弐拾弐 白い神獣と黒い影



 平日の夕方頃。浮遊霊回収業務に少しばかり手間取ってしまった朔は、遅刻ギリギリだと冷汗をかきながらポアロへの道を急いでいた。

「あンの浮遊霊……! こっちの予定も考えず、行きたくないだとか駄々こねやがって!」

 悪態をつきつつもその足は止めない。すると目的の建物が見えてきた。なんとかいつも通りの時間に間に合いそうだと気を緩めたところで、あることに気が付く。
 今日は遅番であるため店内入り口から出勤するのだが、店の前で三人ほど人が集まっているのが見えた。遠巻きに確認すると、その内のふたりは帝丹高校の制服を身にまとっている女子高生で、もうひとりは大人の男性であるようだ。どうやら女子高生に男性が何やら話しかけているらしい。

 店の前でナンパとか迷惑だなあ。そんなことを考えていた朔であったが、その三人の姿がはっきりしてくるにつれ、思わず目を逸らしたくなった。

 まず女子高生のふたりは見知った顔――蘭と園子である。それはいい。問題は男の方だ。

 ひょろりと高い背格好。額を覆うように前髪が切りそろえられた独特の髪型。優し気に細められる切れ長の目。目じりの特徴的な赤い模様。赤い紐の耳飾り。それから、誰もが二度見するであろう微妙なセンスの洋服。
 ……ここまで条件が出揃えば、該当する人物は一人しか居ないだろう。

「何やってるんですか白澤さん」

 思わず声を掛ければ、三人はほぼ同時にこちらを見る。白澤と呼ばれた男性は朔を見るなり嬉しそうに笑った。

「やあ朔くん。久しぶりだねえ」
「久しぶりだねえ、じゃないですよ。店の前でお得意様口説くの止めてもらえません?」
「可愛い女の子がそこにいるなら、話しかけなきゃ失礼だろう? 男として」
「何イタリア人みたいなこと言ってるんですか」

 そもそもあんた中国の人だろ。ニコニコと人好きのする笑みを絶やさずに言う男性に、朔は呆れたように目を細めながらやれやれと溜息を吐いた。

 朔の目の前にいるこの男は白澤といい、中国で妖怪の長と称されるほどの由緒正しき吉兆ある神獣である。その中身は酒と女にとことんだらしない、ただのスケベ爺なのが難点だが。顔つきが多少似ている鬼灯とは昔から犬猿の仲であり、ことあるごとに突っかかっては言い合いをするような関係であるのは、あの世の獄卒の間では有名な話である。
 そんな彼は天国の桃源郷で薬局を開いていており、朔ともちょっとした知り合いであった。

 未だに会話を続けるふたりを見て、蘭がおずおずと口を挟む。

「あの……おふたりは知り合いなんですか?」
「ああ、まあ、ちょっとね」
「イケメンはイケメンを呼ぶのね!」

 困惑気味の蘭に対し、園子は対照的に目を輝かせている。白澤の顔も整っている方であったから、すっかり夢中なのだろう。イケメンはイケメンを呼ぶってなんだろう……と困惑しつつも、朔は改めて彼の紹介をした。

「この人は中国で薬剤師をやってる白澤さん。俺とはまあ……昔からの知り合いでね」
「へえ、中国の方なんですか! 日本語お上手ですね」
「謝謝。ありがとね。君にそう言ってもらえると嬉しいよ」
「しかも薬剤師って頭もよさそう!」
「主に漢方薬を専門にしてるんだ。何かあったらいつでも相談に乗るよ」

 楽しそうに話し始める中、白澤は思いついたようにさりげなく提案する。

「そうだ。立ち話も何だしこのポアロって店で一緒にお茶しない? お代なら僕が出すから」
「え! いいんですか?!」
「ありがとうございます」

 ふたりは嬉しそうに素直にお礼を述べた。蘭も先ほどよりも表情が柔らかくなっている。朔の知り合いということがわかって、先ほど声を掛けられた時と比べて少し安心したのだろう。

「というわけで三名様ご来店だよ、朔くん」

 にっこり笑って指を三本立てた白澤を見て、朔は呆れたようにはいはいと店の扉を開いた。


***


 朔が準備をして店内に戻ってくる頃には三人はすっかり盛り上がっていた。話し上手で知識も豊富な白澤と、聞き上手な女子高生ふたりが合わされば、話しが弾むのも当然というわけである。挙句、先に働いていた梓までもが会話に混ざっていた。

