弐拾参 上手くいったのならそれでいい
月だけがぽっかりと寂しく浮かぶ真夜中。
ほとんど人気のないそんな場所に、突然現れたふたりを四人は驚いたように見る。対するふたりも、四人と同じように驚いていたようだ。
中でも一番衝撃が大きかったのは朔であろう。どうして透先輩がこんなことを、と混乱してしまって足を動かすことすらも忘れてしまったらしい。大きな目をさらに大きく見開いて、目の前の状況が飲み込めずにいる。
ふたりがすっかり固まってしまっている間に長髪の男が無表情のまま懐に手を差し入れて、拳銃を抜き取る。
だがその銃口がふたりに向けられる前に、男が喚きながら逃げようと立ち上がった。
全員の視線が男に向いたその瞬間に、安室は男へ向かって迷うことなく引き金を引く。
住宅街に相応しくないシリアスな音が控えめにパシュッと鳴り、むわりと血の匂いが立ちこみ始める。男は膝から崩れ落ちて、一瞬びくりと身体を痙攣させると動かなくなってしまった。
――そして次の瞬間、ふたりは弾かれたように来た道を引き返した。
「待て! 動くな!」
男が静止する声も聞かずに飛び出すふたり。男の声と共に発射された鉛玉が、足元の地面に幾つかめり込む。一目散に走りながら、朔は焦ったように白澤へ話しかけた。
「ちょっと! これどうするんですか!」
「僕に訊くな!」
後ろの方で足音と共に数回の発砲音がして、目の前のコンクリート塀にヒビが入る。転がるように大急ぎでルートを変えて、ひたすらに足を動かした。後ろから追ってくる足音はつかず離れず一定の距離を保っている。
朔は自身の脳をフル回転させ、この場をいかにして切り抜けるか思案していた。
「俺が白澤さん抱えて全力で走って逃げるのは?」
「確かに鬼の脚力は人間の比じゃない。だけどその脚力を見られれば、後で君は彼らから疑いの目を向けられることになるだろう。おすすめはしないね!」
「じゃあ近くの森まで走って、あの世まで逃げれば!」
「森は今走ってる方角とは正反対だよ!」
「白澤さん、元の姿に戻れば空飛べるでしょ? それに俺が乗って逃げるのは?」
「駄目だ! 僕の神獣姿は現世の人たちにも見える。そんな所を見られたら、僕たちはこの町に居られなくなる!」
「なんかこう、都合よく見えなくなったりしないんですか!?」
「無茶言うな! 無理だよそんなの!」
「それでも神獣かよ役立たず!」
「あ! 言ったな! 由緒正しき吉兆ある神獣に!」
「こんな目に合ってる時点で吉兆もクソもないだろ!?」
「確かに!!」
ふたりはやいやい言い合いながら、人気のなさそうな廃ビルへと足を踏み入れた。ある程度進んだところでさっと物陰に身を隠す。その場しのぎ程度だが、行く当ても無く走り続けるよりもマシだと判断したのだ。
遠くの方から足音がこつりこつりと響いていて、男たちもこの場所へたどり着いたことを知る。足音を聞くに、追ってきたのはひとりらしい。だがその足音は徐々にこちらへ近づいているようだ。
「真面目にどうします? ずっとここに隠れているわけにもいきませんし」
「ようし、ここはひとつ僕の具現化能力で」
「現世にバケモノ増やさんでくださいよ」
頭を抱えながら朔は呻く。このまま隠れ続けることも、ましてや彼らの前に飛び出して命乞いをするわけにもいかない……一体どうしたものか。
焦る気持ちを抑えながら頭を回していると、後ろから誰かに肩を掴まれる。
朔は咄嗟に払いのけながら勢いよく振り返った。
***
廃ビルに足を踏み入れて、額に浮いた汗をぬぐう。じゃり、と足元に散らばる硝子を踏み砕いた音が人気のない建物内に響いた。
ジンとウォッカは先ほど始末した男の後始末をしているから、この場にいるのは彼ひとりである。残りの弾数を確認した後に拳銃を構えなおし、建物の奥へ足を踏み入れた。
先ほど現れたふたり組の男は間違いなく、朔と白澤であった。まさか組織の仕事をしている姿を、朔に見られることになるとは。拳銃の重みを煩わしく感じながら彼は先へ急ぐ。
本来ならば殺したフリでもして彼らを秘密裏に保護するのが妥当だろう。だが、ジンとウォッカのことだ。すぐに死体の確認に来るだろう。逃げられたとわかれば、こちらの信用を落とすことに繋がりかねない。それだけは避けなければ。
……こんなことしたくないが、生憎手段を選んでいる余裕は無い。
