拾陸 コーヒー片手に取り調べ
落ち着きの意味も込めて、程よく冷めたコーヒーを一口含んで飲み下す。
店主である栞はどうやら店の奥に何かを探しに行ったらしく、店内には見当たらなかった。快斗と青子がやいやいと楽し気に展開する会話と、緩やかなテンポで流れる遠い国の音楽だけがこの店の音の全てである。
朔は軽く息を吐き、己をこの店に呼び出した張本人に視線を戻した。
「……それで、盗一さん。こんなところにわざわざ俺を呼び出したってことは、説明したくれるんですよね? この間のことも含めて、全部」
「ええ、もちろん」
先日渡されたキッドカードをテーブルの上に出せば、盗一はフッと口元だけで笑ってみせた。
因みに今日の彼は先日の真っ白な衣装と違い、落ち着いた色合いのスーツを着用している。右ひじをカウンターにつき、何かを考えるように顎のあたりに手をやった。
「……さて、どこから話せばいいのやら」
「じゃあ、俺の質問に答えてください」
「おや、まるで取り調べのようだ……冗談ですよ。わかりました。何でもお聞きください。精一杯お答えさせていただきます」
じとっと睨む朔を見て、あっけらかんと笑って見せる盗一。こほんとひとつ咳ばらいをして、朔は改めて己の中に抱いていた疑問をぶつける。
「単刀直入に訊きますね。盗一さん、なぜあの時怪盗キッドの恰好であの場所にいたんですか? あなたはもうとっくにあの世の住人のはずですよね」
ずばり朔が問いかける。
盗一はと言えば、相変わらず余裕ありげな笑みを崩さずに朔のことを見つめていた。
朔の隣に座る男――黒羽盗一は、かつて日本を代表する世界的マジシャンとして世界にその名を轟かせていた。
彼の名はあの世でも知れ渡っており熱狂的なファンも多く、特に鬼灯は視察と称して彼のマジックショーを見に行くほどのファンである。
だが八年ほど前のある日、マジック中の事故により彼は惜しまれながらもこの世を去ることとなった。
もちろん彼も他の亡者たちと同じように十王による死後裁判が執り行われ、十回の審理により無事天国行きが確定。その判決は瞬く間にあの世中に知れ渡ることとなった。
死後裁判が無事終了した後は判決に基づき、天国で暮らしている。
だが天国でのんびり過ごすのは彼の性に合わないのか、依頼を受けてあの世のあちこちでマジックを披露しているのだという。妖術・霊術の類を一切使用せず繰り広げられるイリュージョンに魅せられ、あの世中はすっかり彼に夢中だった。
……これが、朔の知っている盗一に関する情報の全てである。
「おや、"あの世一の雑用係"のあなたなら、もうとっくに知っていると思っていたんですけどね」
朔の質問を聞いた盗一は意外そうな声をあげる。その表情を見て朔はむすっと唇を尖らせた。
「知らないから俺は聞いてるんですよ……」
「あれ、お客さん?」
ぱたぱたという足音と共に、のんびりとした声が会話に参加し始める。声のしたほうに視線をやれば、そこに立っていたのは予想通りの人物だった。
「栞さん、やっと戻ってきた。今――」
「あ〜! 盗一さん! いらっしゃいませ〜!」
「栞さん、お邪魔してます」
盗一がにこやかに微笑んで、軽い挨拶をする。栞はまるでずっと欲しくて探していた玩具に巡り合った時の子供の様に表情をぱっと明るく輝かせて、カウンター越しに盗一に駆け寄った。
「テレビで見ましたよぅ、快斗くん大活躍じゃないですか〜」
「ありがとうございます。自慢のひとり息子ですよ。まだまだ危なっかしい所はありますけど」
「でも私としては、盗一さんのキッド姿の方がもっとダンディーで好きですけどねぇ」
「おや、嬉しいこと言ってくれますね」
「今度またキッドの衣装見せてくださいよ〜」
「今度……ですか。それでは栞さん、スリー、ツー、ワン……」
「わっ! すごい! 一瞬で着替えちゃったんですかぁ!」
「ご満足いただけました?」
「えへへ〜大満足です! いつ見てもすごいですねぇ、妖術を使ってないっていうのが信じられませんよ〜」
「はは、あなたにそう言っていただけるとは光栄ですね……おや。朔さん、どうされました?」
一瞬で怪盗キッドの白い衣装からまたスーツに早変わりした盗一はぴくりとも動かない朔に声を掛ける。目にも止まらぬふたりのやり取りに、ひとり置いてけぼりを食らってしまった朔はすっかりフリーズしてしまっていた。猫の様に大きな目をさらに大きく見開いており、口なんてぽかんと半開き状態だ。
「あの……いや、えっと……え?」
状況を把握しきれていないのか、ぱしぱしとまばたきを繰り返す朔。時折首をかしげるような仕草も見せている。対するふたりは様子がおかしい朔を心配そうに見つめていた。
「大丈夫? 朔くん、何かあった?」
「その、何かあったというか、ありすぎて頭が追い付かないというか……」
一度頭を落ち着けるためか、朔は無言で自身のコーヒーカップを手に取り中身をぐいっと煽る。カップをソーサーにカシャンと置くと、ふうと息を吐き出した。そして、理解できない箇所を教師に質問する生徒のようにすっと右手を半ばほど上げてみせる。
「……色々、質問させてもらってもいいですか」
「どうぞどうぞ」
「まず、盗一さん」
