拾肆 この手の中
「怪盗、キッド」
園子の言葉をそのまま反芻するように口に出す。まるで初めてその単語を聞いたかのような朔の様子を見て、園子はあからさまに眉間にしわを寄せた。
「朔さん……あんたまさか! キッド様を知らないなんて言い出すんじゃないでしょうね!?」
「さ、流石に知ってるよ」
ずずいと身を乗り出すように迫る少女にたじろぎながら、朔は困ったように笑った。
怪盗1412号――通称、怪盗キッド。
平成の世に現れた、どんな獲物も盗み出す大怪盗だ。白いスーツにシルクハットとマントを身に着け、まるで手品のように鮮やかな手口で狙った宝石を盗み出す。その姿はまさしく"月下の奇術師"という異名にふさわしい。独特でキザったらしい言い回しのせいか、彼に魅了され、熱烈に支持している女性ファンは少なくない。
勿論あの世でも彼は有名人で、老若男女問わず人気だった。だが、噂だとかそういった類のものにかなり疎い朔が知っているのは、そんな薄っぺらい知識のみである。
そんな有名人をまさか、あと数時間ほどでお目にかかれるかもしれないとは。
呑気なことを思っていると、警察のほうから招集がかかった。朔は一言断ってからその場を離れる。
博物館の前には見たことが無いほどの人が集まっていた。警察や機動隊に警備員とバラエティーに富んでいる。さらにその周りを囲むように報道陣がずらりと勢ぞろいだ。ちらほらキッドファンだと思われるような一般人もいる。……それに混じって浮遊霊もわんさかといるようだ。生前ファンだったんだろうか、と彼らを見ながら朔は思う。
物珍しさにきょろきょろしていると、キーンと耳に来るような高い音がした後に、男の声が辺り一帯に響いた。どうやら総指揮を取っている怪盗キッド専門の警察官が話をするようだ。
今回は今までで一番人員を集めたのだという。だから警察や機動隊だけでは足りず、警備会社にも声を掛けて優秀な人材を集めたのかと朔はひとり納得した。いくらなんでもおかしいと思ったのだ。国際的な指名手配犯である怪盗キッドの現場に優秀だからという理由だけでバイトの警備員が呼ばれるなんて。人手不足はあの世もこの世も変わらないらしい。不喜処で元気に働く桃太郎のお供の三匹が脳裏に過った。みんな元気にしてるだろうか、と彼らの毛並みや手触りを思い出してひとり懐かしさに浸る。
それから怪盗キッド専門の警察官――中森警部がそれぞれの配置について説明を始めた。今回怪盗キッドが盗むと予告してきた宝石の周りを囲むのは当然警察と機動隊員のみ。朔たちのような警備会社から派遣されてきた者は、宝石がある部屋の周りや博物館内外に配置されるようだ。
朔が配置されたのは、宝石のある部屋の出入り口のすぐ傍。割と重要ポジションな気もするがバイトに任せていいんだろうかと、朔は内心不安である。
「今日こそは! あのキザなコソ泥を我々の手で捕らえる! 気合を入れてかかれ!!」
警部の言葉に焚きつけられるように、周囲からは雄たけびが上がった。怪盗キッドを捕まえるのに随分燃えているらしい。
あの世の住人がこの世の泥棒を捕まえるのに協力するなんてなんだか場違いな気もするが、任されたからには精一杯やり遂げようと朔は静かに気合を入れなおした。
***
怪盗キッドが予告した時刻まで残り数十分といったところ。
朔は静かに指定された配置場所で立ち尽くしている。時間が刻一刻と近づくにつれ、徐々に空気に緊張感が増していくのを肌で感じた。部屋にはつい一時間前に蘭や園子やコナン、それから中森警部と、宝石の所持者である鈴木次郎吉と呼ばれた男が入ってしまったっきり音沙汰無い。
「(財閥のお嬢様な園子さんが入れるのはわかるけど、なんで蘭さんとコナンくんまで一緒に入ったんだろう。機動隊や警察官ですらほとんど入れないはずなのに……)」
そんなことを考えてみるが答えは出ない。ポアロで会った時にでも聞いてみようかとひとり結論付け、改めて目の前の仕事に集中しようと意識を向けた。
ふと扉の方を見てみると、先ほどまで一般のキッドファンに混ざっていた浮遊霊が数人、部屋の中に入ろうと試みている。だがどうにも入れないようで少し残念そうにしていた。浮遊霊すら侵入を許さない厳重な警備らしい。もしかして結界でも張られてるのか?と朔は考えるが、すぐにその考えを否定する。そんなことしても現世の人間には何の影響もないのだから意味がない。
でも、ならば何故?
