弐拾壱 どうしてそんなに元気なんだ



「幽霊退治?」

 不意に彼らの会話からそんな言葉が飛び出して、コナンは思わず怪訝な顔で聞き返す。
 平日の放課後の時間帯。ポアロのテーブル席のひとつを陣取る少年探偵団御一行は、ジュースを啜りながらいつも通りたわいもない話をしていた。昨日見てたテレビがどうの、学校での出来事がどうの。だが急に話題は転換し、冒頭の非現実じみた単語が飛び出したのである。
 コナンの目の前に座る歩美はいたって真面目そうに「そう、幽霊退治!」と言葉を反芻した。

「この間依頼が入ってたの。『最近、帝丹小学校に幽霊が出るそうです。とっても怖いので、退治してくれませんか』って!」

 ほら!と手紙を見せながら歩美は得意げに言う。見せられた手紙を解読すれば確かに、拙い字だがそんなことが書いてあるように読めなくはない。こんなもの見たことが無いなと思っていたら、コナンが居ない間に貰った依頼なのだとか。

「だから今度、みんなで小学校に忍び込んで調査をしようかということになったんです!」
「そしてもし幽霊がいたら退治するの!」
「勿論オメーも来いよな!」
「ええ……」

 有無を言わさぬ元太の発言に、コナンはひくりと表情を引きつらせて、思わず不満そうな声を漏らした。これと決めたら突き進むところは子供らしいというかなんというか。だがそんな元太に対し、コナンは頬杖をつきながらでもよー、と思っていたことを口にする。

「忍び込むっていったら、夜に行くって事だろ? 流石に子供だけで夜中の小学校に行くのはやめておいた方がいいんじゃねーか?」
「じゃあこの依頼は断れってことですか!?」
「コナンくんひどい!」
「いや、そういうわけじゃねーけどよ……」

 依頼を放り出すなんて信じられない!とでも言いそうな彼らに矢継ぎ早に言葉を投げかけられ、思わずたじろぐコナン。対する三人はといえば、ずずいと身を乗り出してコナンを追いつめていた。困ったなあとコナンがため息をつこうとしたその時。

「子供たちだけで夜の学校に勝手に行くのは、俺も関心しないね」
「あ、朔兄ちゃん」

 探偵団達のオレンジジュースのおかわりを運んできた朔が、自然に会話に参加する。少し大きめの声で話していたから聞こえてしまっていたのだろう。朔の言葉を聞いて、探偵団はブーブーと明らかに不満そうな声を漏らした。

「朔兄ちゃんまでそんなこと言うのかよ!」
「そりゃ言うよ。子供だけで夜出歩くだけでも危険だし、万が一事件にでも巻き込まれたら大変だからね。何かあってからじゃ遅いし」
「それはそうだけど……」

 事件にでも巻き込まれたら、という言葉に思うところがあったのだろう。徐々に尻すぼみになる少年探偵団三人。急に意気消沈した三人を励ますかのように朔は明るく言った。

「ほらほら、そんな顔しないで。……そうだ、色々あって今度君たちの学校の夜間警備に行く予定だから、その時にでも俺が確かめておいてあげるよ。何かあったら報告する。ね? それならいいんじゃないかな?」
「そ、それ! いつですか!?」
「え? 確か、明後日だったと思うけど……」

 急に顔を上げて問いかけてきた光彦の勢いに押されて、頭の中でスケジュールを確認しながら朔は答える。その答えを聞いて、他のふたりもぱっと顔を上げて顔を見合わせた。

「じゃあ決まりだな!」
「ええ!」
「うん!」
「……何が?」

 ひとり察せていない朔を置いてけぼりにして、少年探偵団の三人は楽しそうにはしゃいでいる。
 その様子を見ていたコナンは、面倒なことになったなとアイスコーヒーのストローをくわえた。


***


 翌々日、夜九時。帝丹小学校校門前にて。

 夜の学校にテンションが上がっているらしい少年探偵団は、警備員の制服を身にまとった朔の注意を仲良く聞いていた。

「いいかい? 一応君たちは、内緒で、勝手に、俺の仕事について来てるんだ。騒いだり、俺から勝手にはぐれたり、仕事の邪魔をしたらその時点で帰ってもらうから。そこらへんは分かっていてくれよ?」
「はーい!」
「わかってますよ!」
「だから早くいこーぜ!」
「返事だけはいっちょ前なんだから……」

 元気よく返事をする探偵団の面々を見ながら、朔は思わず頭を抱えながらやれやれとため息をつく。

 まさか『調査のために、朔さんのお仕事に同行させてください!』なんて言われるとは思わなかった、というのが朔の正直な感想だ。それをきちんと断り切れなかった朔も朔であるが。

「バレたら即刻クビだろうなあ……」

 万が一のことを考えながら背筋を震わせる。すると、服の裾をちょいちょいと引っ張られた。視線を向けた先には困ったように眉を下げて笑うコナンがいる。

「ごめんね朔兄ちゃん。アイツらが無理言って」
「いや、断り切れなかった俺も俺だから、気にしなくていいよ」
「僕と灰原で、アイツらのことはちゃんと見ておくから……朔兄ちゃんは安心してお仕事してね」
「それは頼もしいな。助かるよ」