「梓先輩、上がって大丈夫ですよ」
「うん、わかった。じゃあ私は先に上がるから、後はよろしくね朔くん」
「お疲れ様ッス」

 梓は持っていたお盆を朔に渡して、ひらりと手を振りながら店の奥へ引っ込んだ。

「あの子、朔くんのコレ?」

 その流れを見ていた白澤が小指を立てながらニヤニヤと言う。白澤の言葉を聞いて正面に座っていた女子高生二人もぱっと顔色を変えて微笑んだ。朔は困ったように笑って首を振る。

「違いますよ。梓先輩とは何もありませんから」
「なあんだ。てっきりそうなのかと思ったのに」

 唇を尖らせる白澤だったが、その一瞬後には「じゃあ僕が口説いても問題ないよね」と下卑た笑みを浮かべていた。思わず乾いた笑いが零れる朔。女子高生ふたりもこの短い間に白澤の本質が分かったのか、困ったように笑っていた。

「ほんっと、昔から凝りませんよね白澤さん……」
「いいじゃない。これが僕なんだもの」

 頬杖をついてにやりと口角を上げる。すると遠くの方から朔を呼ぶ声がした。朔は軽く一礼して呼び出されたテーブルへと急ぐ。その後姿を見ながら白澤はアイスコーヒーのストローを銜えた。ここでも実に熱心に働いているようだ、なんてぼんやり思う。

「ねえ、白澤さん」
「なんだい園子ちゃん」

 不意に園子に話しかけられて、さっとそちらに気を戻す。

「白澤さんって、朔さんの昔からの知り合いなんですよね?」
「そうだよ。知り合ってからもうずいぶん経つかなあ」

 白澤はアイスコーヒーを啜りながら昔のことを思い出す。初めて会ったのはいつだったか……随分昔のことなもんで、記憶が曖昧である。そんな白澤を見て、園子と蘭はいかにも興味津々ですといった風に目を輝かせ、軽く前傾姿勢になった。

「じゃあ、朔さんの昔のこととかも知ってます?」
「知ってるけど……どうしてそんなことが知りたいんだい?」

 白澤が問いかければ、ふたりはちらりと目を合わせてわずかに照れるように笑った。

「朔さんのこともっと知りたいなって思って、本人に色々質問したんですけど……はぐらかされてしまって」
「だから、朔さんの知り合いっていう白澤さんに訊けば何かわかるかなって思って!」

 成程、秘密にされると余計に気になってしょうがないタイプの子たちらしい。そうだねえ、と白澤は呟いて考える。

 鬼である彼の過去なんて、話せる部分の方が少ないのが当たり前である。しかもその話せる部分ですら、具体的な言葉を使うことが出来ないものばかりだ。だから朔もはぐらかしたりぼやかして伝えたりしたのだろう。だがその行為が彼女たちの好奇心を煽る結果となってしまったというわけか。

「でも僕が勝手に話していいのかなあ」
「お願いします! 話せる範囲でいいですから!」
「私たちはただ朔さんのことが知りたいだけなんです!」
「わかった。何が知りたい?」

 この通り!と顔の前で手を合わせるふたりを見て、白澤はあっさりと折れたようだ。デレデレと笑みを浮かべて頬杖をつく。彼にとっては結局、『朔が隠したがっていた生い立ち&過去<女子高生のおねだり』なのであった。南無三。

 ふたりはといえば、感謝の言葉を述べて早速白澤に募っていた疑問をぶつけ始めた。

「まずそもそも、朔さんって出身はどこなんですか?」
「……朔くんはなんて?」
「『みんなが名前も知らないような、すっごく遠い田舎』としか教えてくんなかったわよ」
「なるほどね」

 不満そうに唇を尖らせる園子を見て、上手く誤魔化したもんだと白澤は思う。素直に『地獄だ』と白状出来るわけもないし、ましてや下手に出鱈目を言うわけにもいかないのだから、その答え方は正しいだろう。模範解答といってもいい。

「白澤さんなら教えてくれるわよね?」

 期待を孕んだ瞳で園子は白澤を見つめる。白澤は瞬きをひとつしてにっこり微笑む。まあ、少しくらいならいいだろう。

 ――それに"これ"は、"彼も知らないこと"だ。

「彼の生まれは京都だよ」
「京都?」
「へえ……標準語だったからから気づきませんでした」

 意外そうに目を丸くして呟くふたり。

「京都のどの辺りなんですか?」
「どのあたりだったかなあ……結構田舎の、山奥のあたりだったと思うけど。詳しい所は僕もわかんないや」
「そうなんですか」
「京都だってわかっただけでも十分ですよ」