朔が思考を巡らせてる間も浮遊霊は数度侵入を試みていたが、やはりダメなようだった。だがそのまま帰る気はさらさら無いようで、口を引き結び真剣な顔でふわふわと浮いている。扉の傍から梃でも動かないとでも言いたげな表情だ。亡者がいたとこで現世の人は彼らを普通にすり抜けてしまうのだから別に構わないのだけど。今この場に誰もいなかったならば捕まえられたのに残念だと朔は内心思った。
何となくまた手持無沙汰になったのでドアの向こうに聞き耳を立ててみると、中ではどうやら宝石を守るために特別に用意した様々な警備システムについて中森警部が意気揚々と説明しているらしい。センサーがどうの、鉄格子がどうの。そんなに大声で警備について話してもいいもんなんだろうかと朔はやや呆れながら考える。そんなのまるで手品をする前に種明かしをしているようなものなのに。
周りをそろりと見回すと他の人たちは何食わぬ顔をしているから、もしかしたら聞こえているのは地獄耳を持つ朔だけなのかもしれない。……聞こえていないフリをしている可能性も大いにあるが。
『あと1分か』
扉の向こうで中森警部が呟く。その数秒後に左耳に刺したインカムから『あと1分だ、気を引き締めろ』という指示が飛んだ。辺りの空気がぴりりと張り詰める。
本当に来るのだろうか、こんな厳重な警備の中、彼は。
――そして丁度1分後、一斉に館内の明かりが落ちた。
突然の出来事に辺りがざわめきに満ちる。『慌てるな! これもヤツの手口だ!』『早く電源を復旧せい!』インカム越しに次郎吉と中森警部の激が飛ぶ。わずかに園子の怪盗キッドに対するラブコールも混じっている。それとほぼ同時にどこからか空気が漏れるような音が廊下に響き始めた。
「なんだ……?」
朔がそう思った瞬間、隣に立っていた警備員のひとりがばたりとその場に崩れ落ちた。あまりに急だったもので慌ててその警備員を確認すると、どうやら眠らされているらしい。だとすると、さっきの空気が漏れるような音は催眠ガスが投入された音だろうか。気が付けば廊下に配置されていた人間は全員眠らされてしまったようで、起きているのは鬼の朔だけのようだ。随分強力な催眠ガスらしい。
『怪盗キッド!』
『馬鹿な! なぜケースの上に立てるんだ!?』
『装置が作動しないじゃと!?』
部屋の中から中森警部の声が聞こえた。コナンと次郎吉の声も。
彼は本当に来たらしい。朔は思わず部屋の扉を見ながら――正確に言えば、その向こうで繰り広げられているであろう状況を想像しながら、息を吐いた。
大胆不敵で華麗な手口で、人々の予想をいい意味で裏切り、楽しませる。こんなことを出来る人間がこの世に居たとは……成程、世間が魅了されるのも頷ける。朔は部屋の中の状況を探ろうと耳に全神経を集中させた。
『これはこれは中森警部、随分燃えておられるようですね』
『怪盗キッド! 今日がお前の最後の日だ!』
『おお、それは恐ろしい。ではお目当ての物を頂いてから、退散するとしましょうか』
『なっ……!』
ワン、ツー、スリー。小さなカウントが聞こえた次の瞬間、部屋の中が驚愕の声に満ちる。
『宝石が……奴の手の中に!? そんなまさか!』
『それでは皆様、またお会いしましょう』
『ま、待て!』
ぼふん! と爆発にも似た音が聞こえたとほぼ同時に廊下の明かりが復旧し、厳重に閉められていたはずの部屋の扉がひとりでに勢いよく開いた。
「怪盗キッドだ!」
途端に廊下に響く慌てたような声。それは紛れもなく朔の声だった。