安室――バーボンは、舌打ちしたくなる衝動を抑えながら、ふたり組の男の姿を探した。
硝子が割れているおかげか、月明かりがよく差し込んでいて視界は思ったより明るかった。聞こえるのは自らの呼吸の音と僅かな足音だけ。目と耳を凝らして慎重に奥へ進む。
ふと、微かに話し声が聞こえた。その声は間違いなく朔のものである。応答したのは白澤だろう。そっと声のしたほうを覗き見れば、物陰に隠れて何やらごにょごにょ話しているようだ。
口内に溜まっていた唾を嚥下し、小さく息を吐く。
足音を殺して物陰に近づき、朔の肩を掴んだ。彼は驚いたように振り返って、バーボンの手を払いのける。
その一瞬の隙をついて、バーボンは朔めがけて引き金を引いた。
この至近距離で、避けられるわけがない。
「ぐ……ぁ……ッ!」
射出された鉛玉は容赦なく朔の喉元にめり込んだ。朔は大きく目を見開いて、赤黒い液体を噴き上げながらその場に倒れこむ。その一部始終を見ていた白澤はといえばすっかり青ざめた顔で、かたかたと震えていた。
「うわあああ!!」
叫びながらバーボンに背を向けて逃げ去ろうとするが、バーボンにしてみればそれは弾を当てるための的が大きくなっただけに過ぎない。
続けざまに引き金を二回引けば、ふたつの鉛玉が見事に白澤の背中へ撃ち込まれた。空薬莢の金属音が空しく響く。
どさりと倒れた白澤はピクリとも動かない。辺りにはじわりじわりと趣味の悪い水たまりが広がっていった。
バーボンはいつの間にか止めていた息を大きく吐き出す。じっとりと額に浮かんだ汗を手の甲で拭う。
そして、足元に仰向けで転がる朔に再び視線を戻した。喉に穴が開いているせいか、ひゅーひゅーと苦しそうに呼吸を繰り返している。
このまま放っておいても、助かりはしないだろうが……念には念を。
バーボンはゆったりとした調子でしゃがみ、朔の額にぴたりと銃口を張り付けた。
虚ろな目をちらりと動かして、朔はバーボンの姿を捕える。
対するバーボンは全くもって無表情であった。
「すまない」
小さく漏れた声は、驚くほど感情を含んでいなかった。
朔はなおも、バーボンのことを見つめ続ける。
「……僕を、恨んでくれ」
命をかき消す乾いた音が、建物内を震わせた。
***
『○×ビル全焼、中から身元不明の焼死体』
そんなタイトルが踊るネットニュースを見て、安室は小さくため息をつく。
朔と白澤をこの手で始末してから数時間後、安室はポアロに姿を見せていた。ふたりを始末してすぐにジンに報告し、その場を離れたのだが……、まさかそのビルが燃えてしまうとは。
記事によれば出火原因は不明。遺体は十分すぎるほど焼かれているため、DNAを検出するのはほぼ不可能ということらしい。もしかしたら組織の仕業かもしれないと安室はぼんやり思う。
目を閉じれば、瞼の裏には今でもあの時のことが鮮やかに蘇る。
――ひゅうひゅうという苦し気な呼吸音。鼻をつく不快な血と硝煙の臭い。
――生気の宿らない、虚ろな目。
安室はさっと携帯の電源を切ってポケットにしまい、軽く頭を振ってその映像を追い出すと急いで店員用の顔に切り替える。仕方ない。あれは組織の仕事を見てしまった彼らが悪いのだ。そう……仕方ない。不可抗力だ。……そうは思っても、しばらく引きずってしまいそうだが。
「安室さん? 顔色が悪そうですけど……大丈夫ですか?」
バックヤードから戻ってきた安室を気遣うように、心配そうに声をかける梓。安室は大丈夫ですよと笑って誤魔化した。お得意のポーカーフェイスまで上手く機能していないらしい。
「それにしても朔くん、遅いねえ。バイトが長引いてるのかな?」
テーブルを拭きながら心配そうに言う梓に、安室はそうですねえと言いながら心苦しくなる。
もう彼は来ませんよ、なんて、言えるわけがない。
まして、僕が始末しましたから、なんて――
「すみません遅くなりました!!」
ふたりの会話を引き裂くように勢いよく店の扉が開いて、見知った顔が飛び込んできた。
その姿を見て、安室は思わず目を見開く。
――そこにいたのは紛れもなく、昨日この手にかかって死んだはずの朔だったのである。
「朔くん! よかった、遅かったから心配したよ」
「すみません。ちょっと前のバイトが長引いて……」
梓に駆け寄られて困ったように笑う朔。だが安室はその場から動けずにいた。
どうして……何故彼が、ここに?
