輩にもそんなこと言われた気がするな、と数日前の彼女との会話を思い出した。それとなくはぐらかされてしまったふたり(特に園子)はなんだか不完全燃焼気味である。そんなふたりを見て朔は心の中で軽く謝った。後でもうちょっと設定を練ろうと頭の片隅で考えている。
「米花町には何をしに?」
「具体的にやりたいことがあったわけではないスけど、都会に出たいって気持ちが強くて。今はただのフリーターだけどね」
「そうなんですか……バイトは、ポアロだけなんですか?」
「いや、ここの他に、夜間警備員と、配達員のバイトを」
「三つも!?」
少し視線を上に向けて指折り数える朔にふたりは驚きの声をあげる。
「メインはポアロだから、ここで働いてる事の方が多いけどね」
「大変じゃないの? それ……」
「忙しいくらいが丁度良いかなって」
高校生だからアルバイトをした経験があまり無いのだろう。ふたりは朔のことを心配するような目で見る。
……朔にとってみれば、歩けば片っ端から仕事を任されるあの世の雑用なんかに比べれば、時間がきっちり決まっている現世のアルバイトの方が全然楽なのであるが。そんなことは当然口に出せるわけもないので、心の中に留めるのみだ。
「というかそもそも、朔さんて何歳なんですか?」
「今二十三、だったかな」
「へえ! 梓さんと同い年ですね!」
「そうスね……実は梓先輩とも初日にその話になったんスよ」
へへ、と朔は微笑んだ。
それから梓や安室の話になり、そこから派生して、ふたりやその周りにいる人のことについても話を聞くことが出来た。蘭がここの上の毛利探偵事務所に住んでいることや、園子が財閥のお嬢様だということを知ったときは流石に驚いてしまい、その度にふたりに驚きすぎだと笑われてしまったのは余談である。
それから更に話は進み、話題は恋愛関係……更に言えば、朔の恋人の有無に移る。
「恋人かあ……今はいないなあ」
「今は、ってことは居たこともあったのね!」
「大昔の話だよ」
「そんな大げさな……」
忙しいから、今のところ作るつもりはないかなと伝えれば、園子がえー!と驚いた声をあげた。
「朔さんくらいかっこよければ、恋人なんてすぐ出来そうなのに勿体ない!」
「勿体ない、ねえ」
すると蘭が思いついたように朔に尋ねる。
「朔さんの好きな人のタイプってどんな人なんですか?」
「そうだなあ……優しい人かな」
「ありきたりねえ……もっとこう、具体的なのはないの?」
「そんなこと言われても」
困ったように笑って見せる。
恋愛に関して特にこだわりを持たず、その上仕事に明け暮れてばかりだった朔は、そういうことを考える機会すらほとんど無かったのだ。具体例を挙げられないのも仕方がないだろう。彼女たちに言われて一応考えてはみるものの、やはりこれといって思い浮かぶものは見つからない。
「俺のことなんかいいから! ふたりはどうなんスか?」
それとなく話題を逸らしてやれば、園子は待ってましたとばかりに瞳を輝かせる。それからまるで水を得た魚のようにつらつらと話し始めた。だがその口から出てくるのは彼女自身のことではなく蘭のことばかり。それを聞いた蘭はみるみるうちに顔を赤らめ、焦ったように園子を制止しようと試みる。
色恋沙汰の話になった途端に目を輝かせるなんて、やっぱり女の子だなあ、と朔はふたりを見ながらぼんやりと思う。そうしている間にも、園子はニヤニヤと笑いながら蘭と新一のことをあれこれと朔に吹き込んでいた。傍から見ればかなり微笑ましい光景だろう。
そうして完全に気を抜いていたせいで、背後に近づく気配に全く気づかなかったのである。
――ゴンッ!!
「い゛……ってええ!!」
鈍い金属音共に激痛に襲われ、大声をあげながら思わず頭を押さえる。
なんだ? 何された? なんかすごい音したけど? でもとりあえず痛い! 涙目になりながら朔はよろよろと振り返る。そこに立っていたのは。
「こら朔くん、何油売ってるんだい?」
「う"あぁ……とおるせんぱいぃ……」
眉間にしわを寄せながら腰に手を当てて立つ安室。その手には、普段店で使う金属製のお盆が握られていた。恐らくそれで朔の頭をソイヤッと殴ったのだろう。しかも持ち方から察するに、縦で。安室はかなり軽くやったつもりだろうが、何せ金属製のお盆の縦持ちだ。繰り出された攻撃ダメージは、本人の想定していた以上のものになっていたのである。現に、朔はすっかり涙目になっていた。
「あ、安室さん!」
「いらっしゃいませ、蘭さん、園子さん」
先ほどの怖い顔から、一瞬にしていつもの爽やか営業スマイルに戻り、蘭と園子に挨拶した。
「すみませんうちのバイトが仕事もせずに」
「い、いえ! 話しかけたのは私たちの方ですから!」
「こっちこそすみません!」
「ふたりが謝ることはありませんよ」
いえいえこちらこそと譲り合う三人を他所に、朔は未だ「縦は駄目でしょ流石に……」と頭を押さえて悶えていた。それを見た蘭が心配そうに声を掛ける。
「えと、朔さん、大丈夫ですか?」
「全然! 大丈夫ッスよ、俺石頭だから!」
頭に触れようとするその手をそれとなくやんわり制しながら、心配させないようにへにゃりと口元を緩ませて笑う。すると別のテーブルの方から「すみません」と呼び出しがあった。
「じゃあ俺行くんで、ふたりともごゆっくり!」
慌てて朔は立ち上がり、呼び出しに応じるために蘭と園子のテーブルを離れる。
「……まったく」
安室はそんな朔の姿を見てやれやれと溜息をつく。だがその表情は穏やかだ。目尻はわずかに下がり、口角も緩やかに弧を描いている。その後すぐに別のテーブルから呼び出しがかかり、軽く挨拶をして安室もふたりのテーブルの傍から離れた。
ぽそりと、蘭が微笑み交じりに言葉を零す。
「安室さんのあんな表情、初めて見た気がする」
「後輩が出来て嬉しいのかしらね」
忙しそうに働くふたりの後姿を見ながら、蘭と園子は小さく笑いあった。