だが当の本人は「へ」ととぼけたような顔をしている。それもそうだ、今の声は朔が出したものではないのだから。
……キッドの狙いが、なんとなく分かった気がした。
「おいそこのお前! キッドはどっちに行った!?」
「今の声、朔兄ちゃんでしょ! キッドを見たんだよね!?」
部屋から飛び出してきた中森警部とコナンが焦ったように朔に詰め寄る。その眼は真剣そのもので、あまりに勢いよく来るものだから思わず後ずさってしまった。ふたりともキッドを捕まえるのに必死らしい。
「え、いや、キッドは――」
「キッドがいたぞ! 外に逃げるつもりだ!」
「なんだと!?」
「くそっ! 逃がすか!」
朔が真実を言うより先に、今度は廊下の向こうから別の誰かの声が聞こえた。その瞬間、弾かれたようにふたりはそちらに向かって走り出す。遅れたように部屋の中から蘭や園子や次郎吉が飛び出してきて、コナンや中森警部の後を追うように走っていった。ついでに扉前で待ち構えていた浮遊霊たちも。……まんまとキッドの手に引っかかってる気がするなと思いつつも、次郎吉に促されるがままに朔も後を追う。
――ふと視界の端に、白いものがひらりと映り込んだ。
思わず朔は足を止める。
廊下に眠らされている警察官や警備員以外は皆キッドを追いかけて廊下を走り去ってしまっているため、今ここにいるのは朔ひとりのはず。勢いよく振り返れば、その白いものの正体は変わらず存在していた。
風になびく白いマント。白いシルクハットに、白いスーツと白手袋。それらを身にまとったその人物は、急ぐ様子を微塵も見せずに朔に背を向ける形で廊下を歩いていた。
……そんな目立つ格好をしている人物なんて、思い当たるのはたったひとりである。
朔はその人物の後ろをなるべく足音を立てずに近づき、思い切り右手首を掴んだ。
「これでもう逃げられないな、怪盗キッド」
まさか月下の奇術師がこんなにも簡単に捕まえられるなんて。思わず上がる口角を抑えられずに朔が得意げに言うと、手首を掴まれた人物は驚いたようにこちらを見た。
その顔を見て、思わず朔は困惑する。モノクルを付けていても誰かぐらい簡単にわかるほどの有名人だ。なんで彼が、こんなところに。
「黒羽……盗一、さん?」
朔の言葉を聞いて、男――盗一はゆるりと目を細めた。
「これはこれは、まさかこんなところで会うとは思いませんでしたよ……"あの世一の雑用係"さん」
「!」
ピクリと身体をこわばらせる朔。思わず掴んでいた右手が緩みそうになる。低く特徴的な声は、間違いなく盗一本人のものであった。しかも朔のことを"あの世一の雑用係"と呼ぶところを見るに、本当に本人であるらしい。でも、なら尚更。
「どうしてあなたが、こんなところに……」
「お話したいのはやまやまですが、生憎時間が無い。残念ですが、今日のところは失礼させていただきますね」
「あ、ちょっ……!」
引き止めようとする朔を他所に、盗一の形のいい唇はうっすらと弧を描く。
スリー、ツー、ワン、と小さくカウントを取ると、次の瞬間、盗一は煙と共に跡形もなく消えてしまった。盗一の右手首を掴んでいたはずの右手を見ると、そこに握っていたのは一枚のカード。シルクハットとモノクルを付け、歯を見せて笑うように見えるそのシンプルなマークは、まさしく怪盗キッドのマークだ。
「どういうことだ……?」
手の中に残るカードに目線を落としながら、朔は困惑気味にひとり呟いた。