 後で和葉ちゃんにちょっと訊いてみようかな、と蘭は小さく呟いた。和葉ちゃん、という言葉を聞いて瞬時に可愛い女の子の気配を感じ取った白澤は、咄嗟にその子について尋ねようと思ったが園子に遮られてしまう。

「じゃあ、朔さんの家族はまだそこに?」
「いや、彼の家族はもうそこには住んでいないよ。……というか、彼には血の繋がった肉親がいないんだ」
「え……」

 白澤の言葉を聞いた途端にふたりは言葉を詰まらせ、気まずそうに目を見合わせた。大方、余計なことを訊いてしまったかとでも思っているのだろう。白澤はそんなふたりをなだめるように、明るく取り繕う。

「心配しなくても大丈夫だよ、彼その点は全然気にしていないみたいだし。それに、血は繋がっていないけど父親ならいたからね」
「そうなんですか」
「ど、どんな人なんです?」

 朔の父親、と聞いて急に興味が沸いたらしい。ふたりは目を輝かせて問いかける。白澤は昔からの悪友である凩を思い浮かべながら話し始めた。

「彼の父親も面白い人だよ。なんてったって――」
「なんてったって、なんです?」

 不意にかけられた言葉に、白澤は思わずぎくりと肩を震わせた。

 壊れた人形の様にぎちぎちと後ろを振り返れば、僅かに目が笑っていない朔が立っている。思わずひきつった笑いを浮かべる白澤。そんなふたりにはお構いなしに、蘭と園子のふたりはずずいと身を乗り出した。

「白澤さんから聞きましたよ! 朔さんの出身が京都だって!」
「別に隠さなくたってよかったのに……」

 その言葉を聞いてじとりと白澤に視線を向ける朔であったが、白澤はウインクをしながらぺろりと舌を出す始末。まるで星が飛んでいるのが見えるほどテンプレのてへぺろを目の当たりにした朔は、大きくため息を吐いた。

「勝手に何話してるんですか……」
「ごめんごめん、つい」

 つい、なんて軽いノリで隠し事をばらされては敵わない。やれやれと朔は女子高生ふたりに尋ねる。

「……ほかにこの人から何を?」
「朔さんのお父さんについて聞いていたところでした」

 何言ってくれてるんだと、再び白澤に視線を向けるが彼は特に気にした様子も見せない。

「ねえ朔さん。朔さんのお父さんってどんな人なんですか?」
「……俺はあれのことを父親だと思ったことは一度も無いよ」
「そういうところも相変わらずだよねえ」
「追い出しますよ」

 白澤の呟きをしっかりばっちり聞いていた朔はぴしゃりと言い放った。女子高生ふたりは、朔さんもこんな子供っぽい所があったのね、なんて小さく笑っていたが。

「随分楽しそうな話をしてますね」
「安室さん」
「透先輩」

 朔の背後からテーブルに歩み寄ってきたのは見慣れたエプロン姿の安室だ。彼はテーブルに座る見慣れない男性の姿を見つけると、朔に尋ねる。

「彼は?」
「中国で薬剤師をやってる白澤さん。俺のちょっとした知り合いみたいなもんッス」

 朔の軽い紹介を受けて白澤はニーハオ、と言いながら目を細めてひらりと片手を上げる。

「へえ……そうでしたか。僕は安室透。ここでバイトをしながら私立探偵をやっている者です」

 よろしく、と安室がにっこりと微笑む。白澤もそれとなく笑みを浮かべて請多関照、と返した。そんな白澤の様子を見て朔だけはひとり、野郎には興味ないんだろうな、とぼんやり思っていた。

「それで? なんの話をしていたんです?」
「朔さんのお父さんの話ですよ」

 それとなく話を戻した安室は、蘭の言葉を聞いてわずかに目の色を変える。

「ホー、彼の父親ですか……。僕も興味ありますね。何せ、彼は自分のことについて何も教えてくれませんから」

 肩をすくめて困ったように笑う安室。透先輩だって何も言わない癖に、という言葉を飲み込んで朔は押し黙る。安室はそんな朔の内心など知る由も無く、白澤と目を合わせた。

「どんな方なんですか?」

 彼の蒼い双眸が、黒々とした白澤の瞳をしっかりと捕える。

 ほんの一瞬だけ空気が張り詰めたが、それに気が付いたのはこの中では安室と白澤だけであろう。余裕そうな笑みを崩さない安室と、そんな彼を観察するように表情を消した白澤。この一瞬はまるで永遠の様に感じられた。

