地獄ではカカオ豆が飛び交う



「コーヒー豆とオレンジジュース、ラップも買ったし、買うものはこれで大丈夫かな」

 安室は手に持ったレジ袋の中身を覗き込み、歩きながらひとつひとつ声に出して確認していく。言わずもがな、ポアロの買い出しの帰りである。今日のこの時間帯は安室と梓のふたりで店をまわしていた。こうしている間にも、梓はひとりで店を守ってくれているのだ。出来るだけ早く帰らなければ。

 そんな中、ふと楽し気な声が耳に飛び込んできて、安室はその声の方向に視線を向けた。声がした方向……安室から見て前方の左手側には丁度公園がある。確か少年探偵団の彼らもよく遊んでいた公園だったはずだ。というか、この声は探偵団の声に似ている。もしかしたら遊んでいるのは彼らかもしれない。

 通り過ぎながら公園の中をちらりと見る。予想の真偽を確かめたかったのと、あまりにも楽しそうにはしゃぐ声だったので一体何をしているのだろうと気になったのだ。

 公園の中では予想通り少年探偵団の面々が遊んでいた。ただし遊んでいたのは三人だけである。頭のキレる眼鏡の少年と、茶髪の少女の姿は見られなかった。

 その代わり、見慣れない人物が混ざっている。少年探偵団よりもずっと背の高い……おそらく成人男性。おそらく、と言ったのはその人の顔が確認できなかったためだ。その人は顔に赤い鬼のお面をつけていたのである。そのため顔での判断が出来なかったのだ。
 ……あの背格好で金髪、その上ニット帽着用となれば、大体の想像はつくが。

 少年探偵団の彼らは手に四角い物を持っており、そこから何かを掴み取ってお面の人物に投げつけていた。「鬼は外!」「福は内!」の掛け声と共に。そこでようやく安室は納得した。

「ああそうか、節分か……」

 日本の伝統行事、節分。豆を撒くことによって邪気を払い、その一年の無病息災を願う雑節の一つだ。
もうそんな季節か……と一人思いを巡らせていると、赤鬼のお面の人物と目が合ってしまう。するとお面の人物はあろうことかぶんぶん手を振ってきた。……中の人確定の瞬間である。

 その様子を見て探偵団の面々も安室の存在に気付いたようで、ぱっと顔を輝かせてこちらに駆け寄ってきた。

「安室のお兄さんこんにちは!」
「こんにちはみんな。それに朔くんも」
「お疲れ様ッス、透先輩」

 鬼の面を回すようにしてずらし、素顔を見せて二カッと笑う朔。その表情はいつもよりも明るく輝いて見えた。

「その袋は……ポアロの買い出しッスか?」
「ご名答。丁度買い出しの帰りだったんだ。君たちは……」
「豆まきやってるんだぜ!」

 見て見てと言わんばかりに手に持った大豆入りの枡を見せてくる三人。

「本当は博士が鬼の役をやってくれるはずだったんですけど」
「ぎっくり腰で動けなくなっちまってよ」
「鬼さん役を誰がやろうかってお話してたら」
「偶然俺が通りかかったんで、二つ返事で鬼役を引き受けたってわけですよ」

 四人の話を聞いて安室は1人納得する。だから朔くんが探偵団と一緒にいるのか。安室自身、この四人はなかなか見ない珍しい組み合わせだと思っていたのだ。

「朔お兄さんすごいんだよ! 投げたお豆さんみーんな避けちゃうんだもん!」
「僕たちが三人同時に投げても避けちゃうんです!」
「ちょーすごかったよな!」

 興奮した様子で話す少年探偵団の三人。余程朔のそれが凄かったらしい。そんなに絶賛するなら見てみたかったなと安室は内心思いながら、それは凄いねと相槌を打つ。
 朔の方をちらりと見れば、白い歯を見せてまるで少年の様に笑っていた。そんな朔を見て、安室は思っていたことをそのままぶつける。

「節分で鬼役の人が豆を避けたら意味が無いと思うけど……」
「そりゃそうですけど……鬼役とはいえ、やられっぱなしは面白くないじゃないスか」
「……まあ、みんなが楽しいならいいんじゃないかな」

 安室はそう言って再び探偵団の方に視線を向ける。その瞳はきらきらと輝いていた。本当に豆まきが楽しいらしい。
 すると探偵団の中でもひと際大柄な少年――元太が、安室を見て何か閃いたかのようにぱっと顔色を変えた。

「どうせなら安室のにーちゃんもやろうぜ! 豆まき!」

 その言葉を聞いて名案だと顔を輝かせたのは探偵団の二人だ。

「いいですね! やりましょうよ安室さん!」
「楽しいよ!」

 ねえねえと腕を引くようにして探偵団は安室を誘う。本人はといえば、少し困ったように考えるそぶりを見せた後、申し訳なさそうに眉を下げて笑った。

「誘ってくれるのはうれしいけど……僕はまだ仕事中だから難しいかな」
「えー!」
「なんだよケチ」
「お仕事なら仕方ないですよ元太くん」
「ごめんねみんな」

 残念そうな声を漏らす歩美と、あからさまにふてくされた顔をした元太。それをたしなめるようにする光彦。三人は本当に安室と豆まきがしたかったのだろう。悪いことをしたかなと少しだけ安室は胸を痛めた。