「急いで着替えてきますね」
そう言ってバックヤードに行こうとした朔の手を反射的に掴む。朔は掴まれると思っていなかったのか、驚いたように安室と目を合わせる。
さっと喉元に視線をやるが、そこは穴が開いているどころか掠り傷ひとつ付いていやしなかった。
「朔くん、どうして此処に?」
「どうして、って……仕事があるからスけど」
何を言ってるんだとでも言いたげに朔は怪訝な顔を浮かべる。安室は朔の手首をぐっと握りしめて、真剣な声色で言う。
「昨日の深夜、何処で何を?」
「昨日の深夜? ポアロが終わってからすぐに白澤さんと家に帰りましたけど……」
それが何か?と朔は首を傾げて安室に訊き返す。対する安室は、信じられない思いでいっぱいだった。
「家にいた、って……そんなわけないだろ。だって君は」
――僕が昨日、この手で殺したはずなんだから。
その言葉が溢れそうになるのを、奥歯を噛みしめてぐっと飲み込んだ。
「俺が?」
朔はといえば心底不思議そうに瞬きを繰り返すばかりだ。彼の様子を観察するが、嘘をついている様子は見られない。瞳孔の開き具合も、呼吸も、声も、至って正常だ。
ならあれは、僕が殺したのは……別人?
「透先輩、そろそろ、放してもらっても?」
「え? ああ、ごめん」
いつの間にかかなり強く握っていた朔の手首をぱっと離す。朔は一瞬安室と目を合わせると、すぐに店の奥へ引っ込んでいった。
「どういうことだ……?」
安室は信じられない思いで、店の奥へと繋がる扉を見つめていた。
***
バックヤードへ続く扉を閉めた朔は、扉にもたれるようにしてずるずると座り込んだ。盛大な溜息をひとつ。
「なんとか、上手くいったみたいだな……」
――時は数時間ほど遡る。
肩を掴まれ、払いのけながら振り返った朔であったが、そこにいたのは安室ではなく、予想外の人物だった。
「こ……凩! なんでお前がここに――」
思わず大声を出しそうになる朔の口に、人差し指を一本当てて黙らせる。不機嫌そうに眉を寄せて頷けば、凩はにやりと笑って人差し指をどけた。
「……どういうつもりだ」
「野暮用を終わらせてこっちに来た時に血の匂いがしたもんでな。気になって辿ったら怪しい男達から逃げるお前さんらふたりを見つけた。そんで、気づかれないように追いかけてきたってわけさ」
「なるほどね……ナイスタイミングだよ凩くん」
朔の後ろからそろりと白澤が姿を現す。その顔には何やら不敵な笑みが浮かんでいた。話の読めない凩は、んん?と片眉を上げる。
「ナイスタイミング? 何の話だ」
「走っている間に聞いていた足音の限りでは、追ってきているのはおそらくあの金髪の彼ひとり。あんな場面を見られたんだ。僕らを見つけ次第、持っていたあの拳銃で撃ち殺すつもりだろう」
「……ああ、だろうな。だが、それと俺に何の関係が」
そこまで呟いたところで凩はハッと息を飲む。それを見た白澤は決定的な言葉を放った。
「化かしに特化した君なら、僕らにそっくりの死体をふたつでっちあげることなんて、造作もないことだろう?」
白澤の言葉を聞いて、朔もようやくその考えが読めたようである。ぐっと眉間に皺を寄せて考え込んだ後、観念したように目を閉じた。
「……癪だけど、この方法しかないでしょうね」