 コナンの言葉に眉を下げて朔は笑った。コナンは後ろで腕を組んですましている哀へちらりと視線を送る。探偵団の活動にあまり参加している印象が無かった彼女だが、今日は珍しく参加するようだ。

 哀と目がったためとりあえずへらりと笑ってみれば、ふいと視線を逸らされてしまう。……訳も無く嫌われてしまっているのかもしれない。朔は何とも言えない微妙な気持ちになりながら、少年探偵団たちと共に小学校の中へ入っていった。

 早速一階から順番に一部屋ずつ見ていくことにする。校門から校内へ入り、正面玄関から建物内へ。
 すると、早速異変は起こった。

 教室が並ぶ廊下に面した窓に、べたべたと大量の赤い手形の跡が張り付いていたのである。
 手紙に寄せられた幽霊の件は本当だったのかと思うと同時に、子供たちにこんなものを見せるわけにはいかないという気持ちが瞬時に働く。

 だが気づいたころにはもう遅かった。朔の後ろをついてくる探偵団たちの懐中電灯が次々と窓を照らしていく。しまった、これでは……! 
 
 しかし焦る朔の気持ちとは裏腹に、探偵団5人は何でもない顔をして小声で談笑していた。

「夜の学校ってそれだけで怖いよね……」
「大丈夫です! お化けなんてこの世に存在するはずがありませんから!」
「それよりよー、なんか腹減らねえか?」
「ったく、オメーはいつもそればっかじゃねーか」
「食べすぎるのもよくないわよ小嶋くん」

 そんな会話をしながら、呆然と突っ立っている朔をさっさと追い越して廊下を進んでいく。

「……は?」

 思わず朔は、呆然とまばたきを繰り返す。
 何度見返しても、窓にはこれでもかというほどの手形がある。だが彼らは一切これに気付いていないようだ。その事実に、朔の頭にある考えが浮かぶ。

 ……まさか、この子たち――

「朔兄ちゃん? どうかしたの?」
「早くしないと置いてっちまうぞ!」
「あ、いや。ごめんね。すぐ行くよ」

 一向について来ない朔を不思議そうに見る探偵団一行。朔はさっと意識を戻し慌てたように返事をして、彼らの元へ走っていった。


***


 不可解な出来事はその後次々と起こる。
 
 元太がトイレに行きたいと言い出したためついて行けば、男子トイレの鏡の向こうからぬるりと生気の抜け落ちた男が現れた。
 血の滴る手を伸ばして元太を掴もうとするが、鏡から一定の距離……上半身が出るくらいまでの範囲しか動けないらしい。唸るように低い声を出して暫らく元太へ手を伸ばしていたが、当の本人は光彦と会話をしていたため全く気付いていなかった。そのうち諦めたらしい男は悔しそうに鏡の中へ戻っていく。
 その一連の流れを見て朔は思わず呆れたように目を細めた。

 トイレを後にして二階を散策していると、廊下の後ろの方から女が笑いながら凄い速さで這いずってきた。
 歩美の足首を掴もうとしていたので、朔はその直前で思い切り女の手を踏んずけた。女はグエエ!と蛙が潰れたような酷い声を上げて大人しくなる。そのまま靴ひもを結ぶフリをしてしゃがみ、地面にのびている女の手首をロープで縛った。
 踏んずけた際に大きな足音が鳴ったのを不思議そうに尋ねられたが、虫だと言って誤魔化しておいた。

 いくつか教室を見て回った後に廊下を歩いていると、曲がり角の向こうから死装束を着た亡者が「ばあ!」と驚かしてきた。
 だが探偵団は総スルーである。唯一男を認識した朔も対して驚く様子は見せず、ただ目を合わせているだけであった。
 どことなく気まずくなった朔は男の肩をポンと叩いて励ましつつ、ついでにロープで拘束した。

 ……そんなことが立て続けに起こり、朔はもう心身ともに疲労困憊である。
 なんだこのホーンテッドスクール。現世じゃなかなか出くわさないくらい珍しいレベルの怪奇現象がほんの小一時間で頻発している。
 
 それだけでも勿論すごいことなのだが、更にすごいのは少年探偵団の彼らだ。

 こんなに恐ろしいことが立て続けに起こっているというのに、それらに一切気づくことなくけろりとしている。元太に至っては不満そうに「なんだよ、なんもねーじゃねーか。つまんねーの」なんて発言する始末だ。
 ……もしかしなくても、朔の予想は的中しているのだろう。
 
