聖夜の企み事
で、翌日。二十一時、十分前。
ポアロの裏の従業員入り口に到着した朔は普段そこで働いているにも関わらず、かなり緊張した様子で立っていた。こんな気分でここに立っているのはバイト初日以来だろう。関係者以外立ち入り禁止のそのドアを見つめては、小さくため息を零す。零れたため息が白く曇り、冷たい風に吹き飛ばされて消えていった。盛大なくしゃみを一つ。
結局昨日から今まであのメッセージを受け取ってから、ほとんど何も手につかなかった。そのため宅配バイト中もほぼ上の空だったが、大きなミスをしなかったのが幸いである。
しかも、いつもだったら梓からのメッセージにはスタンプを添えたりだとか比較的明るいテンションで返すことが多いのだが、あれには流石に『わかりました』と返事を打つので精いっぱいだった。
脳内シミュレーション上では色々と添える言葉が思い浮かんだのだが、あくまでシミュレーションはシミュレーション。実際に指が動くことは無かった。
「それにしても」
梓先輩は何を思って俺を呼び出したのだろう。そのことも朔の中でずっと引っかかっていた。一週間近く素っ気ない態度をとられたのちに、おいちょっとツラかせやと呼び出しを食らったのだ。警戒しないわけがあるまい。
そっと自分自身を抱きしめるように、腕を組む要領で自身の腕を掴んだのはきっと寒さによるものだけではないだろう。
……怖い。シンプルに怖い。何をされるんだ。
だってほら、いい人過ぎてたまに忘れそうになるけど、彼女らも一応米花町の住人なんだぞ? すごくシンプルな理由ですぱすぱ人が殺される、日本のヨハネスブルグと名高いあの米花町の住人なんだぞ? 何をされるかわかったもんじゃない。
というか本当に先輩の態度を変えるようなことをしでかした覚えがないのが、余計に恐怖を引き立てる。覚えていませんでしたで済んだら警察は要らないだろう。仮に百歩譲って、梓にそんなことしていたのだとしても、子供たちや女子高生二人にまで素っ気なくされる理由が本当に思い当たらない。
入り口で悶々としていたところで、何の進展もありはしないのだ。……仕方ない。朔は意を決して、ドアノブに手を掛けた。
扉を開くと、中は電気がついておらず、暗闇に包まれていた。するりと中に入り、じいっと目を凝らす。梓の姿はどこにも見当たらなかった。
「先輩?」
恐る恐る声をかけるが、暗闇に自らの声が消えていくだけで、勿論返事はない。どういうことだろうか。まさか、まだ来てないとか? それとも、――こんなこと考えたくはないが、呼び出し自体が梓の仕組んだ罠だったとか? ……何だ罠って。うーん、現世人の考えることはよくわからない。
ふと、店の方からガタリと何かが動いた音がした。思わずぱっとそちらを見れば、ドアの隙間から僅かに光が漏れている。……誰かいるのか? そっと、冷たい金属のノブに触れる。
「梓先輩……?」
声を掛けながら、慎重にドアを開く。
――パン! パンパン!!
「うわ!?」
店内の明かりに目が慣れておらず、眩しくて薄目で店内に入ろうとすると、発砲音にも似た、乾いた破裂音が三回響いた。反射的に目を瞑る。直後僅かに硝煙の匂い。
まさか急に撃たれるとも思ってなかった朔は、驚きで思わずしりもちをつく。鬼だからって流石に拳銃が効かないわけではない。人間より身体はかなり丈夫だから、すぐ死にはしないだろうけど。
泥棒だか殺人犯だかは知らないが、発砲してきた相手をなるべく刺激しないよう目をぎゅっと瞑ったまま、静かに身体を固めた。目を閉じているため全神経を耳に集中する。
足音から察するに相手は……一、二、三人、それに奥にあと数に、ん……? 流石に多すぎやしないか?