ため息を吐きながら朔は心底不機嫌そうに言った。緊急事態とはいえ、凩に頼るのが本当に嫌らしい。対する凩はといえば、にやりと白い歯を見せて笑っている。
「流石、白澤の旦那だ。よく思いつくねえそんなこと」
「やってくれるかい」
「おいおい、俺を誰だと思ってるんだ」
それくらいお安い御用さ、そう言って吐き捨てるように笑った。凩は懐から二枚の葉を取り出し、続いて朔と白澤の髪の毛を一本ずつ抜き取ると、葉っぱと共にその場へ放る。
次の瞬間、ぼふん!という白い煙に包まれたかと思うと、そこには朔と白澤が立っていた。目の色から髪の長さ、服装に至るまで本人と瓜二つである。
ふたりはゆっくりと目を開いた。
「んじゃ、よろしくな」
凩が言えば、元葉っぱのふたりはこくりと頷く。そしてわざと大きめに足音を立てて走りながらその部屋を後にした。
しばらくその部屋に潜伏していると、何処からか発砲音が響く。安室が建物から立ち去ったのを凩が確認した後、三人は音がしたほうへ急ぐ。そこには無残な姿で倒れているふたりがいた。
「偽物だってわかっていても嫌なもんだね。自分の死に顔って」
うげえ、と白澤は眉を寄せた。朔は地面に倒れて絶命しているもうひとりの自分を見ながら、計画の発案者である白澤に問いかける。
「……今更だけど、殺させる必要あったんですか?」
「生きているとわかれば、きっと彼らは執拗に追いかけてくる。そんなことをされれば、君の本来の仕事が満足に遂行できなくなるかもしれないだろう?」
「それは、そうですけど」
「『始末した』と確信させた方が、こちらの今後のリスクは少ない。まあ後は、バイト先で君が彼に会った時に完璧に別人だと思わせるだけの演技が不可欠だけどね」
「俺の負担大きすぎません?!」
「ま、心配すんな」
声を荒げる朔に、凩はなだめるように声を掛ける。右手の平の上に狐火を出現させ、遺体に火を放った。あっという間に火は燃え広がり、焼死体独特の香ばしい香りが辺りに充満する。
「お前の演技力は俺が保証してやるよ」
「言っとくけど全く嬉しくないからなそのフォロー」
煌々と燃え盛る炎が死体を焼き尽くしたのを確認した後、三人は建物の屋上から飛び立った。
――これが、昨日起こった一連の出来事の真実である。
「それにしても、透先輩があんなことしてる人だったなんて知らなかったな」
朔は立ち上がりながら小さく呟く。
最初は見間違いかと思ったが、彼のような派手な見た目の人間はそう多くはない。先ほどまでの彼の反応を踏まえれば尚更だ。あれは間違いなく、本人だったのだろう。
あの後、朔の部屋に転がり込んだふたりに色々話を聞いた。すると彼はあの黒の組織……工藤新一を江戸川コナンの姿にしてしまった組織の構成員であるのだという。コードネームはバーボン。私立探偵兼喫茶店店員は、構成員である顔を隠すための表の顔なんだとか。どうりで電話を受けた後に急にバイトを抜けることが多かったわけだと、朔は思い出しながら納得していた。
「人は見た目で判断しちゃ駄目だな」
人間、どんなにいい人そうに見えても裏の顔があるもんだと知ってはいたが、まさかあれほどとは。
これは死後の裁判が楽しみだと、実に不謹慎なことを思いながら朔はエプロンを身にまとって店内へと急いだ。