「それじゃあ僕はそろそろ行くね。怪我しないように豆まき楽しんでね」
「うん! 安室さんもお仕事頑張ってね」
「ありがとう歩美ちゃん」

 安室は四人に手を振られながらポアロへ帰っていった。

 その後姿がすっかり見えなくなった後、「さて」と言いながら朔はお面を手に取り、にやりと笑う。

「豆まきの続きしようか」

 探偵団の三人は嬉しそうに「やる!」と大きな声をあげた。


***


「博士に『子供たちの様子を見て来てくれ』って言われたから行ってみれば……」

 呆れたような半目で腕を組んでいる少年――コナンは、目の前にいる彼らに向かってため息交じりに言う。

「何やってんだオメーら」
「あ、あはは……」

 ひきつった笑いを零す探偵団3人。その三人の周りに無数に散乱する大豆。そして足元に仰向けに横たわっている鬼のお面をつけた青年。おそらく朔だろうとコナンは思った。阿笠博士から「朔さんも一緒じゃから」と言われていたためである。

「朔兄ちゃんがすっげ―逃げるからよ、夢中になっちまって……」
「それで気が付いたら……」
「こんな風になっちゃったの……」
「……朔兄ちゃん?」
「ごめんコナンくん。まさか俺もこんなに熱中するとは思わなくて……」

 コナンからのじっとりした視線を感じて朔は地面に寝転がったまま弱々しく声を出す。

 あれから二時間近く飛んだり跳ねたりしていた朔だったが、久しぶりの激しい運動だったためかなりバテてしまっていたのだ。体力落ちたなあ……と小さく零す。コナンは何度目かのため息を吐いた。

「とりあえず、もうすぐ帰る時間だし、そろそろ片付けるぞ」
「「「はーい」」」

 探偵団の三人は声をそろえて素直に返事した。それから少し遅れるように朔も。

 あらかじめ持ってきた大きなごみ袋に大豆を拾っていれる。最初はどうやったら効率的に大豆を回収できるかあれこれ考えたが、結局は一粒ずつ拾った方が早いことに気が付き、五人で手分けして拾った。あれだけ大量にばらまかれた大豆だったが、五人で手分けしたおかげか一時間もしないうちに拾い終わったようである。

「これで大方拾ったし、大丈夫だろ」

 そう言ってコナンはごみ袋の口を縛った。

「さ、片付けも終わったし、さっさと帰ろーぜ」
「そうだね」
「もう日が沈みかけてますし」

 大豆の入った袋をコナンがサンタクロースの要領で担ぐように持てば、それを朔がうしろからひょいと取り上げた。急に軽くなったのに驚いた様子でコナンは後ろを振り返る。

「途中まで一緒に帰るよ。子供だけじゃ危ないだろうし」
「朔さんと一緒に帰るなんて久しぶりですね!」
「そうだね」

 朔が少年探偵団と共に帰るのは確か、彼らが初めて会った時以来である。阿笠博士の家にそれぞれの親が迎えに来るのだというので、朔はそこまでついていくことにした。探偵団3人が横に広がるように並んで歩き、その少し後ろを朔とコナンがついていく。

 帰り道の最中、そういえばよ、と思い出したように元太が疑問を口にする。

「なんで節分って豆まきすんだ?」
「元太くん、それも知らずに豆まきやってたんですか!?」

 信じられない、とでも言いたげな光彦の表情を見て、元太は不機嫌そうに顔をしかめる。

「じゃあ光彦はわかるのかよ」
「それは勿論! 鬼退治をするためですよ!」

 得意げに言う光彦。だが元太はまだ不満そうだ。

「じゃあなんで二月三日に鬼が来るんだ? それに、豆粒で鬼なんて追っ払えるのかよ」
「そ、それは……」

 言い淀む光彦を見てコナンがそれとなく助け舟を出した。

「昔、季節の変わり目には鬼が出るって言われていたんだ。だから冬と春の境目である立春の前日……二月三日ごろに邪気払いとして豆まきをするようになったんだよ。因みになんで豆かっていうと『魔を滅する』で『魔滅(まめ)』って説が有力らしいぜ」

 コナンの話を聞いてへえー、と興味深そうな声を漏らす光彦と元太。いつの間にかその話を聞き入っていた朔まで感心したように声を漏らす。

「てっきり俺は、大豆が鬼の嫌いな食いモンだから投げてるのかと思ってたぜ」
「元太くんらしいね」

 ふふ、と歩美は笑う。その光景を見て、朔が小さく呟いた言葉をコナンは聞き逃しはしなかった。

「鬼だって大豆くらい食べるさ」

 なんてことない、普通の言葉だ。だがなぜか、その言葉が妙に気になってしまう。
 思わずぱっと朔を見上げる。夕日に照らされて彼の金髪が赤い光をまとって輝いていた。その横顔はうっすら笑みが浮かんでいるように見えるが、正確な感情が読み取れない。

 視線に気づいた朔はふと目線を下げ、視線の持ち主であるコナンと目を合わせる。色素の薄い瞳がますます透き通って見えた。

「朔兄ちゃん……?」

 コナンが少し困惑気味に小声で訊くと、朔はぱちぱちと数回まばたきをした後にふっと柔らかい笑みを浮かべる。
 そして、まるで幼い子供に言い聞かせるような優しい声色で言った。

「なんでもないよ」