そう思った直後、あることに気付いた。てっきり至近距離で撃たれたと思ったのだが、身体の何処にも痛みはない。というか今時間差でひらひらと頭に降りかかったのは、軽くて細長い紙テープのようなもの。しかも、店の中の足音には、なんとなく聞き覚えがあった。……これは、もしかして。
ゆっくり、ゆっくり目を開く。
するとそこには、してやったりという嬉しそうな顔を浮かべる、光彦、元太、歩美の姿があった。三人とも、朔の顔を覗き込むように立っていたため逆光だが、その表情は十分確認できる。手には一人ひとつずつクラッカーを持っていた。
「サプライズ大成功ー!!」
いえーい! と声を上げた少年探偵団の三人はお互いにハイタッチをしていた。ぽかんと呆けていると、朔にもハイタッチを求めてくる。呆然としたままおずおずと手のひらを向けると、ぱちりと音を立てて合わせられた。朔はまだいまいち状況を掴めずにいる。
「びっくりさせてすみません、この子たちが入ってきた瞬間にクラッカー鳴らしたい!って聞かなくて……立てますか?」
「いや、その、大丈夫だけど……」
差し出された蘭の手をやんわりと断り、頭に引っかかっていた紙テープをつまみながら立ち上がる。すっかり明るさに慣れた目で、店内をぐるりと見渡した。
明るい店内のテーブルの上には美味しそうな各種パーティ料理が山のように盛られて並んでいた。店内は色紙で作られたリングや様々なもので飾りつけされている。そしてにこにこ微笑んでいる少年探偵団の面々と女子高生二人。
「これは、一体どういう?」
「朔さん本当に忘れてるのね」
「……何を?」
全く察せていない様子の朔。それを見てやれやれと頭に手をやりながら、呆れたように園子はあからさまにため息を吐いた。
少年探偵団の面々も、マジかよ!、信じられませんね、うそー!、と口々に驚きに満ちた言葉を漏らす。……なんだなんだ、何があるっていうんだ。
「今日の日付、言ってごらんなさいよ」
「えっと、確か十二月二十五日……あ」
園子に促されるまま、今日の日付を口にする。そこでようやく気が付いた。「クリスマスか!」
「そういうことです!」
「梓ねえちゃんがポアロでクリスマスパーティしたいっていうからよ!」
「歩美たちもやるって言ったの!」
「内緒にしててごめんね、朔兄ちゃん」
コナンを含めた少年探偵団四人が説明してくれた。みんなニコニコと笑みを浮かべており、コナン以外の三人は余程嬉しかったのか若干興奮気味である。気持ちがわからないでもないが。彼らに目線を合わせるように、軽くかがんで話を聞く。
「成程そういうことか……。でも、なんで俺には内緒だったんだい? 別にこんな……サプライズ形式じゃなくたって」
「それは……」
「私が内緒にしててってみんなに頼んだの」
「あ、梓先輩!」
ひょっこり会話に混ざる梓。その顔にはいたずらが成功した子供のように楽しそうな笑みを浮かべていた。そりゃそうか、この計画の主犯らしいし。
「元々クリスマスパーティーは企画してたんだけど、朔君、クリスマスやったことないって言ってたのを思い出して」
「……確かに言ったッスね、前に」
梓たちから素っ気ない態度を取られ始める少し前に、クリスマスに関する話題になったのだ。その話の中で、クリスマスをやったことが無いのだと朔が告げた時、梓はたいそう驚いていた。
あの世では毎年十二月下旬の冬至の時期に、年末年始の繁忙期に向けて大掃除をする。地獄では亡者を一時的に木の上などに括り付け、刑場のありとあらゆるところをぴかぴかに磨き上げるのだ。それこそ、大釜掃除から拷問器具磨き、三途の川の底に至るまで。
そして、徹底的に掃除した後に行われる綺麗になった大釜での亡者のゆず湯が、四季の乏しい地獄で季節を感じられる数少ない行事の一つだ。この大掃除から年末年始にかけての時期は雑用の仕事が一年で一番多い時期であるので、正直のんびりケーキを食べる余裕すら朔には無かった。
……というか、毎年すっかり忘れたまま気づけば年を越しているので、一度もきちんとしたクリスマスを過ごしたことが無いといっても、別に気にしてはいなかったのだが。
「まさか……その話をした時から、この計画を……?」
「初めてのクリスマスなんだから、思い出に残るようなことがしたいなって」
驚いたように朔は梓を見つめると、彼女は照れくさそうに頬をかいた。
「じゃ、じゃあ、ここ一週間、みんなの態度がどことなくそっけなかったのは……」
「このパーティの準備してたってわけ!」
にしし、と園子が得意げに白い歯を見せて笑う。
それから口々に、朔君とデパートで会った時はプレゼント交換のプレゼントを選んでいたのとか、買った物をポアロに運んでいる途中で朔さんに出くわしたのは流石に焦ったとか、そういう話を教えてもらった。
……なあんだ。ただ、それだけだったのか。
「はは」