 探偵団の彼らは、それなりに霊を引き寄せる体質を持ちながらも、揃って霊感がゼロであるため一切気が付くことが無いのだ。
 
 なんて質が悪い、と朔は思わず頭を抱える。

「結局何も出ませんでしたね」
「そう、だね。もう遅いし、早く帰ったほうがいいよ」
「明日も学校あるもんね」

 光彦の発言に軽く恐怖を覚えながら朔が答えれば歩美もそれに賛同した。続くように他のみんなも賛成の意を唱える。

 出口に向かうために玄関ロビーへ出た。左手に持ったロープの先に繋がれた亡者たちを鬱陶しく思いつつ、探偵団のみんなの後ろからついて行く。
 すると、数メートル先に青白い炎が浮かび上がる。それと共にぼうっと無表情の女が現れた。水にぬれたように張り付いた黒髪と白いワンピースがその雰囲気を引き立てている。

 氷の様に冷えた目線が交わった瞬間に脳内で警鐘が鳴った。間違いなく、今日見た中で一番危険な霊だ。だが探偵団の面々はそれに気づかず、楽しそうに会話を弾ませながら出口へ向かって歩いている。
 女は手のひらの中に青白い炎と共に包丁を出現させ、目にもとまらぬ速さで探偵団の方へ向かって行った。

 咄嗟に彼らの頭上を楽々飛び越えてあの女の霊を食い止めるという考えが浮かんだが、流石にそんなことをしたら自分が人間ではないと言っているようなものであるだろうと朔は即座に否定する。だからといってあの女の霊を放っておくわけにはいかない。頭を悩ませている間にも女と探偵団の距離は縮まっていく。

 もうダメだと思った、その時。
 探偵団をかばうように、もうひとりの女性の霊が現れた。
 
 黒髪ロングヘアの女性の霊は、自らの腹部に包丁を受け止める。包丁が深々と刺さった傷口からはぶわりと血が滲む。青白い女の霊は驚いたように固まり、そのままふたりは炎に包まれて姿を消した。
 
 一部始終を呆然と眺めることしか出来なかった朔は、目の前で起こったことを理解できずにいた。もうダメだと思った時に咄嗟に伸ばした手を引っ込めることが出来ないまま、バランスを崩して前のめりに倒れる。

「朔兄ちゃん!? 大丈夫?」
「だ、大丈夫……ちょっと躓いただけだから」

 結構盛大に転んだせいか、心配そうな顔をした探偵団たちが駆け寄ってきた。何とか頭部を隠す帽子を死守しつつ起き上がれば、哀と目が合う。目こそ逸らされはしなかったものの、やれやれといったようにため息をつかれてしまった。
 随分手厳しいな……。そんな風に思っているとふと、ある事に気が付く。

 先ほど探偵団をかばって炎に包まれた女性の霊の彼女と哀が、どことなく似ている気がしたのだ。


***


 探偵団の保護者である博士が迎えに来るというので、小学校の校門前で暫く待つことになった。探偵団が楽しそうに会話をしている中、朔は軽くかがんで哀と目を合わせる。

「ねえ、君」
「なにかしら。私に何か用?」
「急にこんなことを聞くのもどうかと思うけど……」
「何よ。言いたいことがあるなら早く言ってくれる?」

 つんとした大人びた態度を崩さずに哀は朔に言う。朔は頭の中でなるべく言葉を選び、そっと尋ねた。

「君、お姉さんとかいたりする?」

 朔の言葉を聞いた瞬間、彼女は僅かに目を見開いて言葉と表情を失った。その反応を見て、朔も固まってしまう。
 あの女性の霊は見た感じ若かったから母親ではなくてお姉さんあたりだろうかと考えたのだが、まさか何か地雷だっただろうか。朔が考えていると、コナンが哀を背後に隠すようにしてふたりの間に入る。にこにことあからさまに子供らしい表情とは裏腹に、瞳は鋭く光っていた。

「……どうして急に、そう思ったの? 朔兄ちゃん」
「あ、いや。気分を悪くしたなら謝るよ。ただちょっと、そう思っただけだから」
「……」

 困ったように笑いながら胸の前でひらりと両手を振って弁解する朔を、コナンはそっと探るような目線で見る。朔自身は、その真意に気付いていないらしかったが。

 程なくして校門前に一台の車が到着した。博士!と歩美が嬉しそうな声を上げる。どうやら迎えが来たようだ。探偵団はその車に乗り込むと、ばいばいと手を振って去っていった。

 見えなくなるまでひとしきり手を振ったところで、朔は帰路につきながら考える。
 多分あの反応からして、あの女性の霊はあの子の知り合い……おそらく思った通りお姉さんで間違いないだろう。だが。

「あの反応は過剰じゃないか……?」

 あの子も何か訳ありなんだろうかと朔はぼんやり思う。夜の町を歩いている朔の頭上を見守るように、ぽっかりと丸い月が浮かんでいた。


***


「彼、確か望月朔って言ってたわよね」
「ああ。最近米花町に越してきたみたいで、ポアロとかバイトをいくつか掛け持ちしてるフリーターだって言ってたけど」
「ポアロっていうと、確かバーボンもそこで……」
「! ……まさか」
「安心して。彼から組織の臭いはしないわ。……しない、けど」
「急に米花町に現れて、しかもオメーの姉さんの事を言い当てるなんて……気になるな」
「ええ、そうね」
「……ま、念のため、一応色々調べてみっか」