拾弐 怪しむ者、怪しまれる者



 望月朔

 ・二十三歳フリーター。
 ・色の抜けた短い金髪、色素の薄い瞳。常に黒いニット帽を着用している。
 ・身長百八十五センチ前後。細い割に体力があり、ひったくり犯をひとりで撃退した経歴あり。
 ・最近米花町に越してきた。米花町内のマンションにひとり暮らしをしている。
 ・配偶者無し。離婚歴無し。
 ・過去数年の犯罪歴無し。
 ・バイトは喫茶ポアロと警備会社と配達業者の三つを掛け持ちしている。勤務態度はどれも真面目で優秀。
 ・人当たりのいい性格。強く頼まれると断れない。困っている人に弱い。

「はあ……」

 降谷はひとりため息をついた。

 彼のデスクの上に鎮座するディスプレイに表示されているのは、ある人物に関する情報。最近バイト先に現れた望月朔という男のものだ。

 初めて会った時からどこからどう見たってただのバイト先の後輩だと思っているのだが、一応念のため彼についても調べておく必要があるだろうと思い調べ始めたのがつい二日前。別段怪しいことが出てくるわけもないだろうと高を括っていたのだが、実際は目を疑いたくなるような事実が降谷を待ち受けていた。

 まずおかしいのは、どんなに調べても戸籍の情報と現住所、今のバイト先の情報しか出てこないこと。今までどこに住んでいたのか、どこから来たのか、とんと検討もつかない。
 しかも、戸籍上で血縁関係のある者がひとりもいないのだ。身内が全員鬼籍に入っているのかといえばそういうわけでもない。存在しないのだ。まるで初めから、彼独りで生きてきたかのように。

 どういうことだと思った降谷は、もう少し彼について詳しく調べていった。出生届が出されているのは京都のとある地方。記録によると山奥にあるとされるその集落は、十年も前に住む人が居なくなり地図から名前が消えたという。
 降谷は思わず画面を睨んだ。これならば、彼が本当にここで生まれたのか証言出来る者は存在しない。調べればその集落の元住人を探すことも出来るだろうが、元々高齢者が多かった地域だ。期待は出来そうにない。

「参ったな……」

 ただのバイトの後輩だと思っていたのに、とんだ伏兵が居たもんだ。降谷は腰を反らすように椅子にもたれかかる。ぎしりと椅子の軋む音がした。 

 ……思い返してみれば、記録に頼らずとも気になることはいくつもあった。

 ポアロのバイト中や休憩中に、時折何もない虚空を黙って見つめているときがあるらしいこと。
 あるらしい、というのは梓やマスターから聞いたからである。降谷自身は見かけたことが無いが、ふたりはそれを結構な頻度で見かけるんだとか。見つめているときの時間や場所にあまり規則性は無く、時に呆れ気味に、時に腹立たし気に、時に寂しげに見つめているのだという。
 それを聞いた後日、朔本人に直接尋ねてみたところ、それとなくはぐらかされてしまった。

 前に一度街で見かけた時、人目を気にするように辺りを見回しながら道を歩いていたこと。
 その動きにわずかながら引っ掛かりを覚えた降谷は、こっそり朔の後をつけた。しばらく大通りを歩いたかと思えば不意に立ち止まり、何か空を掴むような不思議な動きをした後に一本細い路地に入る。一体何をするつもりなんだとしばらく観察していると、鞄から取り出した携帯電話を耳に押し当て壁のあたりを見ながら電話をし始めた。
 かなり長時間誰かと電話をしていたようだが、生憎降谷には別の用があり確認できたのはそこまでである。誰と電話をしていたのか、どんな内容だったのかは全く分からずじまいであった。

 言ってしまえはほんの些細なものばかりだが、気になり始めてしまうと止まらない。
 この間だって、バイトの休憩中に部下から急に電話が入りどうしてもシフトに穴をあけてしまうという時、見透かしたかのように朔は聞いてきたのだ。

「透先輩、シフト変わりましょうか?」

 と。

 まさかそんなことを出会って開口一番に言われるとは思ってなかった降谷は、焦って思わず「どうしてそんなことを?」と聞いたが、朔はと言えば別段変わりなく「いや、なんとなく」と返しただけだった。その時は降谷自身急いでいたためそのまま流してしまったが、今思えばかなり不自然だろう。

 降谷はまたため息をつく。ちらりと時計を確認すると午後四時。今日は夕方頃からバーボンとしての仕事がある。それまでに一度帰宅して色々用意しておいた方がいいか。降谷はゆるりと立ち上がり、部下の挨拶を背に受けながら自身のデスクを後にした。


***


 車に向かう最中にも降谷の思考は巡る。一体彼は何者なんだろうか。今まで生きてきた経歴が記録としてほとんど残っておらず、身内がひとりもいない……。
 下手したら望月朔という名前は偽名で、戸籍も買ったものである可能性だってある。流石に朔が組織の関係者だという線は薄いだろうが、どことなく怪しいのは事実だった。