思わず口から乾いた笑いが零れた。少し俯き気味だったためか、みんながちょっと慌てたように朔の様子を気遣う。だが朔は、周りの心配とは対照的に、眉を下げ、安心しきった顔で笑っていた。
「心配して損した」
***
それからは、みんなで用意したのだという料理を仲良く堪能しながら、ここ一週間のクリスマスパーティー準備中にあった出来事なんかを色々と聞いていた。
一週間もまともに話していなかったのだから随分話したいことがたまっているようで、話は次から次へと溢れて止まらない。あんまりにも楽しそうに話すものだから、聞いているこちらも楽しくなってくる。朔は終始笑顔で、時々相槌やリアクションを挟みながら彼らの話を聞いていた。
因みに、もう一人の探偵団員である哀が見当たらなかったのでどうしたのかと聞いてみると、丁度風邪をひいてしまい、自宅で休んでいるのだという。残念そうにしている団員三人とは別に、コナンは複雑そうな表情を浮かべている。……色々訳があるんだろうが、多分突っ込んでも話してくれないだろうと、朔はその小学生らしからぬ表情を見て見ぬふりをした。
残念と言えば、安室も今日は探偵業が忙しくて来れないのだとか。蘭が「写真を撮って送ってあげたら喜ぶんじゃないですか?」と提案したので、朔の携帯で自撮りの要領で全員の写った写真を撮り、メッセ―ジアプリを介して安室に送った。そっとみんなが見ていない時に、『ありがとうございました、解決しました』『透先輩も来れたら良かったのに』と書き添えて。
暫らくしてそろそろプレゼント交換をしようということになった。周りがそれぞれ用意したプレゼントを取り出すのを見て、朔は焦る。サプライズだったから交換するためのプレゼントが無いのだ。すると、心配ご無用とばかりに梓が得意げにプレゼントを二つ取り出して、一つを朔に手渡す。二人分買ってくれていたらしい。
プレゼント交換の方法は、折角だから一番定番の、参加者が輪になって音楽が止まるまでぐるぐる回すという方法をとることになった。ただ、元太が用意したプレゼントが回すのに一苦労する大きさだったため、回すのはプレゼントを貰う相手の名前を書いた小さな紙だったのだが。
軽快なクリスマスソングが流れる店内で、くるくると名前の書かれた紙が回る。定番の曲だったのか、知ってる人も多いようで小さく口遊む者も居た。ぴたりと、曲が止まる。持っていた紙を開くとそこには「梓」と書かれていた。おや。
「朔君、私のプレゼントだね」
はいこれ、と梓にシンプルにラッピングされた紙袋を手渡される。開けてみて、と言われたのでなるべく丁寧に開封すると、そこにあったのは。
「ニット帽」
落ち着いた色合いの、男女どちらでも使えそうなカラーニット帽だった。折り返し部分にワンポイントの刺繍が入っている。
「デザインが気に入って、男女どっちでも使えそうだしいいかなーと思ったんだけど。まさか朔君にあたるとは思ってなかったなあ……ニット帽、もういっぱい持ってるでしょ?」
毎日着けてるもんね。ちょっと困った様子で、梓は朔に目線を投げかける。
対する朔は、全然気にすることも無くニット帽を取り出し、タグを切って、なるべく頭を見られないよう素早く身に着けた。梓は急な出来事にぱちくりと瞬きを繰り返す。
「普段被ってるやつが黒ばっかりなんで、なんか新鮮ッスね」
似合ってます? ニット帽の隙間からちらりとはみ出す金髪を指でつまんで整えながら、朔が笑って問いかける。梓が答える前に女子高生二人が絶賛してくれた。
「いつもと違う感じがしていいですね!」
「ちょー似合ってる!」
「ありがとう二人とも」
プレゼント開封大会は続き、梓の用意した朔のプレゼントは無事光彦に当たった。中身はマフラー。ありがとうございます! と元気よくお礼を言われたが、それを用意したのは梓なのだ。なんだか複雑な気持ちになった。
未成年が多いのだから、あまり夜遅くなるのはまずいだろうと、二十三時過ぎにクリスマスパーティーはお開きとなった。またねバイバイとポアロを後にする彼らを見送り、梓と二人で後片付けにとりかかる。
「梓先輩」
「なあに?」
後片付けの手を止めることなく話しかける。梓も同様に作業をしながら返答した。
「俺、昔から季節の行事とか、イベントとかに興味なかったんスよ。というかそもそも忙しくて忘れてたりしてたんスけど」
梓は小さく相槌を打つ。それを聞いて朔はでも、と続ける。
「ああやって、みんなで賑やかに過ごすクリスマス……っていうのも、悪く無いッスね」
計画してくれてありがとうございます、先輩。そう締めくくり、後は作業に集中しようとしたのだが、ふと視線を感じる。視線を感じた方に目を向ければ、梓と目が合った。
「うん、やっぱり似合ってる」
先輩は得意げに言って、満足そうに顔をほころばせた。
「メリークリスマス、朔君」
***
その夜、文彦に報告も兼ねて電話をすると、『ほら、心配無かったでしょ?』と明るく言われ、こいつは一体いつから気づいていたのだろうと苦笑したのは完全に余談だ。