「すみません安室さん! 注文いいですか?」

 その一瞬の永遠を打ち破ったのは他でもなく、店を訪れていた女性客であった。
 一瞬で店員用の笑顔を作った安室は女性客へ軽く返事をする。

「それじゃあ残念ですけど、僕はこれで」

 ごゆっくり、といいながら安室はテーブルを離れた。続いて朔も客に呼ばれてテーブルを離れる。そんなふたりの姿を見て、白澤は色々と察したようだ。

「流石だなあ」

 小さく呟いて、いつもの掴みどころのない笑みを浮かべていた。


***


 それから数時間後。

 すっかり日が暮れて女子高生ふたりが帰っても、白澤はポアロを離れなかった。なんだかんだとちょっかいを出しながらも、朔のシフトが終わるまでポアロに居座り続けたのである。因みに安室は「急な用事がある」といって少し早めに上がっていった。

 戸締りを終えてふたりは店を出る。夜風が冷たく通り抜けて、朔はぶるりと体を震わせた。

「で? なんで現世に来たんです? 白澤さん」

 白澤の少し後ろを歩く朔がそう言えば、白澤は飄々とした笑みを崩さずに言う。

「現世の可愛い女の子を探しに」
「ダウト」

 白澤の言葉をさっと遮った。

「それだったらもっと早くポアロから出てるはずだ。……多分、凩が絡んでるんだろ」

 どうなんだとでも言いたげな目を向ければ、白澤は観念したようだ。気まずそうに両手を上げる。

「君、探偵向いてるんじゃない?」
「話を逸らさない」
「……元々現世に行く用事があったんだけど、その準備をしているときに凩くんに頼まれたんだ。『どうせ現世に行くなら朔の様子も見て来てやってくれないか』『俺は今日、野暮用があってあの世に行かなきゃいけないから』ってね」
「あいつ……」

 朔は凩の間抜け面を思い出してしまったようで、不機嫌そうに眉間に皺を寄せている。

「というか、お店の方は大丈夫なんですか?」
「桃タローくんは優秀だからね」
「丸投げしてきたんですね……」

 白澤の従業員である彼の姿を思い浮かべて朔は呆れたように目を細める。こんな自由気ままな神獣の元で働くなんてさぞかし大変だろう。

 他愛もない会話をしながら、ふたりはのろのろと歩みを進める。
 とっぷりと日が落ちて月明かりが主な光源である住宅街で、歩いているのは朔と白澤しかいないようだ。

「今日は浮遊霊回収業務はしないのかい?」
「なんかもう、今日は疲れたんで……帰って酒飲んで寝たい」
「おっいいねえ。じゃあ久しぶりに一緒に飲もうよ。勿論場所は朔くんの家」
「嫌です」

 白澤の提案をきっぱりと断る朔。あまりにもはっきり言い放った朔に白澤は思わず食って掛かった。

「なんで!」
「あんたが酔うと凩以上に面倒だからですよ!」

 過去に白澤と飲んだことを思い出しながら朔は声を荒げる。ウワバミである朔とは違い、白澤は酒に弱かった。その癖してしこたま飲むもんだから、朔は一緒に飲むたびに苦労していたのである。

「もういい年なんですから、自分の限界くらい見極めてくださいよ」
「何言ってるんだ。僕はまだまだ若いんだから大丈夫」
「億越え老人が何をおっしゃいますか」

 ふんと得意げに鼻を鳴らした白澤を横目に朔は呟く。

「まだまだ若いよ。夜に関しては君なんかよりずっと」
「最低の下ネタ」

 うげえ、と顔を歪める朔。そもそもなぜ白澤が朔の夜のことを知っているのか。……因みに彼の名誉のために弁解しておくと、仕事のせいで最近めっきりご無沙汰だったというだけで朔は別に恋愛に興味がなくなったわけではなかった。
 そんな朔が白澤へじっとりとした視線を送るが彼には効かないようである。

「もういい加減帰ってくださいよ……」

 うんざりした調子で溜息を吐く朔であったが、曲がり角を曲がった途端にいきなり立ち止まった白澤にぶつかってしまった。

「ちょっと、白澤さん? なんで急に止まって……」
「朔くん」

 朔の言葉を制した白澤の声は、僅かに上ずっていた。目をほんの少し見開いて、困ったようにひくひくと口角を震わせている。その様子を見て、朔は胸がざわつくのを感じた。

「僕たち、暫らく帰れそうにないかも」
「はい? 何言って――」

 白澤の後ろから顔を出した朔は、目の前の光景に息を飲む。

 数メートル先にいたのは、濡れ羽色のコートを着用した男――一方は長髪、もう一方はサングラスをかけている――がふたり。彼らの前で腰を抜かしたように壁にもたれて座るスーツ姿の男。

 そして、スーツの男に拳銃を突き付ける、金髪褐色肌の男――安室だった。