 何かこう、他の人には言えない秘密を抱えているような……――

「透先輩?」

 思わずびくりと肩が震えた。声を掛けられた方を向くと予想通りの人物。

「朔くん」
「偶然スね透先輩。こんなとこで会うなんて」
「そう、だね。朔くんはバイト?」
「はい、配達のバイトの途中で先輩を見かけたのでつい」
「そうか」

 朔は嬉しそうに笑う。
 初め彼を見た時「なんで朔くんがここに居るんだ!?」と脳内パニックを起こしかけた降谷だったが、朔の服を見てはたと正気に戻った。ポアロでいつも見かけるラフな服ではなくきちっと宅配業者の制服を身にまとっていたのである。ああびっくりした、と降谷は人知れず息を吐く。

「そういう透先輩は……」

 朔の戸惑いがちな言葉を聞いてハッとする。
 今僕、警察庁から出てきた所をしっかり彼に見られたのか。しかも公安の仕事の時にしか着ないスーツ姿まで、ばっちりと。

『流石に朔が組織の関係者であるという線は薄いだろうが――』

 先ほど巡っていた考えが降谷の脳裏に過る。嫌な汗が途端にぶわわと拭きだしたのを感じた。
 まずい。仮にもし朔が組織の仲間だったとしたら。それをきっかけに、僕の本当の正体がもしバレたとしたら……!

「いや、これはその――!」
「探偵の仕事スか?」
「へ?」

 予想していた言葉とは違う回答に思わず素っ頓狂な声が出る。思わず笑ってしまうくらい上ずった声だ。対する朔はと言えば不思議そうな顔をしている。

「? 違うんスか?」
「あーいや、実はそうなんだ」
「やっぱり。大変ッスねー」

 たはは、と朔は笑う。降谷は苦し紛れにまあね、と苦笑した。

「それでお願いなんだけど、僕がここに来てたってことは誰にも内緒にしていてもらえるかな」
「構わないッスよ。探偵の守秘義務ってやつです?」
「そうそう。守秘義務ってやつ」

 適当なことをさも当然かのように言って誤魔化す。降谷としてもかなり雑な言い逃れだと思ったが、朔もそれを信じてくれたらしくなんとか切り抜けられたようだ。さて、そうと決まれば早くこの場から立ち去――

「降谷さん! すみません至急お伝えしたいことが……」
「わーーー!!」

 思わずここ数年出していないような大声が出た。

 なんでこんなところにいる風見! 何かあるなら事前に電話をしろよ! というかなんで今ここでその名前を呼んだ!!
 ……言いたいことは色々あったが降谷はそれらをぐっと堪える。

「フルヤ……?」

 朔が眉間にしわを寄せて頭にはてなマークを浮かべている。残念ながら、ばっちり聞かれてしまったようだ。
 降谷は目の笑っていない満面の笑みを張り付けて、ぎちぎちと壊れたからくり人形の様に風見の方を振り返った。風見もようやく自分がやったことに気が付いたようで、さっと顔が青ざめる。

「し、失礼しました。人違い、だったようです」
「ははは……次からは気を付けてくださいね」

 慌てて去っていく風見。後で強く言っておこうと降谷は思いながら、漏れ出るため息を噛み殺す。

「あ、そういえばまだ仕事の途中だった。じゃあ透先輩、俺はこれで!」

 朔はぱっと思い出したかのように言い、降谷に向かって明るく手を振りながら去っていった。すっかり見えなくなった後姿を見て、降谷は小さく呟く。

「なんだかどっと疲れが来たような気がする」

 本日数度目のため息ののち、降谷はよろよろと自身の車に向かって歩き始めた。
 望月朔。彼への疑いが完全に晴れたわけではない。……これからも調査は継続すべきだろう。

「さて、彼は一体何者なんだか」

 探りがいがありそうだと笑ったその顔は果たして、探偵のものであったか探り屋のものであったか。
 それは誰にも分らない。


***


「!?」

 急に背筋に走った冷たいものに、思わず朔は身体をぶるりと震わせた。一緒にいたバイト先の先輩から心配そうに声を掛けられるが、なんでもないと明るく笑って誤魔化す。

「それにしても……なんで透先輩、『フルヤ』なんて呼ばれてたんだろう」

 話しかけてきた彼は人違いだと言っていたが、あの反応を見ればふたりが完全に知り合いだということは一目瞭然だ。あの時はあれ以上踏み込むのも悪いかと思ってそのまま乗っかってみたが……。下手したら探偵の仕事だというのも嘘かもしれないなと朔は考える。

 文彦に言って記録を見せてもらえれば、現世の大体のことはわかってしまう。だが、ここが米花町であることを忘れてはならない。こういう好奇心という名の気の迷いのせいで知らなくてもいいことを知ってしまい、疑いの視線が向けられるのは仕事に多大な悪影響を与える。

 この町のことだ……。きっと色々知ったところで、ろくでもないことしか起きないんだろう。そうに違いない。絶対そうだ。朔は決めつけるように何度も頭の中で繰り返す。

「……仕事しよ」

 すぱりと朔は気持ちを切り替え、先輩にさっそく次の仕事に関する質問を投げかけていた。