「はい。何でしょうか」
にっこり微笑む盗一。それとはほとんど対照的にぎこちない表情を浮かべる朔は、恐る恐る尋ねた。
「……盗一さんて、怪盗キッドだったんですか?」
「ええ。そうですよ」
にこやかな笑みは崩さずに、盗一はあっさりと答えた。まさかこんなに簡単に答えてくれるとは思っていなかったのだろう。朔は衝撃を受けた表情のまますっかり固まっている。背景にピシャリと轟く白い稲妻が見えそうな勢いだ。
それを聞いていた栞はきょとんと拍子抜けした顔をして言う。
「え、そこから?」
「そこから、って……知ってたの栞さん! 盗一さんがキッドだってこと!」
掴みかかるような勢いで栞に詰め寄る。栞はほとんど気にすることなく、いつも通りのんびりした口調で朔に返答した。
「あの世じゃ常識だよ〜 知らないの多分君くらいじゃない?」
「まじかよ……」
ひくひく顔を引きつらせながら絶句する朔。それを見て呆れたように栞は言った。
「なんであの世中走り回ってるのに、噂とかには疎いんだろうねぇ朔くんは……」
「……仕事に夢中で、正直それどころじゃないんですよ……」
「その時の裁判記録とかは見てなかったの〜?」
「当時は地獄中で鬼インフルエンザが大流行してまして……俺はシフトの穴埋め要因として、地獄中を駆けずり回っておりました……」
「あーなるほどぉ、それなら裁判記録を見る暇もないかもね〜」
ぱたりと力なくカウンターに突っ伏した朔。その様子を栞は何とも言えない表情で見ていた。
栞が空になった朔のコーヒーカップにさりげなくお代わりを注いでいると、盗一がコーヒーを一杯注文した。注ぎ終わった栞は軽く了解して、早速彼用のコーヒーの用意に取り掛かり始める。
あらかじめ適温にしておいたお湯をドリップポットに移し、ペーパーフィルターとコーヒーをセットしたドリッパーにゆっくりと少量のお湯を注いでゆく。蒸らしているその数十秒の間に、ふと栞は思いついたことを考えなしに口にした。
「その調子だと朔くん、盗一さんの息子さんが今のキッドだってことも知らなさそうだねぇ…………本当に知らなかったんだ」
突っ伏していた顔をがばっと上げ、驚愕の表情を浮かべる朔を見て栞は全てを察した。
「……それ、マジで言ってます?」
「私がわざわざ嘘を言うとでも〜?」
「それは、そうですけど……」
頬を掻く朔。まさか世間を騒がせている怪盗キッドが、親子二代に渡って引き継がれているだなんて思わなかったのだ。黒々としたコーヒーの雫がぽたりぽたりとサーバーに零れ落ちるのを見ていた盗一は確かに、と口を開く。
「息子はまだ高校生ですから、驚くのも無理ないかもしれません」
「こっ……高校生!?」
思わず大きな声を上げそうになるが、瞬時に自らの口をふさぐことで避けることができた。お湯を注いでいた栞はその様子を見てクスクスと笑う。
「しかも朔くん、息子さんの名前聞いたら驚くと思うよぅ」
「えっ何、俺も知ってる人なんですか?!」
誰!と朔は思わず栞に詰め寄る。栞はマイペースにサーバーからコーヒーカップに注ぎ、ソーサーに乗せて盗一の前に差し出した。盗一は軽く微笑んで礼を言う。
「知ってるというか、ほら、あそこにいるでしょ〜」
「はへ?」
ちょいと栞は朔の後方辺りを指さす。栞が指差す先に視線を移せば、そこにいたのはボックス席に座って楽しげな会話を繰り広げる快斗と青子である。
その瞬間、朔の頭の中でぴしりと稲妻が走った。思わずがばっと栞の方へ視線を向ける。
「ま、まさか……!」
「そう、彼……快斗くんのフルネームは黒羽快斗。彼は正真正銘、黒羽盗一さんのひとり息子だよぅ。ちゃんと血も繋がってる」
「まじかよ……世間狭すぎるだろ……!」
ぐだりとカウンターに身を任せる朔。その顔はへにゃりと力が抜けており、心なしか頭からふすふすと煙が上がっている。すっかりキャパオーバーなようだ。そんな朔を見て栞と盗一は愉快そうに微笑む。
「これ以上言うと朔くんの頭がパンクしちゃうかもねぇ」
すっかり疲れた顔でコーヒーを口にしていた朔に栞はのんびりと言った。
「えっ、まだ何かあるんですか」
「まだあるというか、これが序の口というか〜」
「序の口!? これで!?」
結構な衝撃でしたよ!? と朔は目を丸くした。
「朔くんが知らなさすぎるんだよ〜 因みにここまではあの世の常識レベルです」
「嘘でしょ!?」
愕然とする朔。それを見ていた盗一は明るく笑った。
「よく考えてください朔さん。私まだあなたの最初の質問にすら答えていませんよ」
「あ……」
そこで朔は改めて、自身が初めに問いかけた言葉を思い出した。
「それもそうですね、栞さんに話題を逸らされたのと、衝撃が多すぎたせいですっかり忘れていましたけど……」
私のせいにしないでよぅと唇を尖らせる栞をまるっと無視して、朔は改めて盗一に尋ねる。
「今度こそ教えてくれませんか。盗一さんがあの場所にいた理由」
朔の視線がまっすぐ盗一に向けられる。
盗一は目の前に置かれたコーヒーを一口味わった後、柔らかく微笑み、なんでもなさそうに言った。
「単純な話ですよ。息子の仕事を見届けるためです。息子が若くして怪盗となった――なってしまった元凶は、全て私にありますから」